私たちは協同して働かねばなりません。
皆さんは肉体において、私共は霊において、人類がいま飢えているものをもたらすために。
我れらは人類の維持とその成長に必要なものを届けねばなりません。
世間ではお互いが批判するのは常識になっています。
他人の過ちを見るのは易しいことです。
しかし、イエスは自分の目を己が行為と想念に向けよと言いました。
そしてやさしく忠告しました、他人を非難する前に自分の中を見なさいと。
自分に厳しくありなさい、だが他者には思いやりを持ちなさい。
これは容易なことではありません。
だが、皆さんの一つ一つの想念と行為が、すべての生きものを助けるか、進歩を疎害するか、そのどちらかをしているのです。
皆さんは大声で言うでしょうな、「そんな!私の小っぽけな想念や行為など全体に吸収されてしまいますよ。
いくらなんでも、生命にそんな影響を及ぼすなんて」と。
太古の聖者たちはいつも弟子たちに教えていました、すべてのことが個人の想念と行為にかかっている、一人一人の人間の努力にかかっていますぞと。
またこうも教えました、おのおのの個人の魂が進歩に、物の生命の進化に責任を負っていると。
過ぎし時代において、人類は深みに落ち、鉄の箱に入れられるように、物質の中に入れられました。
いま徐々に解放されつつあります。
皆さん、心に記されよ、多くの人々にとり、世俗の心はどうしても打破できない鉄の箱のようなものです。
人間は今ゆっくりと次第次第に、だが確実に、自分を束縛から解放し始めています。
人間は自らを解放せねばなりません。
この解放の鍵は、神が人間の心臓に植え込まれた光であります。
最近、私の働く介護施設の事務職員さんの態度に腹が立つことが連続であり、挨拶しても無視され、露骨な態度に、文句の一つでも言ってやろうかと、思うほどだったんだけど・・
同じ土俵に上がらず、霊的真理にしがみついて、自分の霊性を上げるチャンスと思い
そんな相手にも愛を持って接しないとと思いつつ、簡単なようで、なかなか難しかった。
私の想い、行動が先につながっていく。
自己鍛錬だ。
花ニラ
ちょっとピンボケしちゃってます。