ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

2月11日(日)のFB

2018-02-12 10:45:25 | ツイッター
お早うございます。主の平和。2月11日、日曜日。宗像市は気温1度、最高温度10度。今日は日差しが届いても、にわか雪あり。夜遅くは一時的に強まり、落雷やあられに注意が必要。真冬の極寒となります。10時半就寝、トイレは4回、熟睡、6時起床。体温:--.-度、血圧(125:83、82)。血液粘度:0.43、血液酸素:96%。体調:快調。チュンチュン

24瀧本 直子さん、磯野 眞紀子さん、他22人
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久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

村田 多鶴子 おはようございます~♪
冷え込みが厳しい朝ですが、今日の浜松は晴れ、最高気温は10度、強風・波浪・乾燥の各注意報が出ています。
主日礼拝が祝されます様にm(__)m
先生ご夫妻がお守りとお支えの内に穏やかな一日を過ごされます様にm(__)m

小貫 ツマ お早うございます。主の平和!今日は信徒総会があります。少しずつですが新しい風か入り広がりつつある群れです。

藤木 冨士子 こんにちは。

東山 富昭 こんばんは🌇。先生のことを、お祈りしています。私のほうは、聖日礼拝で、教会にいましたが、様々なことで、動いていました。今週後半は、予定が入っていますが、年金が支給されるので、何とか、動けるかもしれません。主なる神と主イエス・キリストにあって歩みます。よろしく、お願いします。

文屋 善明
昨日の日誌:
昨日から平昌冬期オリンピックが始まった。日本勢はもう一つのようだ。病院は動きが少ない土曜日。大斎節第1主日のテキスト、マルコにおける「荒れ野の誘惑」を考える。「誘惑」か、「試み」か。
夜、「池上彰のニュース解説」、サタデーステーションを見て、10時半就寝。

23Minae Moriwakiさん、瀧本 直子さん、他21人
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Daniel Corl サタンは「誘惑」しようとしたが、イエスとしては「試み」られたのでしょう。

文屋 善明
お目覚めの花。教会暦では大斎節前主日で、今週の水曜日から大斎節が始まる。この世的には「建国記念の日」、日本聖公会では「組織成立記念日」。むかしは「紀元節」と称されていた。今年はたまたまそれが日曜日に当たった。
画像に含まれている可能性があるもの:花、植物、自然、屋外

29磯野 眞紀子さん、丹羽 一二さん、他27人
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若月 新一 おはようございます。

Minae Moriwaki おやすみなさい。よい休息を。

文屋 善明
2018 日々の聖句 2月11日(日)
災いだ、主を避けてその謀を深く隠す者は。彼らの業は闇の中にある。彼らは言う。「誰が我らを見るものか、誰が我らに気づくものか」と。(イザヤ29:15)
真理に属する人は皆、わたしの声を聞く。(ヨハネ18:37)
私の黙想:
イザヤ書29章では冒頭に「アリエル」という地名が出てくる。原意は「神のライオン」であるが、実はエルサレムの別称で、イザヤ書の29章と33章にしか現れない。この章では、アリエル、つまりエルサレムの運命に関する言葉が綴られているが、神から攻められたり、エルサレムを攻めるものに対する神の反撃が書かれたりで、よくわからない。
今日の聖句に関しては、エルサレムの民の中で外敵と通じている者、つまり裏切り者(つまりスパイ)に対する「ヤハウェの呪い」の言葉である。何時の時代にも、またどこの民族でも、「売国奴」と呼ばれる人間はいる者で、彼らは誰よりも「祖国を愛する」とか「民族宗教に熱心な姿勢をとったり」、他人に対して「反日」だとか言って罵るが、実は裏では外敵に通じている者は存在する。
今日は「建国記念の日」、昔で言うと「天長節」、さも愛国者のような顔をして恭しく国旗を掲揚したり国歌を歌ったりするが、彼らが裏でやっていることはすべて見通しだ。

21磯野 眞紀子さん、宮田 真也さん、他19人

文屋 善明
今日の名言:@Schopenhauer0
誰かが嘘をついていると疑うなら、信じたふりをするがよい。そうすると彼は大胆になり、もっとひどい嘘をついて正体を暴露する。(ショーペンハウアー)
<一言>そうなんだ。バカの本音を聞こうと思ったら、批判するのではなく、賞賛したらいいのだ。

24Minae Moriwakiさん、瀧本 直子さん、他22人
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瀧本 直子 おはようござます、文屋先生!
この言葉、いただきます!

文屋 善明
これはシェアしなければならないでしょう。私もそう思う。今の学校で「良い子」は危ない。

「不登校は問題行動ではない」全学校へ向けて通知、知られずに1年~国と現場がかみ合わないカラクリ~(石井志昂) - Yahoo!ニュース
NEWS.YAHOO.CO.JP
https://news.yahoo.co.jp/byline/ishiishiko/20170914-00075450/

39瀧本 直子さん、木村 栄子さん、他37人
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北村 良輔 シェアさせていただきます(^^)

文屋 善明
今日は日曜日で病院は開店休業状態ですが、お医者さんの特別な計らいで、抗がん剤の点滴(4/7回)をしてくれるとのこと。

36Minae Moriwakiさん、磯野 眞紀子さん、他34人
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村田 多鶴子 今日の天敵はどうなるのかしら…と気になっておりましたが、予定通り行って頂けるとの事で良かったです~♪(^^♪

文屋 善明
「誘惑」か「試み」か。
イエスが荒れ野においてサタンから「試みられた」という記事に関して、それの訳語が面白い。<マルコ1:13、マタイ4:1,2、ルカ4:2>
文語訳、口語訳は、3個所とも「試み」と訳されており、新共同訳は3個所とも「誘惑」という単語に訳されている。
原語では同じ単語が用いられているのであろう。「誘惑」と「試み」とでは全然異なる意味を示している。どちらの方が相応しいのであろうか。
先ず、イエスが荒れ野でサタンから試みられたという記事を最初に書いたのはマルコである。そしてマルコはそのことについて、ただマルコでは「イエスは洗礼を受けられた後、霊によって荒野に送り出され、40日間そこに留まり、サタンから誘惑を受けた」ということだけが述べられており、誘惑の内容については何も述べられていない。実に素っ気ない。ところが、マタイとルカはその「試み」の内容に次いで、実にドラマティックに描いており、ほとんどの読者はマタイとルカによるドラマティックな物語の影響を受けている。それでいいのであろうか。特にマルコにおける「荒れ野での試み」はそれで済むのであろうか。
マタイとルカにおいては確かにサタンは「試験官」試験官であり、イエスは受験者である。そしてその試験の内容も詳細に述べられている。ところが、マルコにおいてはイエスはサタンから試験されたのではないし、試験の内容が明白でない以上、サタンは決して「試験官」ではない。その意味ではむしろ「誘惑者」といわれるべきではないだろうか。
これを「試みる」と訳すのはやはりマタイやルカに影響されているからであろう。誘惑という場合、誘惑者の存在もある場合もあるだろうが、むしろ誘惑される者の内面の問題でもある。その意味では、サタンが試験官として登場したというよりも、荒れ野での生活そのものがイエスにとって「誘惑」だったのではなかろうか。
この視点から、マルコによる福音書における「荒れ野での誘惑」物語を読み直す必要があるであろう。

22Minae Moriwakiさん、磯野 眞紀子さん、他20人
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文屋 善明 翻訳する際に、同じ原語を同じ日本語に訳そうとするところに無理がある。単語の持つ守備範囲の違いがある。

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