この3か月ぐらい、どうも「歌詞のある音楽」を聴く気になれなくて、車では「語りもの」とか「ドラマの音声のみ」とかを聴いていたのですが、今日は久々に「歌詞のある音楽」を聴きました。
本当に久々に「マイレボリューション」を聴き、小室サウンドはやはりいいなと感じました。「是非に及ばす」応援したいと思います。「是非に及ばず」は信長最期の言葉です。私は「あの光秀が計画を立てて謀反した以上、逃げることはできまい。もはや善悪を言っていても仕方がない」という古くからの解釈を「だんぜん支持」します。
小室哲哉さんに「是非」があることは知っています。ただもはや是非を言う必要はないと感じます。
私は介護の言葉では言い尽くせない厳しさをよく知っているので「ケイコさんを介護していなければいいな」と思って、調べてみました。今はケイコさんは大分の自宅で介護を受けているようです。つまり小室さんは介護していない。それはそれで家族としては罪悪感があって辛いのですが、それでも「共倒れ」になるよりはましです。
小室さんの引退会見で、一番心に残ったのは「もはやこれまで」という言葉です。彼自身がウィルス性肝炎だったと思います。自分が病気を抱えて介護するというのは自殺行為で、彼が「もはやこれまで」と思った気持ちはよく理解できます。
「大人の女性と話がしたかった」とも言いました。彼ほどの人物の周りに「そういう大人の女性」がいないということにも驚きましたが、やはり心に残ったのは「もはやこれまで」という言葉です。
復活してほしいとか、元気になってほしいとは思いません。無理なことは無理なのです。
ただ思うことは「肝炎なら病気を治してほしい」ということです。病気は心をむしばみます。病気を治せば、「もはやこれまで」という気持ちが、「まだほんの少しはやれるかも知れない」という気持ちに変わるのでは、と思います。
とにかく、是非に及ばす、応援したい人の一人です。
本当に久々に「マイレボリューション」を聴き、小室サウンドはやはりいいなと感じました。「是非に及ばす」応援したいと思います。「是非に及ばず」は信長最期の言葉です。私は「あの光秀が計画を立てて謀反した以上、逃げることはできまい。もはや善悪を言っていても仕方がない」という古くからの解釈を「だんぜん支持」します。
小室哲哉さんに「是非」があることは知っています。ただもはや是非を言う必要はないと感じます。
私は介護の言葉では言い尽くせない厳しさをよく知っているので「ケイコさんを介護していなければいいな」と思って、調べてみました。今はケイコさんは大分の自宅で介護を受けているようです。つまり小室さんは介護していない。それはそれで家族としては罪悪感があって辛いのですが、それでも「共倒れ」になるよりはましです。
小室さんの引退会見で、一番心に残ったのは「もはやこれまで」という言葉です。彼自身がウィルス性肝炎だったと思います。自分が病気を抱えて介護するというのは自殺行為で、彼が「もはやこれまで」と思った気持ちはよく理解できます。
「大人の女性と話がしたかった」とも言いました。彼ほどの人物の周りに「そういう大人の女性」がいないということにも驚きましたが、やはり心に残ったのは「もはやこれまで」という言葉です。
復活してほしいとか、元気になってほしいとは思いません。無理なことは無理なのです。
ただ思うことは「肝炎なら病気を治してほしい」ということです。病気は心をむしばみます。病気を治せば、「もはやこれまで」という気持ちが、「まだほんの少しはやれるかも知れない」という気持ちに変わるのでは、と思います。
とにかく、是非に及ばす、応援したい人の一人です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます