5月20日(火) 高井戸中学校に咲く「アンネのバラ」を見に行きました。
高井戸中学校ホームページから抜粋:
◆当校のアンネのバラ
昭和50年に、当校の生徒たちが「アンネの日記」の感想文をアンネ・フランクの父親であるオットー氏に送り、51年にオットー氏から3株が贈られました。 「アンネのバラ委員会」が中心となり、地域・保護者・教職員たちとともに、このバラを育てています。
◆アンネのバラとは?
戦後、「アンネの日記」に感動したベルギーの園芸家がアンネがオランダの隠れ家で生活していた際に見ていた野バラを改良して作り出した品種で、 アンネの父、オットー・フランクさんに贈られ、「アンネの形見」(Souvenir de Annefrank.f )と命名されました。
という事です。
偶然、新聞で高井戸中学校の「アンネのバラ一般公開」の記事を読み、自宅からすごく近かったので公開最終日の今日見に行きました。
学校入口入ってすぐ、校舎の壁に沿って静かに咲いていました。
今日は風に少し揺らいでいました。
記念碑には、
「つぼみは赤く、花が咲くとオレンジ、やがてピンクとなって一週間ほどで散る」
と記されています。
今はオレンジとピンクのミックスした色でしょうか。
記念碑の最後には、
「世界の人々が手をつなぎあって、永遠に幸せを守り続けられるように」と心からの願いをこめて、高井戸中学校の先輩から後輩へと受け継がれ、大切に育てられています。
と記されています。
「アンネの日記」は誰でも一度は読んだ事はあると思います。
静かに咲く美しいバラを見て厳粛な気持ちになりました。
高井戸中学校とアンネ・フランクの父オットー氏との心の交流がずっと引き継がれているのは本当に素晴らしい事です。
学校の方に聞いたら、今度は秋に一般公開するそうです。
高井戸中学校ホームページから抜粋:
◆当校のアンネのバラ
昭和50年に、当校の生徒たちが「アンネの日記」の感想文をアンネ・フランクの父親であるオットー氏に送り、51年にオットー氏から3株が贈られました。 「アンネのバラ委員会」が中心となり、地域・保護者・教職員たちとともに、このバラを育てています。
◆アンネのバラとは?
戦後、「アンネの日記」に感動したベルギーの園芸家がアンネがオランダの隠れ家で生活していた際に見ていた野バラを改良して作り出した品種で、 アンネの父、オットー・フランクさんに贈られ、「アンネの形見」(Souvenir de Annefrank.f )と命名されました。
という事です。
偶然、新聞で高井戸中学校の「アンネのバラ一般公開」の記事を読み、自宅からすごく近かったので公開最終日の今日見に行きました。
学校入口入ってすぐ、校舎の壁に沿って静かに咲いていました。
今日は風に少し揺らいでいました。
記念碑には、
「つぼみは赤く、花が咲くとオレンジ、やがてピンクとなって一週間ほどで散る」
と記されています。
今はオレンジとピンクのミックスした色でしょうか。
記念碑の最後には、
「世界の人々が手をつなぎあって、永遠に幸せを守り続けられるように」と心からの願いをこめて、高井戸中学校の先輩から後輩へと受け継がれ、大切に育てられています。
と記されています。
「アンネの日記」は誰でも一度は読んだ事はあると思います。
静かに咲く美しいバラを見て厳粛な気持ちになりました。
高井戸中学校とアンネ・フランクの父オットー氏との心の交流がずっと引き継がれているのは本当に素晴らしい事です。
学校の方に聞いたら、今度は秋に一般公開するそうです。