散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

秀吉を描くことの難しさ

2016年07月17日 | ドラマ
秀吉を描く、のは難しいですね。例えば司馬さんの「新史太閤記」は「家康の上洛」で終わっています。秀吉の死の10年以上前です。侵略者秀吉を描かなかったという批判は当たってなくて、「描けなかった」が正解だと思います。大河「秀吉」(竹中直人)でも、朝鮮侵略や秀次切腹、側室皆殺しはまともには描かれません。

一つには韓国との関係もあるでしょう。ただし司馬さんが「太閤記」を書いた時、日本と韓国の国交は「あってなきようなもの」で、ある意味今より簡単でした。朴政権が暗殺によって倒れたのが、1979年。あの頃は実質断絶状態でしたから、今より難しくなかったのです。対話がないのですから。

韓国では秀吉は大悪人ですね。今は秀吉をどう描くか、に興味をもっている韓国の方も多いでしょう。それから逆に、反韓国の人も国内にいます。そういう人たちも秀吉の描き方を厳しくチェックするでしょう。一言でいえば「政治性をはらんで」しまう。

だから秀吉の描き方は難しいのです。

大河「秀吉」では大政所の「なか」が、唐入り(朝鮮出兵)に大反対します。他の人々もそうです。最近までの朝鮮出兵(侵略)の描き方はだいたいそうでした。しかし、「真田丸」はそこをスルーしています。大政所は全くの田舎の老女で、秀吉に意見する人間として設定されていないのです。だから当然のごとく、秀吉が気絶したという伝説がある、有名な「大政所の死」も描かれませんでした。

まあ、この文章だって、唐入りと書いたり、朝鮮出兵と書いたり、朝鮮侵略と書いたり、用語が定まらないから、色々書き方が変わっています。

秀吉が目指したのは「明の征服」です。「朝鮮は通り道」ぐらいの認識でした。だから「唐入り」、「明出兵」が正確なのかもしれませんが、明には全く届かず、朝鮮で秀吉は敗れます。

三谷さんも苦労しているように思います。

秀吉は「もうろく」して出兵した、ってのは国内の受けが悪いので否定します。そして秀吉は国内の戦意を他に向けるために出兵、とします。後者は普通の説ですね。今までは「かなりもうろくした挙句、国内の戦意を他に向けるために出兵」ってのが通説でした。前者のみ否定します。

利休切腹、これは韓国とは関係ありません。今までは三成らの策謀。今回は三成を「よく描く」わけですから、「利休が敵にものを売った。それを大谷刑部が政治問題化した。」ってことにされています。

秀次切腹、これは秀吉のもうろく、それから三成、茶々ら近江派がそこにつけこんで行ったという風に描かれることが多かった。今回は、秀吉も秀次も、三成も茶々も「よく描く」ことになっているようで、「誰も悪くない。秀次が勝手に不信、不安に陥って切腹」となっています。秀吉はかわいさあまって憎さ百倍、側室子供を皆殺し、と全然筋の通らない行動をとります。史実と「よく描く」という方針の間で苦労し、かなりというか全くもって無理な脚本になってしまいました。「かわいかった」なら、なんで「側室子供皆殺し」なんでしょうか。

難しいのだな。と思います。

どうも「まとめ」ができないので、新史太閤記(司馬さん)の終わり方に触れておきます。

家康上洛で、終わることはもう書きました。家康は秀吉に羽織をねだり、「自分が戦をする。二度と殿下に陣羽織は着させません」と言います。有名なシーンです。

新史太閤記は「その夜」で終わります。

ねね、が言います。よく徳川殿がそのようなことを申されましたね、と。

それに対して、秀吉が応じます。「なに、狂言よ」

そして、秀吉は自分の今までの人生がずっと狂言であったように感じた。

新史太閤記の終わり方です。まとめがない文章ですが、眠くなってきたので以上です。

真田丸のルソン助左衛門

2016年07月17日 | ドラマ
ルソン助左衛門には「思い入れが強い」ので、二度目の投稿です。

真田丸のルソン助左衛門の人物像は、ほぼ昔の大河の人物像と同じです。「力を持つと人は変わります。手前はそのような無理無体に対して、常に戦いを挑んできました」、こう助左衛門は言います。

黄金の日々は1978年の放映で、「強いものにつく」ことが「かっこ悪かった」時代です。今とはだいぶ違いますね。

「このルソン助左衛門、あらゆる弱き者たちの守り神でござる」とも言います。(真田丸の中で)

それはちょっと、でしょうか。なぜなら「助左衛門自身がずっと弱き者」だったからです。「黄金の日々」とあるから主人公が黄金の生活をしているかと言えば、全く違います。最後の最後まで、彼は社会の底辺近くにいますし、豪商となってからは、権力者の迫害を受けて、結局日本を脱出します。

「黄金の日々」は実に不思議な大河ドラマでした。ほとんど架空の存在であるルソン助左衛門が主人公。副主人公が二人いて、一人は信長を撃ったといわれる杉谷善寿坊(川谷拓三)、もう一人は石川五右衛門(根津甚八)です。

杉谷善寿坊なんて「信長公記」にちょっと出てくるだけの人です。よくもまあ、副主人公に据えたものです。最期はのこぎり引きで死刑。そりゃ悲惨なシーンでした。石川五右衛門は暴走する権力者、秀吉暗殺をくわだて、釜茹でとなります。

当時は大学生にもなってませんから、そんなに深く考えませんでしたが、あの大河はなんだったのでしょう。

今、DVDを見返してみると、「自由都市堺が主人公だ」ということはわかります。中世近世において、日本が自由貿易を行ったごく「短い期間」、それを原作者、脚本家は「黄金の日々」としたのです。

最後の最後、ルソン助左衛門たちは、堺を離れ、ルソン移住を決意します。(何度も書きますが、史実とはNHKも言っていません)

堺を焼き、堺を離れるとき、助左衛門はこう言います。「自分たちは堺を捨てるのではない。自分たちが境を持ち去っていくのだ。堺とは場所ではない。自由に貿易ができるところ、それがわれわれにとっての堺なのだ」と。

「黄金の日々」という作品の主題は、ほぼこの言葉に「濃縮」されていると考えます。




真田丸 黄金の日々 ルソン助左衛門

2016年07月17日 | ドラマ
真田丸で松本幸四郎さん演じる「ルソン助左衛門」が復活しました。

私は三谷さんと同世代ですから、その気持ちよく分かります。

ルソン助左衛門、大河「黄金の日々」の主人公です。極めて特殊な作品で、全編がほぼ架空というドラマです。

主人公も架空ですし、その他の人々の描き方も「史実はあえて無視する」という姿勢でした。

長大な恋愛劇でもあるのです。松本幸四郎(当時市川染五郎)さんと栗原小巻さん。二人の身分を超えた愛情関係がずっと描かれ、そして最後は「結ばれない」のです。「来世では私の女房になってください」「はい」というが最後の二人のシーンです。

思春期だったので、この長大な恋愛劇には心を動かされました。

私は中学生ぐらいで、ゴールデンウイークのことを「黄金の日々だ」と言って友人と笑っていた、なんて思い出もあります。

今、配役を調べてみました。よくよく見ると、松本幸四郎さん以外、露出がないか、亡くなった人ばかりです。

亡くなった方。秀吉の緒形拳さん。利休の鶴田さん。豪商今井の丹波さん、林隆三さん。副主人公、杉谷善寿坊の川谷拓三さん。
夏目雅子さん。

引退された根津甚八さん。ほとんど露出がなくなった栗原小巻さん。ちなみに栗原さんは、吉永小百合さんと人気を二分した美人女優です。

今でもよく見る方は、石坂浩二さん。竹下景子さん。あと鹿賀さんというような方々でしょうか。そういえば鹿賀さんも最近あまり拝見しません。

自分では若いつもりですが、こう考えると自分がいかに「古い人間」かがわかります。

話は飛びますが、当時の竹下景子さん。まだ子供風であどけなく、実にかわいい方でした。石坂さんはこの作品の遥か前に「天と地と」で大河の主役をやっています。そして今も活躍している。凄い方だなと思います。

栗原小巻さんを拝見したいな、と思います。それから露口茂さん。露口さんは「太陽にほえろ」の「山さん」ですが、大河でも欠かせない俳優さんだったのです。

流石に松本幸四郎さんも年をとりましたが、あの「ルソン助左衛門」をこうしてみることができるのは、嬉しい限りです。

真田丸 受難 感想

2016年07月17日 | ドラマ
自分の意見を書く前に、内容をちょっとだけ「まとめ」ます。あと、基本「真田丸」は「おもしろい」とは思っていることも承知しておいてください。

まず、秀次は秀吉に対する不信が高じて、まあ勝手に切腹したことになってます。秀吉は本当は秀次がかわいかったのですが、親の心、子知らず、可愛さあまって憎さ百倍。で、側室と子供たちを皆殺し。今回はねねも積極的には止めません。秀吉は三成に、「私が高野山に追放し、切腹させたことにしろ」と命じます。(何故?)
ただし、娘の一人だけは、幸村(信繁)が助け、ルソン助左衛門に頼んで、ルソンに逃がします。

まあ、こんな内容です。

でNHKのテレビ欄をみると「秀次切腹の真相」と書いてあります。

三谷さんはいいのです。脚本家なんだから、どう書こうが自由です。

でもNHKの「真相」はないでしょう。良心があるなら「この番組はフィクションであり」とすべきです。

歴史を何にも知らない子供たちが、「本当に真相だ」と思ったどうするのでしょう。「フィクションだ」なら許せますが、「史実だ」というなら絶対にありえません。

当時のどんな資料(手紙とか公文書とか日記)を見ても、そんなこと書いている資料はありません。

三谷さんがどんな脚本を書こうが、それは自由。でもNHKがそれを「真相として宣伝」するのはアウト。それが私の意見です。