散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

真田丸 石田三成と大谷刑部

2016年07月18日 | ドラマ
真田丸、出てくる人がみんな「いい人、それなりの人物」として描かれています。真田を描くなら、家康は普通は悪者になってしまうのですが、全くもって「憎めない弱虫家康」です。

秀吉も冷たいけど、いい人。秀次もいい人。真田関係者はもちろんいい人。茶々もいい人。ねねもいい人。上杉景勝も、北条氏政も、みんなみんな「いい人」です。

そして石田三成も「いい人」です。考えてみると、一番ワルとして描かれたのは、武田勝頼を裏切った「温水さん」じゃないかと思います。それぐらい、誰もかれもがいい人です。

石田三成という人は、戦後一度として国民的人気を得たことがない人です。司馬さんは「義の人」として三成を「救済」しましたが、その作品。「関ケ原」はNHKでは映像化されていません。TBSの特番で昔映像化されましたが。このあたり、チェックが厳しい場合もあるので触れておきますと、「功名が辻」の石田三成、橋之助さんが演じた三成は、「司馬関ケ原の三成」です。「功名が辻」自体が司馬さん原作ですから当然なんですが、あれが司馬さんが描いた三成です。

江戸時代、家康と戦った三成はタブーであり、評価できませんでしたが、それに代わって、家老級だった「島左近」が評価されていました。武士の鑑とまでされました。

が、今は島左近にも特に人気はありません。「真田丸」にも一回も登場していません。TBSでは三船敏郎が演じたと言えば、扱いの大きさが分かるはずです。

それでも秀吉に絶大な人気があった時代は、最後まで豊臣を裏切らなかった人物として、三成は評価されていました。

ずっと子供の頃から、三成の最期のシーンとか、知っていました。漫画に出てきたのだと思います。

「水が欲しい」「水はない柿でも食え」「柿は胆の毒だ」「いまから死ぬのに毒もあるまい」「下郎め、英雄は最後の最期まであきらめたりしない、貴様のような下郎に英雄の心がわかろうか」

有名なこのシーンです。小学校低学年で知っていました。何の漫画に出てきたのか、記憶にはありません。

秀吉人気というのは、帝国軍隊によって意図的に作られたところもあります。だから段々と下火になってきて、今は信長や龍馬に比べれば、かなり下のように思います。秀吉とともに人気だった「西郷さん」なんかも、今は龍馬暗殺の黒幕だ、なんて言われることもあり、昔の勢いはありません。

まあ、やはりここぞという「関ケ原」で、見事なほどの敗北をしたことが「人気がでない」原因でしょう。

官僚としては優秀だが、武将とはいえない。「のぼうの城」なんかでも「損な役回り」ですし、どう考えても、国民的人気というのはちょっと集まりそうもありません。

その代わり、前述した「島左近」とか、「関ケ原」の結末を見抜いていたといわれる「大谷刑部」とかは一定の人気があるようです。

特に最近は大谷刑部に対する高い評価をよく聞きます。実際映像化された「関ケ原」(司馬さん)なぞを見ても、かっこいいのは「大谷刑部」です。

金吾中納言、小早川秀秋の裏切を予期しており、最後まで戦い、いさぎよく自決する。

ドラマの方では最期にこう言います。

「三成、地獄で会おうぞ」

何も悪くないのに、なぜ地獄なのか。解釈は色々できますが、とにかく極楽往生できるとは思っていない。戦国武将ならみな「かくあってほしい」という期待の地平を裏切らない、見事なセリフだと常々思っています。

史上最高の「徳川家康」 誰が一番よかったか。

2016年07月18日 | ドラマ
題名は、大げさにつけていますが、まあこの40年ぐらいの「徳川家康関係のドラマ」を、私は7割は見ていると思います。で、誰が一番か。

それは単なる個人的感想になるわけですが、一つの判断軸として、山岡荘八の「徳川家康」をどう考えるか、があるでしょう。

ただし、1983年の大河「徳川家康」は、今ではあまり話題になりません。山岡さんは「とにかく尊王の聖人君子である徳川家康を描く」ことに懸命になった人です。「尊王の聖人君子である家康のイメージ」、かつては「ないことはない」って感じでした。

大河「徳川家康」。あそこまで聖人君子にすると、やっぱり違和感は覚えますが、「偉人伝」としては上出来だと私なぞは思っています。嘘を承知だと、それなりに楽しめます。

しかし、今は基本的には「たぬき親父のイメージ」ですね。

山岡さんが「偉人伝」みたいな、「あまりにも嘘ばかりの家康」を描くもんだから、「反発が強くなって」しまい、その後の家康の描き方は、山岡さんの「真逆をいく」ってことになりました。

司馬さんが一番正面から家康を描いたのは「関ケ原」ですね。謀略家の家康です。ただし、司馬さんは家康を評価していないわけではなく、三方ケ原の敗北などは高く評価します。

三方が原は、家康が信玄にコテンパンに敗れた戦いです。信長を裏切っても良かったのに、家康はそれをせずに、信玄に挑みます。「若い頃、家康は律儀と勇気を人々に感じさせた。それがあったから、関ケ原の策略も成功した。」というの司馬さんの見方だったように思います。

いかに知略があろうと、臆病と言われたのでは天下はとれない、三方が原の敗北で家康が勝ち取ったものは、天下という場所で勝負するためには、何よりも大切な「信用」というものであった、とこんな感じのまとめになるかと思います。

史実としての家康は、悪の中の悪でもなく、聖人君子でもなく、一種の「知識人」でした。本が好きな「歴史主義者」ですね。源頼朝を尊敬し、頼朝を手本として政治を行います。「御家人」なんて言葉も、よく登場するのは「鎌倉時代」と「江戸時代」です。

近年は、そういうバランスのいい、歴史主義者としての家康という描き方は少ないですね。「功名が辻」の西田敏行さん。まあ「たぬき親父そのまんま」です。

「葵三代」等の津川さん。「政宗」なんかではそれなりのバランスがありましたが、ちょっとエキセントリックな、激情的な家康すぎるかなという感じがします。

松方さんなどもよく家康を演じます。スペシャルドラマなどでは「あまりにありきたりな家康」でしたし、「天地人」では漫画の中の人物みたいでした。

今度の真田丸の内田さん。弱虫の家康です。でも段々変化してきて、最近は凄みも出ていますから、かなりいい線いっていると考えます。

で、色々考えて、もっとも家康のイメージと合致するな、と思えるのは、「真田太平記」の中村梅之助さんです。どこが、というのは書くと長くなります。見ていただく以外ありません。

あとで加筆するつもりですが、今はここまでです。