鏡海亭 Kagami-Tei ウェブ小説黎明期から続く、生きた化石? | ||||
孤独と絆、感傷と熱き血の幻想小説 A L P H E L I O N(アルフェリオン) |
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第59話「北方の王者」(その1)更新! 2024/08/29
拓きたい未来を夢見ているのなら、ここで想いの力を見せてみよ、 ルキアン、いまだ咲かぬ銀のいばら! |
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主人公のエゴと「優しさ」、あらすじ追加と解説
連載小説『アルフェリオン』の第25話・第26話のあらすじを追加しました。
すでに物語は第43話に入っているというのに、あらすじの方がまったく追いついていません(汗)。
以下、あらすじのオマケとして、第25・26話に関するコメントです。
まだ第35話前後までお読みになっていないという方にとっては、若干のネタバレを含みます。
【自分の弱さとしての優しさに対し、どこまでも素直な困った主人公】
第25話は、クレヴィスとルキアンの会話シーンがみどころですね。そういえば、この回あたりからルキアンが徐々に変わってくるのでした。戦いはおろか、他人と争うこと自体をとにかく避けてきたルキアンは、シャノン一家の事件を経て、現実の不条理さや容赦のなさをこれでもかというほど思い知ることになりました。
仲間たちを守るためであっても、ルキアンは第3話でステリアン・グローバーを撃ったことにより、敵とはいえ同胞である無数の反乱軍の人々の命を奪ってしまいました。それ以来、余計に戦いを避けるようになったルキアン…。しかし、今度は敵を撃てなかったばかりに、シャノンやその母と弟を守れませんでした。
それでもやはり戦わない、たとえ大切な人を犠牲にすることになっても自分は今後も非暴力や不戦を貫く、という決意もあり得たかもしれません(そんなことができる人は、別の意味で英雄だと思いますが)。しかし、ルキアンは大切なものを守って戦う方をようやく選んだのでした。
その戦いはルキアンにとっては苦痛以外の何物でもありません。でも、苦痛を感じるからこそ、他の人間には同じ思いをして欲しくないんですよね、ルキアンは。「優しい人が優しいままで笑っていられる世界」のために、自分は泣きながら、優しさを振り切って血まみれになってでも戦うと、彼はやがて決意するようになります。
もっとも、第25話の時点では、彼の思いはまだそこまでには至っていません。物語がミトーニアでの戦いに入ってから、某・北洋の騎士さんが「荊の伝説」を語るシーン、あの伝説に出てくる「荊」は、他人が苦しまずに済むように自分が戦うというルキアンの姿そのものです。しかしルキアン自身は、別に他人のためではなく、自分がそうしたいからそうするのだと言うのでした。
つまり、他の人々のために自分だけが英雄的な犠牲になるという発想とは、ルキアンの考えは基本的に違うのでした。実はルキアンは、あからさまなほど、自分の気持ちに素直です。この物語を読んでいてお分かりかと思いますが……ルキアンが「優しい」のは、相手のためだというよりも、むしろ自分自身が優しくいたいという思いの産物です。誰かに傷ついて欲しくない以上に、傷ついた誰かを見た自分の胸が痛むのがイヤだからなのです(身も蓋もない言い方ですが)。そういう意味では彼は「弱い」人間だし、自己中心的で器が小さい主人公かもしれません(言い過ぎ?)。
「優しい人が優しいままで笑っていられる世界」というルキアンの理想は、一見すると偽善者っぽい話に聞こえます。しかし、ここでルキアンが「すべての人が笑っていられる世界」だなんて一度も言っていない点に注目する必要があります。そこがルキアンの限界だし、そういう限界は生身の主人公にはあっていいと思います。本当の優しさかどうかは怪しい、当人の弱さや不器用さや優柔不断さゆえのどうしようもない「優しさ」をもつ彼自身のような人間の笑顔を、少なくともそういう自分に似た人たちの笑顔だけは守ってみせる、というのがルキアンの想いなのでしょう。しかも、それは同類たちのためである以上に、自分の同類が苦しむのを見たくないという自分自身を守るためなんだ、ということです。
ルキアン、なんという自己中!(^^;)。でも、そういう一見きれいごとに見えるエゴイズムって、人間の本質的な部分であるような感じがします。ただし、きれいごとを前面に押し出す偽善者ではなくて、どこまでもエゴイスティックなのに、それでいて客観的には理想主義者に見えるというルキアンの立場が生々しくていいと思います。しかも、ルキアン自身が、その「きれいなエゴイズム」をどこまで自覚しているのやら、分からない点も生々しくて良いです。偽善者は大嫌いだという趣旨のルキアンのセリフは作中にも出てきましたが、それでいてルキアン自身も、自分の開き直ったエゴにどこまで気づいているのやら…。
【実は、最大の伏線のある回?】
第26話は、カリオスが主人公の回です。シャリオさんも、彼女らしくルキアンに接し、良い仕事をしていますが(^^;)。ルキアンの前にリューヌが姿を現した衝撃の第24話に続いて、今度はカリオスとテュフォンとのつながりが明らかにされています。パラディーヴァがリューヌの他にも何体か存在することを、うかがわせる話でした。
なお第26話の最後の方、テュフォンが森の奥深くにある遺跡のような場所にいるシーンでは、物語の今後を暗示する重要な伏線がいくつも出てきます。特に、壁画や予言詩みたいなものの内容に注意してください。実は、第26話を読んだだけでは意味が分からなくても、最終回直前になってから初めて意味が分かってくる表現も混じっています。この場面は、本当に重要です。この遺跡のような場所が何のためのもので、どこにあるのか、ということを想像してみるのも、物語の今後の展開を読む上で面白いと思います。
以上
すでに物語は第43話に入っているというのに、あらすじの方がまったく追いついていません(汗)。
以下、あらすじのオマケとして、第25・26話に関するコメントです。
まだ第35話前後までお読みになっていないという方にとっては、若干のネタバレを含みます。
【自分の弱さとしての優しさに対し、どこまでも素直な困った主人公】
第25話は、クレヴィスとルキアンの会話シーンがみどころですね。そういえば、この回あたりからルキアンが徐々に変わってくるのでした。戦いはおろか、他人と争うこと自体をとにかく避けてきたルキアンは、シャノン一家の事件を経て、現実の不条理さや容赦のなさをこれでもかというほど思い知ることになりました。
仲間たちを守るためであっても、ルキアンは第3話でステリアン・グローバーを撃ったことにより、敵とはいえ同胞である無数の反乱軍の人々の命を奪ってしまいました。それ以来、余計に戦いを避けるようになったルキアン…。しかし、今度は敵を撃てなかったばかりに、シャノンやその母と弟を守れませんでした。
それでもやはり戦わない、たとえ大切な人を犠牲にすることになっても自分は今後も非暴力や不戦を貫く、という決意もあり得たかもしれません(そんなことができる人は、別の意味で英雄だと思いますが)。しかし、ルキアンは大切なものを守って戦う方をようやく選んだのでした。
その戦いはルキアンにとっては苦痛以外の何物でもありません。でも、苦痛を感じるからこそ、他の人間には同じ思いをして欲しくないんですよね、ルキアンは。「優しい人が優しいままで笑っていられる世界」のために、自分は泣きながら、優しさを振り切って血まみれになってでも戦うと、彼はやがて決意するようになります。
もっとも、第25話の時点では、彼の思いはまだそこまでには至っていません。物語がミトーニアでの戦いに入ってから、某・北洋の騎士さんが「荊の伝説」を語るシーン、あの伝説に出てくる「荊」は、他人が苦しまずに済むように自分が戦うというルキアンの姿そのものです。しかしルキアン自身は、別に他人のためではなく、自分がそうしたいからそうするのだと言うのでした。
つまり、他の人々のために自分だけが英雄的な犠牲になるという発想とは、ルキアンの考えは基本的に違うのでした。実はルキアンは、あからさまなほど、自分の気持ちに素直です。この物語を読んでいてお分かりかと思いますが……ルキアンが「優しい」のは、相手のためだというよりも、むしろ自分自身が優しくいたいという思いの産物です。誰かに傷ついて欲しくない以上に、傷ついた誰かを見た自分の胸が痛むのがイヤだからなのです(身も蓋もない言い方ですが)。そういう意味では彼は「弱い」人間だし、自己中心的で器が小さい主人公かもしれません(言い過ぎ?)。
「優しい人が優しいままで笑っていられる世界」というルキアンの理想は、一見すると偽善者っぽい話に聞こえます。しかし、ここでルキアンが「すべての人が笑っていられる世界」だなんて一度も言っていない点に注目する必要があります。そこがルキアンの限界だし、そういう限界は生身の主人公にはあっていいと思います。本当の優しさかどうかは怪しい、当人の弱さや不器用さや優柔不断さゆえのどうしようもない「優しさ」をもつ彼自身のような人間の笑顔を、少なくともそういう自分に似た人たちの笑顔だけは守ってみせる、というのがルキアンの想いなのでしょう。しかも、それは同類たちのためである以上に、自分の同類が苦しむのを見たくないという自分自身を守るためなんだ、ということです。
ルキアン、なんという自己中!(^^;)。でも、そういう一見きれいごとに見えるエゴイズムって、人間の本質的な部分であるような感じがします。ただし、きれいごとを前面に押し出す偽善者ではなくて、どこまでもエゴイスティックなのに、それでいて客観的には理想主義者に見えるというルキアンの立場が生々しくていいと思います。しかも、ルキアン自身が、その「きれいなエゴイズム」をどこまで自覚しているのやら、分からない点も生々しくて良いです。偽善者は大嫌いだという趣旨のルキアンのセリフは作中にも出てきましたが、それでいてルキアン自身も、自分の開き直ったエゴにどこまで気づいているのやら…。
【実は、最大の伏線のある回?】
第26話は、カリオスが主人公の回です。シャリオさんも、彼女らしくルキアンに接し、良い仕事をしていますが(^^;)。ルキアンの前にリューヌが姿を現した衝撃の第24話に続いて、今度はカリオスとテュフォンとのつながりが明らかにされています。パラディーヴァがリューヌの他にも何体か存在することを、うかがわせる話でした。
なお第26話の最後の方、テュフォンが森の奥深くにある遺跡のような場所にいるシーンでは、物語の今後を暗示する重要な伏線がいくつも出てきます。特に、壁画や予言詩みたいなものの内容に注意してください。実は、第26話を読んだだけでは意味が分からなくても、最終回直前になってから初めて意味が分かってくる表現も混じっています。この場面は、本当に重要です。この遺跡のような場所が何のためのもので、どこにあるのか、ということを想像してみるのも、物語の今後の展開を読む上で面白いと思います。
以上
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