ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のFB 01/27

2017-01-29 10:20:00 | ツイッター
お早うございます。主の平和。午前、家内は整骨院へ。私は読書。昼寝30分。預言者ハバククの時代を調べる。北のイスラエルの崩壊(722)から南のユダの崩壊(598)までの124年間がはっきりしない。暖かい午後、久しぶりに釣川散策。夕食後、「科捜研の女」「就活家族」を途中まで見て9時半に就寝。6時過ぎに起床。熟睡。体温:36.4、血圧(145:73、73)・体調・快調、チュン、チュン。
24 播 稔さん、川染 三郎さん、他22人
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久保和男 文屋先生おはようございます。主の平和。

村田 多鶴子 おはようございます~♪
先生ご夫妻の今日の歩みが守られ祝されますようにm(__)m

文屋 善明
1月27日 6:28 ·

お目覚めの花。「今週ももう金曜日か」「何か忙しいなぁ」。「金曜日わたしの出番と黄水仙」。
画像に含まれている可能性があるもの:植物、花、空、屋外、自然

28 川染 三郎さん、真塩 ナナ子さん、他26人

文屋 善明
1月27日 6:52 ·

2017 日々の聖句 1月27日(金)
アブネルはヨアブに呼びかけて言った。「いつまで剣の餌食とし合うのか。悲惨な結末になることを知らぬわけではあるまい。」(2サムエル2:26)
イエスはペトロに言われた。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」(マタイ26:52)
私の黙想:
ダビデがイスラエル全体の王になるまでのサウル王の後継者争い。イスラエル族の内部ユダ族とベニヤミン族との紛争。これはサウル王とダビデとの正統性争い。イスラエルにおける王制は血統主義か一代限りか。この問題を根本的に解決しないまま、それが後々までイスラエル史の底に残っている。いわば今日の聖句はそれが一種の妥協によって解決された物語。

26 播 稔さん、東山 富昭さん、他24人
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佐藤 彰子 言葉も剣になると思うのです。なあなあではなく、言葉の剣を鞘に納める、という状態は、沈黙と祈りでしょうか?

播 稔 ルカ書22-35では、イエスは服を売ってでも 剣 を買いなさいと言っているのですが。 これは十字架いがいでは死ねないというためか。

Mizota Michael Satoshi ああそういう理解は面白い。。。では35節は何故書かれているんでしょう?

Mizota Michael Satoshi その剣が使われる場面は22章50節です。剣がなければ耳を切り落とせず、耳が切り落とされなければ、耳が癒されることはない。。。

Mizota Michael Satoshi 耳が癒されることがなければ、旧約は成就しない。

文屋 善明
1月27日 6:58 ·

今日の名言:@KarlMarxbot
机はもはや自分の脚で床に立つだけでなく、他のすべての商品に対して頭で立っている。そして机はその頭で妄想を展開する。それは机が踊りだすことよりはるかに不思議なことだ。(マルクス)
<一言>今日の名言はただ面白いから取り上げた。マルクスのユーモア。

21 川染 三郎さん、植村 光郎さん、他19人

文屋 善明
1月27日 6:59 ·

イミタチオ・クリスチ(379)
わがままと自信過剰とは天からの恵みの通路をふさぐ。神は私たちを通して善を行われようとするが、私たちの心がゆがんでいるために悪になってしまう。2:10:8~9

20 川染 三郎さん、芳賀 道子さん、他18人
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平野 宏 Amen.シェアさせていただきます。

文屋 善明さんが過去の思い出をシェアしました。
1月27日 7:03 ·

5年前から一つも成長していないな。
5年前
この日の思い出を見る

文屋 善明
2012年1月27日 ·
losungenj 2012.01.27(fri)
神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。わたしたちは決して恐れない。(詩46:2-3)
パウロの手紙:わたしは弱いときにこそ強いからです。(1コリント12:10)
私の黙想: こういう非常に信仰的な聖句を前にすると、私は縮み籠もって頭が働かなくなる。ただ「アーメン」とだけしか言えない。人はどういう場面でこういう言葉を口するのだろうか。信仰的に高められている時か、あるいは落ち込んでいる時か。おそらく後者であろう。

15 川染 三郎さん、Luke Etsuzou Nomahさん、他13人
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文屋 善明 「衰退」のまちがいか?

文屋 善明
1月27日 11:17 ·

「断想:顕現後第4主日の旧約聖書」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

14 川染 三郎さん、望月 克仁さん、他12人
コメント

福永 澄 数千年前も今も、あまり変わらないんですね。本質を見抜けずに権力に翻弄され、肝心な神と人との真実なやり取りを見失っているのでしょうね。

文屋 善明
1月27日 11:50 ·

「昨日のFB 01/25」をブログにアップしました。

BLOG.GOO.NE.JP

11 川染 三郎さん、望月 克仁さん、他9人

文屋 善明
1月27日 13:27 ·

今、テレビで横綱の表情云々(うんぬん)が話し合われているが、無表情が多い稀勢の里の、この一枚。これは傑作に属するだろう。(赤旗日曜版、1月29日付け)
画像に含まれている可能性があるもの:1人、スマイル

37 佐藤 彰子さん、萩原 友子さん、他35人
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石田 ひとみ ほんとうに、素敵です!
今回の稀勢の里関は、気迫がすごかったですよね。その気迫でつかんだ優勝……そして、この笑顔。
春場所が、今から楽しみです!(^O^)

文屋 善明
1月27日 15:42 ·

子供頃から聖書に慣れ触れてきて70年、私はどうやら大きな誤解をしていたようだ。以下の5つの年号を見て欲しい。
1003年(もちろん紀元前、以下同様)、これがダビデが即位した年号である。私はおよそ1000年と覚えてきたが、これは大したことではない。重要なのは、「998年」、ここで統一イスラエル王国が成立した。問題はここからだ。
次にチェックすべき年号は「926年」、この年にソロモン王が死んで王国が北のイスラエル王国と南のユダ王国とに分裂した。998年から「926年」まで72年間が、統一イスラエル王国が続いた期間だ。
そして首都サマリアがアッシリア帝国に占領されて、イスラエル王国が滅亡したのが、「722年」。つまり、分裂状態が204年続いたということである。このことは私の頭の中にはなかった。ほんの一寸の期間だと思い切っていた。分裂状態が204年も続けば、もう分裂状態というよりも、それが普通になるでしょうね。イスラエル国とユダ国、この両国をつないでいるのはエルサレムの神殿だけで、そこで行われるお祭りにはイスラエル国の人々も参加していたように思われるが、それもだんだん分かれていき、イスラエル独自の神殿が建てられたのでしょう。それが「サマリア人」。
次が、「598年」、南のユダ王国がバビロンに滅ぼされ第1次捕囚が始まった。722年から598年まで実にユダ王国単独時代が124年も続いている。124年といえばおよそ3世代である。この間に北のイスラエル王国の10部族はアッシリアの異民族消滅政策(民族混合政策)により、歴史上から消えてしまった。そしてダビデ時代の統一イスラエル12部族のうちのユダ族とベニヤミン族の2部族だけが残った。これが第1イザヤのいう「残りの者」である。
バビロン捕囚はバビロン帝国がペルシャ帝国によって征服した「538年」まで60年間続き、解放後祖国に復帰したユダ人たちが念願の第2次エルサレム神殿を再建したのが「518年」でそれまで20年もかかっている。
以上のように並べてみるまで、出来事の順序は知っていたがそれぞれの期間について実に曖昧にしか認識していなかった。特に、12小預言書を理解するためには、アッシリアの捕囚とバビロン捕囚との間の124年間が重要である。また、ダビデ時代からイエスまで約1000年のうち、518年の第2神殿再建以後の最も重要な後半の500年間の歴史認識はほとんどすっ飛んでいることに気がついた。

48 宮本 尚章さん、北村 良輔さん、他46人
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コメント

Mizota Michael Satoshi だから続編を排除したプロテスタントは歴史感覚がズレてしまうわけなんですよね。。。

文屋 善明 それはそうと「ユダヤ人」の「ヤ」はどこから入ってきたのでしょうね。

眞野 玄範 バビロン捕囚後、ペルシアの行政区の名前として「ユダヤ」という言葉ができたのですから、それ以前のイスラエルの民をユダヤ人というのは間違いですよね。

文屋 善明 なるほど、そうすると「イスラエル国」は722年に消滅しているのだから、いまさら「イスラエル人」というのもおかしいのでユダ国の「ユダ人」でしょうね。それをペルシャは「ユダヤ人」と言った、ということになりますよね。そうすると第2神殿を建てた頃は「ユダヤ教の神殿」で「ユダヤ人」ですね。

眞野 玄範 第二神殿ができた頃に起源は辿れても、実際に自他認める「ユダヤ人」というアイデンティティができたのはずっと後のことではないでしょうか。「ユダヤ人」という言葉は旧約の中でも最も遅く成立したごく限られた書にしかでてきませんし。ですから、昔と違って、今は第二神殿崩壊以前のユダヤの宗教は「キリスト教」を含めて「初期」ユダヤ教と呼び、いわゆるユダヤ教ないしは後期ユダヤ教というと、それ以後のラビ・ユダヤ教を指す言葉として使われるようになっていると思います。

文屋 善明 なるほど。

Mizota Michael Satoshi ローマ側の文書にはユダヤ人は結構出てきますけどね。まあ、外に出た結果としてユダヤ人が自己認識を持ちえた、という音かもしれませんが。

川井 勝太郎 こんな場所で質問するのも失礼ですが、丁度お話に
上がっている「イスラエル」「ユダヤ」そして
「へブル」と言う民族に付けられる名称に関して、...もっと見る

文屋 善明 私の問題は、「ユダヤ人」というのは「ユダ人」なのではないか、それを「ユダヤ人」と言い始めたのは、いつか、なぜかということです。

文屋 善明 むしろ日本語の問題かな。

Mizota Michael Satoshi この問題は面白い資料が見つかりましたので、あの部屋に貼っておきます。もし興味ありましたら未加入の方もどうぞ。

Mizota Michael Satoshi https://www.facebook.com/groups/509912482455179/
『「福音書」解読』プロジェクト/キリスト教社会工学研究機構
メンバー337人


Mizota Michael Satoshi マリヤも不可思議。

三浦 三千春 日本の「南北朝」は短いから、そこから錯覚が生じたものかも。

Mizota Michael Satoshi www

門叶 国泰 消えた十部族は、モーセが住んだ極東の地へ逃れ出た。極東とは? 石川県・羽咋にモーセの墓が! そこから京都へ出て行ったのが、十部族。だから、京都の女性の言葉は、「~ナー」とヘブル語に似ている。・・・広隆寺に十二あった井戸の一つ「いすら井(イスラエル?)」は現在も残っている。祇園祭の5番目の鉾の前懸は「イサクの嫁取り」!・・・真冬の一口話でした、お後が宜しいようで。(真面目な話の中に・・・失礼!)

文屋 善明 まだまだ、どうぞ、お続けください。

Mizota Michael Satoshi 青森のキリスト墓とか。。。

播 稔 門叶先生の話は有りうることとおもいます。

服部 弘一郎 イスラエル王朝の栄枯盛衰は、一度きちんと整理したいと思っています。サウル、ダビデ、ソロモンを過ぎた、王朝分裂以降が問題なんですよね……。次から次に王様が出てきては消えるので、何が何だかよくわからなくって。

Mizota Michael Satoshi わかる必要があるのかってことですけどね。聖書はそこまで求めているのかと。

服部 弘一郎 士師記と同じで、魅力的なエピソードも多いと思うんです。ただその記述の整理が面倒くさい。列王記と歴代誌を突き合わせないと、全体像が見えてこないし……。
子供向けの聖書物語では(大人向けでも同じかもしれませんが)、ソロモン王以降は全部省略してますよね。まあ聖書の理解としては、それほど重要なところでもないということなんでしょう。

Mizota Michael Satoshi やっぱり要らないですわ。学的興味を引くかどうかってだけならマニアな関心持ってやる人がいるかも。救済にしか目が向かないならいらんでしょう(とりあえずさしあたりは)。

Mizota Michael Satoshi (まあ私は救済には関心はあっても、学的興味は救済にないのですがそれでも食指をそそらない)。。。

服部 弘一郎 イスラエル王朝史はぐちゃぐちゃでドロドロの権力抗争史なので、欲望にまみれた人間ドラマとしての面白さはあると思います。ただキリスト教的な救済史で見ると、ソロモン王以降はどうでもいいんでしょうね。(ソロモンも本当はどうでもよさそうだけど。)

Mizota Michael Satoshi 客観的記述を目指すなら正直「救済」なんてどうでもいいですけどね。むしろ誰もが救われない書き方で冷淡に機械的に書いていくべきでしょう。まあそこから救済を読み取りたいと思う人は勝手にすればいいが。。。

Mizota Michael Satoshi だいたい救いだとか社会的教訓とか同情とかをを主観的にねじ込みたがるから、解釈が割れるんでしょう。結果だけ吐き出すぞ、ってくらいに覚めてなきゃ。

Mizota Michael Satoshi もっと言うと「人間ドラマ」ってのも関心ないですね。完全な年表で暗記できるように整理できたら、とりあえず成果ではないかと思います。

水草 修治 文屋先生 北イスラエルの初代の王ヤロブアム1世は、南ユダとたもとを分かつとすぐ、自国の民がエルサレム神殿に参拝に出かけるのを見て、すぐに身の危険を感じて、いわば国家神道を創設しています。
「12:26 ヤロブアムは心に思った。「今のままなら、この王国はダビデの家に戻るだろう。 12:27 この民が、エルサレムにある【主】の宮でいけにえをささげるために上って行くことになっていれば、この民の心は、彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、私を殺し、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。」
12:28 そこで、王は相談して、金の子牛を二つ造り、彼らに言った。「もう、エルサレムに上る必要はない。イスラエルよ。ここに、あなたをエジプトから連れ上ったあなたの神々がおられる。」
12:29 それから、彼は一つをベテルに据え、一つをダンに安置した。 12:30 このことは罪となった。民はこの一つを礼拝するためダンにまで行った。12:31 それから、彼は高き所の宮を建て、レビの子孫でない一般の民の中から祭司を任命した。
12:32 そのうえ、ヤロブアムはユダでの祭りにならって、祭りの日を第八の月の十五日と定め、祭壇でいけにえをささげた。こうして彼は、ベテルで自分が造った子牛にいけにえをささげた。また、彼が任命した高き所の祭司たちをベテルに常住させた。
12:33 彼は自分で勝手に考え出した月である第八の月の十五日に、ベテルに造った祭壇でいけにえをささげ、イスラエル人のために祭りの日を定め、祭壇でいけにえをささげ、香をたいた。」(2列王12章)

文屋 善明 そうだ、レビ族はどっちに着いたのだろう。はっきりしない。

服部 弘一郎 レビ族には嗣業の地がないので、どちらに付くとかはなかったんじゃないでしょうか。各地に別れて住んで、それぞれに祭事にまつわる仕事をしていたんでしょうね。

水草 修治 そうですね。それが神の意図されたことでしたが、ヤロブアムは国家神道のために新たに祭司階級を創設してしまいましたからね。それとの関係はどうなったんでしょう。

文屋 善明 しかし12部族の一つのであったことは間違いないので「失われた10部族」という場合、どちらに入るのか、もしユダ国ならばユダとレビ族と言直す必要が出てきます。その場合、ベニアミン族はどうなるのか。

服部 弘一郎 イスラエルの部族は全部で13あったんです。ヤコブの息子が12人。その子孫が12部族になるわけですが、エジプトの宰相になったヨセフの息子だけはマナセ族とエフライム族の2系統になります。ですから全部で13です。レビ族は嗣業の地を持たないので、イスラエル12部族の中には入りません。12部族+レビ族みたいな感じですね。

文屋 善明 そうでした。確かにそうでした。

平野 宏 シェアさせていただきます。文屋 善明
1月27日 19:54 ·

今晩は、珍しくNHKのドラマを見ている。寺島しのぶ主演の「東峰村・棚田と焼き物の村にTV局」。東峰村には何もないのか、何かあるのか。若者が村から出て行く。

16 小貫 ツマさん、Luke Etsuzou Nomahさん、他14人
コメント

大脇 友弘 同時鑑賞🤗

文屋 善明 シロウトがプロの役、プロがシロウトの役、これが絶妙に面白い。

大脇 友弘 そういう見方もありましたか!

文屋 善明 若年性認知症の問題。深刻やな?

文屋 善明 それを聞かされた娘の悩みは深い。

大脇 友弘 すこぶる現代的なテーマ。
…きっと暖かい家族模様を描いてくれるでしょう。

文屋 善明 ただの荷物じゃない。私の宝もんじゃけん。

文屋 善明 いい作品だった。

大脇 友弘 でした!
あれ?もう終わったの⁉︎でした。心地よい余韻。

大脇 友弘 かつて、陶友を教育テレビの全国版に30分番組にしてくれた若いディレクターが、このシリーズ(嘉穂劇場を舞台にした)のディレクターしたこともあり、シリーズのファンです。
福岡発に限らず各地のNHKが地域発を作っており、良いものを作ってますね。


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