いったいあなたとは何なのでしょう。
ご存知ですか。
自分だと思っておられるのは、その身体を通して表現されている一面だけです。
それは奥に控えるより大きな自分に比べればピンの先ほどのものでしかありません。
ですから、どれが自分でどれが自分でないかを知りたければ、まずその総体としての自分を発見することから始めなくてはなりません。
これまであなたはその身体に包まれた〝小さな自分〟以上のものを少しでも発見された経験がおありですか。
今あなたが意識しておられるその自我意識が本来のあなた全体の意識であると思われますか。
お分りにならないでしょう。
となると、どれが普段の自分自身の考えであり自分自身の想像の産物なのか、そしてどれがそのような大きな自分つまり高次元の世界からの霊感であり導きなのか、どうやって判断すればよいのでしょう。
そのためには正しい物の観方を身につけなくてはなりません。
つまりあなた方は本来が霊的存在であり、それが肉体という器官を通して自己を表現しているのだということです。
霊的部分が本来のあなたなのです。
霊が上であり身体は下です。
霊が主人であり身体は召使いなのです。
霊が王様であり身体はその従僕なのです。
霊はあなた全体の中の神性を帯びた部分を言うのです。
それはこの全大宇宙を創造し計画し運用してきた大いなる霊と本質的には全く同じ霊なのです。
つまりあなたの奥にはいわゆる〝神〟の属性である莫大なエネルギーの全てを未熟な形、あるいはミニチュアの形、つまり小宇宙の形で秘めているのです。
その秘められた神性を開発しそれを生活の原動力とすれば、心配も不安も悩みも立ちどころに消えてしまいます。
なぜなら、この世に自分の力で克服できないものは何一つ起きないことを悟るからです。
その悟りを得ることこそあなた方の勤めなのです。
それは容易なことではありません。
身体はあなたが住む家であると考えればよろしい。
家であってあなた自身ではないということです。
家である以上は住み心地をよくしなければなりません。
手入れが要るわけです。
しかし、あくまで住居であり住人ではないことを忘れてはなりません。
この宇宙をこしらえた力が生命活動を司っているのです。
生命は物質ではありません。
霊なのです。
そして霊は即ち生命なのです。
生命のあるところには必ず霊があり、霊のあるところには必ず生命があります。
あなた自身も生命そのものであり、それ故に宇宙の大霊との繋がりがあり、それ故にあなたもこの無限の創造進化の過程に参加することができるのです。
その生命力は必要とあらばいつでもあなたの生命の井戸からくみ上げることが出来ます。
その身体に宿る霊に秘められた莫大なエネルギー、あなたの生命活動の動力であり活力であり、あなたの存在を根本において支えている力を呼び寄せることができるのです。
あなた方にはそれぞれにこの世で果たすべき仕事があります。
それを果たすためにはこうした知識を摂取し、それを活力としていくことが必要です。
霊に宿された資質を自らの手で発揮することです。
そうすることは暗闇で苦悩する人々に光を与える小さな灯台となることであり、そうなればあなたのこの世での存在の目的を果たしたことになります。
宇宙にはある計画に沿った〝摂理(キマリ)〟というものがあります。
私たちはそれにきちんと合わさるように出来上がっているのですが、それに合わすか否かは本人の意志による選択の自由が与えられています。
東洋の諺に〝師は弟子に合わせて法を説く〟というのがあります。
霊的に受け入れる準備ができればおのずと真理の扉が開かれるのです。
こちらから求めなくても良いのです。豁然と視野が開き、そこから本当の仕事が始まります。
と言っても私どもはあなた方の生活から問題も悩みも苦しみもなくなるというお約束はできません。
お約束できるのは全ての障害を乗り越え、不可能と思われることを可能にする手段をあなた方自身の中に見出すようになるということです。
内部に宿る資質の中の最高のもの、最奥のもの、最大のものを発揮しようと努力する時、私ども霊界の者の中であなたに愛着を感じ、あなたを援助することによって多くの人々の力になりたいと望む霊を呼び寄せることになるのです。
ご存知ですか。
自分だと思っておられるのは、その身体を通して表現されている一面だけです。
それは奥に控えるより大きな自分に比べればピンの先ほどのものでしかありません。
ですから、どれが自分でどれが自分でないかを知りたければ、まずその総体としての自分を発見することから始めなくてはなりません。
これまであなたはその身体に包まれた〝小さな自分〟以上のものを少しでも発見された経験がおありですか。
今あなたが意識しておられるその自我意識が本来のあなた全体の意識であると思われますか。
お分りにならないでしょう。
となると、どれが普段の自分自身の考えであり自分自身の想像の産物なのか、そしてどれがそのような大きな自分つまり高次元の世界からの霊感であり導きなのか、どうやって判断すればよいのでしょう。
そのためには正しい物の観方を身につけなくてはなりません。
つまりあなた方は本来が霊的存在であり、それが肉体という器官を通して自己を表現しているのだということです。
霊的部分が本来のあなたなのです。
霊が上であり身体は下です。
霊が主人であり身体は召使いなのです。
霊が王様であり身体はその従僕なのです。
霊はあなた全体の中の神性を帯びた部分を言うのです。
それはこの全大宇宙を創造し計画し運用してきた大いなる霊と本質的には全く同じ霊なのです。
つまりあなたの奥にはいわゆる〝神〟の属性である莫大なエネルギーの全てを未熟な形、あるいはミニチュアの形、つまり小宇宙の形で秘めているのです。
その秘められた神性を開発しそれを生活の原動力とすれば、心配も不安も悩みも立ちどころに消えてしまいます。
なぜなら、この世に自分の力で克服できないものは何一つ起きないことを悟るからです。
その悟りを得ることこそあなた方の勤めなのです。
それは容易なことではありません。
身体はあなたが住む家であると考えればよろしい。
家であってあなた自身ではないということです。
家である以上は住み心地をよくしなければなりません。
手入れが要るわけです。
しかし、あくまで住居であり住人ではないことを忘れてはなりません。
この宇宙をこしらえた力が生命活動を司っているのです。
生命は物質ではありません。
霊なのです。
そして霊は即ち生命なのです。
生命のあるところには必ず霊があり、霊のあるところには必ず生命があります。
あなた自身も生命そのものであり、それ故に宇宙の大霊との繋がりがあり、それ故にあなたもこの無限の創造進化の過程に参加することができるのです。
その生命力は必要とあらばいつでもあなたの生命の井戸からくみ上げることが出来ます。
その身体に宿る霊に秘められた莫大なエネルギー、あなたの生命活動の動力であり活力であり、あなたの存在を根本において支えている力を呼び寄せることができるのです。
あなた方にはそれぞれにこの世で果たすべき仕事があります。
それを果たすためにはこうした知識を摂取し、それを活力としていくことが必要です。
霊に宿された資質を自らの手で発揮することです。
そうすることは暗闇で苦悩する人々に光を与える小さな灯台となることであり、そうなればあなたのこの世での存在の目的を果たしたことになります。
宇宙にはある計画に沿った〝摂理(キマリ)〟というものがあります。
私たちはそれにきちんと合わさるように出来上がっているのですが、それに合わすか否かは本人の意志による選択の自由が与えられています。
東洋の諺に〝師は弟子に合わせて法を説く〟というのがあります。
霊的に受け入れる準備ができればおのずと真理の扉が開かれるのです。
こちらから求めなくても良いのです。豁然と視野が開き、そこから本当の仕事が始まります。
と言っても私どもはあなた方の生活から問題も悩みも苦しみもなくなるというお約束はできません。
お約束できるのは全ての障害を乗り越え、不可能と思われることを可能にする手段をあなた方自身の中に見出すようになるということです。
内部に宿る資質の中の最高のもの、最奥のもの、最大のものを発揮しようと努力する時、私ども霊界の者の中であなたに愛着を感じ、あなたを援助することによって多くの人々の力になりたいと望む霊を呼び寄せることになるのです。