散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

北条家、後北条家の大河ドラマ

2016年07月21日 | ドラマ
鎌倉の北条家も、戦国の後北条家も、それなりに面白い「素材」なんですが、あまり大河ドラマにはなりません。


「草燃える」は北条義時が主役級でした。「北条時宗」はむろん北条時宗、時頼が主人公です。これが鎌倉北条氏ですね。
それと「太平記」、時宗の孫である北条高時が重要な人物として登場します。演じたのは片岡鶴太郎さんです。

「後北条氏」が主役になった大河はありません。北条氏康、中井さんの「武田信玄」ではそれなりに重く扱われましたが、所詮は脇固め要員です。今回の高嶋さんの「北条氏政」。まさに怪演でしたが、やっぱり主役ではありません。

もっともこの怪演。三谷さんの脚本が苦手な私でも、見ごたえはありました。北条氏政、秀吉に謝れば許されるってのがこの作品の前提になっています。実際は許さなかったでしょうが、この作品の秀吉はそういう秀吉として設定されています。家康、景勝、真田昌幸の3人がその前提で説得しますが、氏政は「死を選ぶ」として、説得に応じません。

「ここまででござるか」という家康に、氏政は力強く「ここまででござる」と応じます。潔さが際立ったシーンで、なかなか見ごたえがありました。

北条時宗は、むろん全編がNHKに残っていますが、武蔵などと同じようにDVDになっていません。総集編のみです。まだVHSの時代だったので、個人的にも全編は有していません。

和泉さんが主人公だから、なのかなと邪推しますが、渡辺謙さんなども出ており、どうして全編がDVDにならないのでしょう。

まあ作品としては上出来とも言えないレベルではありました。前半は鎌倉幕府内部における権力闘争、後半は元寇ですが、肝心の時宗自身は鎌倉にいて動くことない。なかなか見どころのあるシーンは作りにくい作品でした。

話はあっちこっちに飛びますが、鶴ちゃんの「北条高時」、私は好きです。完全なる「バカ殿ぶり」でもないのです。バカにはバカの苦悩があるってことを描いています。鎌倉北条一門の最期ってのは壮絶で、六波羅北条も全滅ですし、鎌倉北条もほぼ全滅です。高時の息子は逃げて、あとで乱を起こしていますから、高時だって逃げられたはずですが、逃げずに戦い全滅していきます。「滅びの美学」ってほどじゃないですが、それに近い最期で、みどころはありました。

後北条氏、戦国北条氏ですね、主人公にできるとすれば初代北条早雲で、原作は司馬さんの「箱根の坂」でしょうか。
ただし最近は面倒です。「研究が進んで、早雲は単なる一介の名もなき男などではなく、伊勢氏であり、室町将軍とも近かった」ってことになっています。
「箱根の坂」は、「完璧に一介の名もなき男」説で成り立っているので、そのままでは、原作になりにくい。

なんかやたらと「研究が進んで」ってことになってますが、本当にそうなのか。
中には証拠といえば一枚の手紙だけなんてこともありますから、用心が必要です。


新約聖書はどうして読みにくいのか。

2016年07月21日 | 日記
幼稚園はプロテスタントでしたが、キリスト教に対する信仰的興味はありません。学術的興味は少しあります。日本の神学者、ほとんど知りませんが、「加藤隆」さんは面白いですね。どうして日本人には聖書が読めないのか、いや、どうして万人にとって聖書が難解なのかを説明してくれます。答えは4つの文章(新約聖書)+使徒列伝、パウロの手紙等がバラバラに書かれたから。バラバラに書かれたものを無理に一つの文章集(新約聖書)にしたわけで、「統一的理解」なんてできるわけない、というのが氏の学説です。「氏の学説」というより、かなり主流派的学説なようですが。

新約聖書は「古ギリシャ語」で書かれています。おそらく、キリストが文盲でなかったとしても彼には新約聖書は読めない可能性が高い。。キリストの母語はアラム語でこれは、ヘブライ語に近い言語です。少なくとも、ギリシャ語ではありません。イエスには、ギリシャ語が読めなかった、とは言い切れませんが、読めない可能性が高いですね。

ルカ文書、は新約聖書にとって非常に重要な文章集です。しかしルカとは誰でしょう。伝承ではパウロの「協力者」ですね。パウロ、は高名なキリスト教の聖人ですが、ルカ文書においてすら「12使徒の一員では」ありません。キリスト死後に教徒になったはずです。キリストの直接の弟子ではないパウロの、その協力者がルカです。

新約聖書は、ローマの民衆支配、帝国維持のために「国教」となります。その過程において様々な福音書が書かれ、それが選別され、今の新約の形がほぼ整ったのは4世紀後半です。「ほぼ」であって、今でも整っていない、という考え方もできます。12使徒の名前を冠した(模した)文章も沢山ありましたが、必ずしも採用されません。しかしルカ文章は採用されました。

バラバラに書かれた、と書きましたが、厳密には、つながりはあります。最初に「マタイ」がある。これははっきりしています。しかし「マタイでは十分ではない」、そう考えた人間によって、マルコ文書とルカ文書が書かれました。もうちょっと突っ込んだ言い方をすると、マルコ文書への「批判」として書かれました。「マタイで十分」なら、書く必要はない。十分ではない、そう考えた「誰か」が、マルコやルカを書きました。ヨハネはかなり変わった文章ですが、原理は同じでしょう。

バラバラである、だけでなく「互いに論争的」、そういうものがローマの都合によって一つの統一的な文章集とされました。そしてその論争性に言及することは、タブーとされたのです。

あれ、大丈夫かな、加藤隆さんの説はこれで合っているかな、そう思いながら書いています。

興味のある方は加藤隆さんの「新約聖書の誕生」「新約聖書はなぜギリシャ語で書かれたか」等の書物をお読みください。