神の作った摂理のため、地上にいる限り何らかの苦しみ・困難は生じてくるものです。
何も苦しみのないように見える人でも、その人なりの苦しみは必ず持っています。
地上にいる人で、苦しみから解放されている人はいません。
苦難は私達地上の人間にとって宿命であり、逃れることができないものなのです。
ゆえに私達は、苦しみや困難のない人生や将来を考えたり期待してはなりません。
もしそうした将来を期待しているとするなら、スピリチュアリズムの教えからズレた考え方です。
これからも苦難はやってくると覚悟しておくべきでしょう。
私達の人生には愛する人との死別は必ず訪れます。
不治の病や事故のために一生入院するようなことになるかも知れません。
また家族の看病のために余生の大半を費やすようなことになるかも知れません。
会社が倒産したり、リストラの対象になって失業するような事態が生じるかも分かりません。
さらには子供の非行や犯罪といった事件が持ち上がったり、家庭内で人間不和の渦に巻き込まれ、非難・中傷の的になるような辛い目にあうかも知れません。
職場において誤解から嫌われ、居場所がないような日々を過ごすようになるかも分かりません。
このように地上にいる以上苦難は避けられないものですが、それに対する心がまえ・考え方に二つの方向性があります。
一つはそれを善いものとして受け止めることです。
自分の成長にとって必要なもの、あるいは過去に自分が犯した摂理違反(利己的生き方)に対する償いとして、プラス的に考えることです。
もう一つがマイナス的な受け止め方です。
不平不満の思いを持ってイヤイヤ受けて行くものです。
しかし、そうしたマイナス思考の歩みでは、せっかくの魂の向上のチャンスを失うことになります。
苦しみ・困難によって心がひねくれたり、神や他人への不信感だけを募らせたり、利己的な自分なりの殻の中に閉じこもってしまうことになりかねません。
しかし、現実にはこうした人々が大半なのかも知れません。
シルバーバーチのような高級霊が苦しみの意義を強調しているのは、霊的真理を知って、苦しみに対して正しい対処をして欲しいと願ってのことです。
霊的真理があって、はじめて苦しみの意義が理解できます。
そして苦しみや困難を高いところから見下ろすことができるようになります。
これが霊的真理を知ったスピリチュアリストと、霊的真理を何も知らない人との違いでしょう。
霊的真理を活用して現実の人生を考えてこそ、真理を知った意味があるのです。
毎日良いことも悪いこともいろんなことがある。
困難に対する意味や、姿勢がわかれば、これほど心強いことはない。
といっても、もがいて、反省して、考えて
簡単にクリアできるわけではないけれど、経験して、乗り越えていくしかない。
自分にとって乗り越えられない困難は与えられない
大丈夫!