スピリチュアリズムに出会い
生き方が180度かわりました
シルバーバーチの霊訓を人生の指針としています
良い心がけが無駄に終わることはありません。
地上においてもこちらの世界においても、絶対にありません。
そのことを常に念頭に置いておいてください。
真心から出た思念、行為、人のためという願いは、いつか、どこかで、だれかの役に立ちます。
そうした願いのあるところには必ず霊界から援助の手が差し向けられるからです。
地球人類は今まさに危機の真っ只中にあります。
何事につけ誕生には苦しみが伴うものです。
新しい秩序の誕生にも大きな苦しみが伴います。
その誕生が近づくにつれて苦痛も増大してまいります。
しかし間違いなく言えることは、その新しい世界の種子がすでに地上界に根づいているということです。
既得権力の座に安住している者たちがいかなる策を弄しても、それは功を奏さないでしょう。
イエスは「天に為される如く地にも為されるであろう」と二千年前に述べております。
それがもうすぐ実現しようとしています。
これからも地上には幾つもの大変動が生じます。
崩壊もあれば隆盛もあるでしょう。
皆さんには暗黒と苦難の時代の到来のように思えるかも知れません。「大変な時代になった……」そうおっしゃるかも知れません。
しかし、そうした変動の背後には地上世界へ向けての大きなエネルギーの働きがあるのです。
こうして地上世界のための仕事に従事している私たちの多くは、これから先の地上はこうなるという未来像を見せていただいております。
それを受け入れる能力のある地上の同志に伝え、挫けがちな心を鼓舞しております。
私が見せていただいた未来像に比べると現在の地上世界がとても醜く見えます。
が、私には地上世界はこれほどまで立派になり得るのだ、こうならねばならないのだということが分かっております。
あとは“時間”の問題です。
それを早めるのも遅らせるのも人類の自覚一つに掛かっております。
そのうち、政治も宗教も科学も学問もある一つのものの側面に過ぎないことが理解できる、新しい人類が現れるでしょう。
その人類にとっては痛みも心配も喪の悲しみも不幸もなく、笑顔と明るい笑い声の世界となるでしょう。
が、現段階の不幸に満ちた地上世界で最も人徳があるとされる人間は、他人の悲しみを取り除き生活を楽にしてあげられる人です。
それほど不幸な人が多いということです。
これまでの人間は、何か良いものを手に入れると、それを人のために使用せずに独り占めにしようと画策し、結果的には、いずれ崩壊するに決まっているような社会組織を構築しようとしてきました。
なぜなら、その基盤が間違っているからです。
大霊からいただいた資質を発達させ、それを人のために役立てる方向で使用するようになれば、永遠なるものを基盤とした社会組織が構築されるでしょう。
私たちが説いていることは決して新しいものではありません。
霊的な視野をもつ人々がずっと説き続けている古くからある真理です。
それを大方の人間が顧(かえり)みようとしなかっただけです。
そこで私たちが改めて説き、大霊の摂理というものがあることを指摘する必要が生じたのです。
人類は自らの間違った考えによって地上界を破滅の寸前にまで追いやっております。
今こそ人類は大霊とその摂理へ回帰しなくてはいけません。
イヤ、すでに回帰しつつあります。
私の目には、ゆっくりとではありますが、大霊の摂理が地上界に具現しつつあるのが見えます。
何よりもまず人類が知らなくてはならないのは、大霊の恩寵はみんなで分け合わなくてはいけないということです。
現在の地上には今日の食べものに事欠く人がいる一方で、有り余るほど貯えている人がいます。
もちろんこれは間違っています。
余るほど持っている人は足らない人に分けてあげなくてはいけません。
別に難しいことではないと思うのですが……
また既得権を取り壊す必要があります。
摂理は寸分の狂いもなく働きます。
あなた方が自分のことを忘れて人のために精を出す時、あなた方を通して大霊が働くのです。
あなた方だけではありません。
人間の全てに言えることです。
それは無理ですとおっしゃるかも知れませんが、私は可能だと申し上げます。
それが人間としての正しい生き方だからです。
摂理は完ぺきで、ごまかすことは出来ません。
その摂理を一つでも多く学び、それを実行に移さなくてはいけません。
長いあいだ人類は、本当は取り壊すべきものを構築することに自由意志を行使してきました。
その結果として生じた暗闇に、今ゆっくりと大霊の光が射し込みつつあり、混乱と無秩序の中から新しい世界が生まれつつあります。
そこには最早や持つ者と持たざる者といった不平等も不公平も差別もなく、大霊からの賜(たまもの)が全ての子等に平等に分け与えられるようになることでしょう。
その新しい世界をどのような用語で呼んでも構いません。
要するに大霊の意思に適った世界の成就――大霊の霊力はもとより、新しいタイプの喜び、新しいタイプの人生、新しいタイプの幸せを求める誠心誠意の人間の貢献によって、これ以上霊界へ“出来損ない”(死後に地縛霊となってしまうような人間)を送り込まなくなるような世界のことです。
時としてその誠心誠意の努力が無駄に終わっているような感じを抱かれることがあるかも知れません。
しかし、そういう時でも、世界中のあらゆる所で、あらゆる人々が、自覚するしないに関係なく、新しい世界の夜明けのために活用されているのです。
大霊は我が子が破滅の道へ向かうのを黙って見ているわけには行かないのです。
私があなた方に援助をお願いするのはそのためです。
そうした努力を“政治”と呼ぶかどうかは、私には関心はありません。
とにかくそうした働きかけは絶え間なく続けられています。
地上界と霊界の協力です。
もはやそれをストップさせることは不可能です。
そうした一体の努力で私たちが物質界の到るところで大きな仕事を成就していることを誇りに思っております。
悲しみに暮れていた心が明るくなっております。
地上の暗闇に光が射し込んでおります。知識が無知を、まだ僅かではありますが、駆逐しております。
生きる意欲を失った人々を勇気づけ、人生に疲れた人々に力を与え、道を見失っている人々に導きを与え、同胞のためにボランティア的に働いている人々には援助を与えると同時に、その背後には、大霊とその子等のための仕事を鼓舞する霊の大軍が控えているとの自覚を植えつけようとしております。
「私はなぜこんな目に遭うのでしょう」
こんな目に遭うという言い方のウラには、その災難を何かのバチと受けとめている心理が働いている。
しかし事実はそうではなく、その原因はみずから呼び寄せている場合が多い。
信念のない人間には迷いとイライラがつきまとう。
それだけで潰瘍が生じることもある。
ではその潰瘍は迷いとイライラのバチかというと、それは観方一つだ。
バチが当ったのではなく、イライラの心が潰瘍を生じることを知らずに間違った心の姿勢を続けたその結果にすぎないと受けとめれば、単なる因果律の働きにすぎない。
人間の悩みの大半は、存外、人間みずからが引き寄せているものだ。
つまり悩みとして受けとめているにすぎない。
実際は悩みでもなんでもないことなのだ。
といって私は人間に悩みや苦しみはないと言っているのではない。
確かにある。
がそれは悩みではなくて神が与える試練なのだ。
つまりそれにどう対処するかであなたの真価が問われる重大な時なのだ。
神は人間を深みに連れて行くことがある
おぼれさせようとするのではない
魂の洗濯をさせるためだ
これは私がよく患者に引用して聞かせる言葉である。
挫けてはいけない。
勇気をもって事に当ることだ。
なぜこんな目に、という疑問をもつということは、あなたが真理を求めようとしはじめた一つの表われでもあるのだ。
「あなた方は物質をまとった存在です。身を物質の世界に置いておられます。
それはそれなりに果たすべき義務があります。
衣服を着なければなりません。家が無くてはなりません。
食べるものが必要です。
身体の手入れをしなくてはなりません。
身体は、要請される仕事を果たすために必要なものをすべて確保しなければなりません。
物的身体の存在価値は基本的には霊の道具であることです。
霊なくしては身体の存在はありません。
そのことを知っている人が実に少ないのです。
身体が存在出来るのはまず第一に霊が存在するからです。
霊が引っ込めば身体は崩壊し、分解し、そして死滅します。
いかなる体験も魂の成長にとっては何らかの役に立つことを知ります。
その認識のもとに一つ一つの困難に立ち向かうようになり、首尾よく克服していくことでしょう。
そのさ中にあってはそうは思えなくても、それが真実なのです。
あなた方もいつかは私達の世界へお出でになりますが、こちらへ来れば、感謝なさるのはそういう暗い体験の方なのです。
視点が変わることによって、暗く思えた体験こそ、そのさ中にある時は有難く思えなくても、霊の成長をいちばん促進してくれていることを知るから
今ここでそれを証明して差し上げることはできませんが、こちらへお出でになればみずから証明なさることでしょう。
最近、当たり前のこと感謝することを忘れていた。
だから問題が起きても引っかかることが多かった。
今までもそうなんだけれど
天狗になった鼻をへし折られ
謙虚に生きることに気づかされる。
問題や困難があって
軌道修正をかけられているな。