ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 10/11

2012-10-12 08:58:00 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。昨日は午前中、吉田茂を描いた『負けて、勝つ』第4巻と第5巻とを見た。講和条約の背景と米国との安保密約の経過が克明に描かれている。昭和天皇と鳩山一郎氏の描き方が粗い。吉田健一氏が彼の長男だということを初めて知った。辻学『隣人愛のはじまり』を再読。夕方、グローバルアリーナを散歩。夜は新シリーズ『相棒』を2時間、新相手役・成宮寛貴のキャラが面白い。10時半に就寝。6時に起床。体調快調。チュン、チュン。
posted at 06:04:04

門叶 国泰 吉田健一の娘が翻訳家の吉田暁子。この吉田暁子氏が、青山墓地にあった吉田茂夫妻の墓を横浜光明寺(浄土宗)に昨年移してしまいました。「吉田茂の死後洗礼(カソリック)は本人の意志ではなく、娘麻生和子が勝手にしたことである。麻生多賀吉・和子の墓(キリスト教)と並んであるのは不自然。吉田家の菩提寺にあるべき」という理由です。(文芸春秋2011-6、本人の随筆)

文屋 善明 ありがとう御座います。

門叶 国泰 吉田茂の墓は、佐藤栄作が季節ごとに参拝、また、麻生太郎家(関係者)が毎月献花しているので、何時行っても見事でした。

文屋 善明 いろいろ批判はありますが、あの時代、首相が吉田茂でなかったら乗り切れなかったでしょうね。やはりすごい政治家です。吉田茂とマッカーサーとの「友情」は心が癒されます。私は大好きです。

文屋 善明 吉田茂氏は典型的な外交官出身で生粋の政治家ですが、彼が後を託した池田勇人氏、佐藤栄作氏等は典型的な官僚です。彼ら以降が問題。(外交官は外務省の役人ですが、仕事柄、政治家でした。その後の外務省の役人は典型的な官僚型になってしまいました。)

#losungenj 10.11(thu)
あなたの心の悪を洗い去って救われよ。いつまで、あなたはその胸によこしまな思いを宿しているのか。(Jer4:14)
posted at 06:19:41
#losungenj 10.11(thu) わずかなパン種が練り粉全体を膨らませることを、知らないのですか。いつも新しい練り粉のままでいられるように、古いパン種をきれいに除きなさい。(1Cor5:5-6)
posted at 06:20:00
#losungenj 私の黙想:
南のユダ王国の首都エルサレムへの警告。外敵が襲ってくる前に国内の「悪=よこしまな思い」を取り除け。この場合、悪行とは「無割礼」(4節)、つまり神の民であることのしるしを無視すること、信仰の原点から外れることを意味する。神の嘆き、「まことに、わたしの民は無知だ。私を知ろうとせず、愚かな子らで、分別がない。悪を行うことにさとく、善を行うことを知らない」(22節)。
posted at 06:31:14

今日の名言:RT @wisesaw:
人はいつ死ぬと思う?心臓をピストルで打ち抜かれた時。違う!不治の病に冒された時。違う!!猛毒キノコスープを飲んだ時。違う!!!人に・・・忘れられた時さ!!!! (ワンピースのDR.ヒルルク)
<一言>この言葉は「今日の名言」に加える資格が十分にある。マンガ「ワンピース」を見直す。
posted at 06:50:34

今日のこころ旅、先ず朝のコヒー。そこで手紙を読む。高知県高岡郡興津海水浴場と松林。天ぷら屋で、道中いろんな人から声をかけられる。この番組もかなり有名になったようだ。荒い息、頑張れ、正平さん。興津坂トンネルを出ると、そこから海が見える。展望台からの眺め。人生下り坂最高。綺麗な所だ。
posted at 08:01:00

「昨日のツイート 10/10」をブログにアップしました。 http://t.co/RD91zhjf
posted at 08:42:51

FB『もしニーチェが短歌を詠んだら』026(141頁) 2012/10/11
生きるなら誰にも羞恥を与えずに自分に恥を覚えずにいよ
 『悦ばしき知識』第3書第274節、第275節
<付記> ニーチェは最も人間的なこととは何かと問い、誰にも恥ずかしさを感じさせないことと答え、解放された人間のしるしは何か遠い、自分自身を恥ずかしいと思わないこと、と答えている。さらに言うと、誰れを「悪い奴」と呼ぶかと問い、人に恥をかかせる人だと答えている。

FB<閑暇閑話023> 徒然草第240段 2012.10.11

久しぶりに、頭休みに、ダラダラと徒然草でもと思って開いてみると、面白い話で出くわした。600年前の日本人も恋愛結婚というものがあったのだ。

徒然草第240段
人目を避けて恋路を走り、仕掛けられたトラップを突破し、暗闇の中、逢瀬を求めて性懲りもなく恋人のもとへと馳せ参じてこそ、男の恋心は本物になり、忘れられない想い出にも昇華する。反対に、家族公認の見合い結婚をしたら、ただ間が悪いだけだ。
生活に行き詰まった貧乏人の娘が、親の年ほど離れた老人僧侶や、得体の知れない田舎者の財産に目がくらみ、「貰ってくださるのなら」と呟けば、いつだって世話焼き役が登場する。「大変お似合いで」などと言って、結婚させてしまうのは悪い冗談としか思えない。こういうお二方は、ご結婚後、いったい何を話すのだろうか。長く辛い日々を過ごし、嶮しい困難を乗り越えてこそ、問わず語りも尽きないだろう。
通常、見合い結婚は不満ばかりがつのる。美女と結婚しても、男の方に品がなく、みすぼらしく、しかも中年だったら、「自分のような男のために、この女は一生を棒に振るのか」と、かえってくだらない女に見えてくる。そんな女と向き合えば、自分の醜さをしみじみと思い知らされて、死にたくなるのであった。
光源氏は、満開の梅の夜、小麦粉をまぶしたような月に誘われて、女の家の周りを彷徨った。恋人の家から帰る朝、垣根の露をはらって消えそうな月を見た。こんな話にドキドキしない男は、恋愛などしてはいけないのだ。

<補遺>夜に見た「集団行動」は感動的であった。まさか、そういうことはないであろうが、軍国主義の復活を思わされる。しかし、若い頃にこういう経験をすることは非常に重要なことだと思う。

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