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【大東亜戦争って、なに?】大東亜戦争について多角的に知るための書籍7選

2022-08-12 06:03:50 | 日記

 

 

■大東亜会議の真実 : アジアの解放と独立を目指して


著者: 深田祐介
発売日: 2014年04月18日
出版社: PHP研究所

・楽天ブックス
https://a.r10.to/hatjfn


○内容紹介

昭和18年11月、戦時下の東京にタイ、ビルマ、インド、フィリピン、中国、満州国の六首脳が集まり、大東亜会議が開催された。
史上初めて一同に会したアジア諸国の代表が「白人支配からの解放」を高らかに謳いあげた時、日本の戦争は、欧米帝国主義を模倣して権益を追求する侵略戦争から、アジア民族解放の大義ある戦争へと大きく性質を変えたのであったーー。
本書は、戦況が思わしくない時期に突然開催された大東亜会議の真相について、当事者の証言をもとに丹念に検証した画期的労作である。
戦後の呪縛ともいうべき“東京裁判史観”の虚偽を正し、日本にとって、アジア諸国にとっての戦争の意義を明らかにする。
大東亜会議は「アジアの傀儡を集めた茶番劇」ではけっしてなかったのだ。
本書は91年文藝春秋刊『黎明の世紀』に大幅な加筆と修正を加えたもの。
文芸評論家である福田和也氏との特別対談も収録。


・楽天ブックス『大東亜会議の真実 : アジアの解放と独立を目指して』
https://a.r10.to/hatjfn

 

 

 

 

 


■大東亜戦争の正体―それはアメリカの侵略戦争だった


著者/編集: 清水馨八郎
出版社: 祥伝社
発売日: 2011年07月

・楽天ブックス
https://a.r10.to/hwpePq


○内容紹介(「BOOK」データベースより)

アメリカが押し付けた太平洋戦争史観~西洋中心世界観を捨てよ。
今こそ、日本人は真実に目覚め、歴史に対する不要な引け目を払拭すべきである。
歴史的観点、地政学的観点から捉えた「日本論」。
『侵略の世界史』の著者が提唱する歴史観のコペルニクス的転回。


○目次(「BOOK」データベースより)

序章 記憶(歴史)を消された日本人ーなぜ日本人は、アメリカの残虐行為を怨まないのか/第1章 歴史認識のコペルニクス的転回ー今こそ、西洋中心史観に訣別を/第2章 元寇、露寇、米寇ー日本を襲った三大国難ーなぜ、超大国の侵略に立ち向かうことができたのか/第3章 アメリカの日本侵略、百年来の野望のはてーアメリカは反省し、日本に謝罪しているという事実/第4章 中国大陸に仕掛けられた罠ー張本人が自ら明かす支那事変の真相/第5章 逆恨み国家・韓国と日本ー韓国に引け目を持つ理由は、まったく存在しない/第6章 「A級戦犯」は存在しないー東京裁判が無効で、靖国論争が無意味な理由/第7章 負けて勝った大東亜戦争ーなぜ、日本は「勝った」と言えるのか/第8章 日本の強さを支える五つの「文明力」-その風土から言語、天皇、思考力まで/終章 「日本」そのものが世界の自然文化遺産ーこれからの日本は、世界の中で何をなすべきか


○著者情報(「BOOK」データベースより)

清水馨八郎(シミズケイハチロウ)
大正8(1919)年、山梨県生まれ。東京文理科大学(現・筑波大学)理学部地理学科卒業。千葉大学名誉教授、理学博士。都市と交通研究で長く都市学会をリードし、旧経済企画庁・国民生活審議会委員、旧運輸省・航空審議会委員などを歴任する。戦後の日本人が失った「誇り」を取り戻すべく、講演・著作活動を続けている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


・楽天ブックス『大東亜戦争の正体―それはアメリカの侵略戦争だった』
https://a.r10.to/hwpePq

 

 

 

 

 

 

 

■アジアを解放した大東亜戦争 連合国は東亜大陸では惨敗していた


発売日: 2020年03月02日頃
著者/編集: 安濃 豊
出版社: 展転社

・楽天ブックス
https://a.r10.to/hwBkCH


○内容紹介(出版社より)

開戦の口実とするためハルノート発出を誑かした?
アジア解放のために開戦した大東亜戦争の主戦場はアジア大陸である。
帝国陸海軍は、太平洋で米軍と激戦を繰り広げながら、東南アジアでは次々に欧米諸国の植民地を独立させていた。

第一章 東亜植民地の解放は対日経済封鎖への対抗策
 1 ルーズベルトの対日隔離演説と東京で起きる東亜解放論
 2 米英が対日経済封鎖に勤しんでいた頃、ビルマ解放が検討されていた
 3 開戦の口実とするためハルノート発出を誑かした

第二章 米軍は太平洋で勝利するも東亜大陸では惨敗
 1 ミッドウェー作戦はフィリピン独立のための囮作戦だった
 2 ガダルカナル戦の頃、ビルマが独立
 3 カイロ宣言は実現せず、大東亜宣言は実現
 4 マリアナ沖海戦の頃、インド独立は決定的となっていた
 5 米国、サイパン勝利の頃、支那大陸では日本軍の大陸打通作戦に大敗北
 6 硫黄島での戦いの頃、インドシナ三国がフランスから独立
 7 対日戦勝を祝っていた頃、インドネシアが独立を宣言

第三章 米国を強く見せるため戦後に捏造された虚構
 1 ミッドウェーで負けたのはアメリカ海軍
 2 近衛文麿こそアジア解放の英雄
 3 神風特攻が日本本土上陸作戦を諦めさせた
 4 米国にとっては欧州が主戦場だったという捏造
 5 戦ったのは日本軍だけではなくアジア合同軍
 6 太平洋島嶼戦はアジア解放のための囮作戦
 7 勝敗の分岐点は広島
 8 アジアの独立は戦時中
 9 タイ王国は緩衝地帯として植民地化を免れていたわけではない
 10 罠に嵌められているのに暗号解読成功に意味はない
 11 日系人部隊がダッハウ強制収容所を解放
 12 B29は無敵ではなかった
 13 戦前の日本軍は米軍を恐れていない
 14 昭和の日本は軍国主義の国だったという捏造
 15 沖縄戦で敗北したのは米軍

第四章 大日本帝国こそ大なる特攻隊だった
 1 大日本帝国建国の目的は白人帝国主義の打倒


○内容紹介(「BOOK」データベースより)

アジア解放のために開戦した大東亜戦争の主戦場はアジア大陸である。
帝国陸海軍は、太平洋で米軍と激戦を繰り広げながら、東南アジアでは次々に欧米諸国の植民地を独立させていた。

○目次(「BOOK」データベースより)

第1章 東亜植民地の解放は対日経済封鎖への対抗策(ルーズベルトの対日隔離演説と東京で起きる東亜解放論/米英が対日経済封鎖に勤しんでいた頃、ビルマ解放が検討されていた ほか)/第2章 米軍は太平洋で勝利するも東亜大陸では惨敗(ミッドウェー作戦はフィリピン独立のための囮作戦だった/ガダルカナル戦の頃、ビルマが独立 ほか)/第3章 米国を強く見せるため戦後に捏造された虚構(ミッドウェーで負けたのはアメリカ海軍/近衛文麿こそアジア解放の英雄 ほか)/第4章 大日本帝国こそ大なる特攻隊だった(大日本帝国建国の目的は白人帝国主義の打倒)


○著者情報(「BOOK」データベースより)

安濃豊(アンノウユタカ)
昭和26年12月8日札幌生れ。北海道大学農学部農業工学科卒業。農学博士(昭和61年、北大農学部より学位授与、博士論文はSNOWDRIFT MODELING AND ITS APPLICATION TO AGRICULTURE「農業施設の防雪風洞模型実験」)。総理府(現内閣府)技官として北海道開発庁(現国土交通省)に任官。昭和60年、米国陸軍寒地理工学研究所研究員、ニューハンプシャー州立大学土木工学科研究員。平成元年、アイオワ州立大学(Ames)航空宇宙工学科客員研究員(研究テーマは「火星表面における砂嵐の研究」)、米国土木工学会吹雪研究委員会委員。平成6年、NPO法人宗谷海峡に橋を架ける会代表。平成12年、ラヂオノスタルジア代表取締役、評論家、雪氷学者、ラジオパーソナリティー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


・楽天ブックス『アジアを解放した大東亜戦争 連合国は東亜大陸では惨敗していた』
https://a.r10.to/hwBkCH

 

 

 

 

 


■大東亜戦争の開戦目的は植民地解放だった―帝国政府声明の発掘


発売日: 2017年10月
著者/編集: 安濃豊
出版社: 展転社

・楽天ブックス
https://a.r10.to/hwejUt


○内容紹介(「BOOK」データベースより)

大東亜戦争によるアジアの解放は結果論や後づけではない。
大日本帝国は開戦時に「政府声明」を発表し、開戦目的の一つがアジアの植民地解放であることを明確に謳っていた!


○目次(「BOOK」データベースより)

第1章 数理歴史学を創設する/第2章 帝国政府声明に明記されたアジア解放/第3章 帝国政府声明/第4章 侵略意図は存在したのか/第5章 日本軍アジア独立支援行動経過/第6章 帝国政府声明と終戦の詔書が一線に繋がった/第7章 東京裁判史観の破綻どころか勝敗が逆転する


○著者情報(「BOOK」データベースより)

安濃豊(アンノユタカ)
昭和26年12月8日札幌生れ。北海道大学農学部農業工学科卒業。農学博士(昭和61年、北大農学部より学位授与、博士論文はSNOWDRIFT MODELING AND ITS APPLICATION TO AGRICULTURE「農業施設の防雪風洞模型実験」)。総理府(現内閣府)技官として北海道開発庁(現国土交通省)に任官。昭和60年、米国陸軍寒地理工学研究所研究員、ニューハンプシャー州立大学土木工学科研究員。平成元年、アイオワ州立大学(Ames)航空宇宙工学科客員研究員(研究テーマは「火星表面における砂嵐の研究」)、米国土木工学会吹雪研究委員会委員。評論家、雪氷学者、ラジオパーソナリティー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


・楽天ブックス『大東亜戦争の開戦目的は植民地解放だった―帝国政府声明の発掘』
https://a.r10.to/hwejUt

 

 

 

 

 

 

■日本とアジアの大東亜戦争―侵略の世界史を変えた大東亜戦争の真実
(もっと日本が好きになる親子で読む近現代史シリーズ)


著者/編集: 吉本貞昭
出版社: ハート出版
発売日: 2013年09月

・楽天ブックス
https://a.r10.to/haHAhK


○内容紹介(「BOOK」データベースより)

15世紀から500年も続いた、西欧列強による植民地支配。
この、白人による植民地支配に従わない国が、極東にひとつだけあった。
それが、わたしたちの祖国、日本であるー。
なぜ戦争は始まったのか、本当に勝利したのは誰なのか。
この一冊で「大東亜戦争」のすべてがわかる!


○目次(「BOOK」データベースより)

第1章 西欧列強の世界支配はこうして始まった(西欧列強による植民地支配の始まりー「大航海時代」は「大侵略時代」?/西欧列強による南アメリカ大陸の侵略ー奴隷貿易とスペインの「征服者」たち)/第2章 アジアを侵略した西欧列強と日本の明治維新(西欧列強によるアジア侵略の始まりーインドを植民地にしたイギリス/西欧列強のアジア侵略に対抗した日本ー明治維新で日本を近代化せよ/朝鮮を清国の支配から独立させた日清戦争ー日本の勝利と、しのびよる大国ロシアの影/朝鮮をロシアの侵略から守った日露戦争ー日露戦争の勝利で、世界を驚かせたアジアの小国・日本)/第3章 アジアの解放と独立を助けた大東亜戦争(日本はなぜ大東亜戦争に突入したのかー中国大陸をめぐる陰謀と、追い詰められた日本/大東亜戦争とアジアの解放ー南方資源地帯の戦いと、真珠湾攻撃の真実/アジアの各地に独立義勇軍をつくった日本軍ー陸軍中野学校の「秘密戦士」たち/日本軍生と興亜訓練所の開設ーアジアの青年たちへの教育と訓練がアジアの未来をつくった/大東亜会議の開催ー東京に集まったアジア各国のリーダーたち/日本の敗戦ーミッドウェー海戦の失敗と、神風特攻隊の戦果/インドを独立に導いたインパール作戦ー自由と独立のために立ち上がった人々/アジアの独立戦争に参加した日本兵ー戦後も、アジア解放のために戦った日本兵たち)/第4章 侵略の世界史を変えた大東亜戦争(大東亜戦争の世界史的意義とは何かー世界史の流れを変えた大東亜戦争/大東亜戦争の真の勝利国は日本であるー「アジアの独立」を勝ちとった大東亜戦争)


○著者情報(「BOOK」データベースより)

吉本貞昭(ヨシモトサダアキ)
昭和34年生まれ。国立大学の大学院を修了後、中国留学を経て、現在は大学の研究機関に在籍。専門分野の中国研究の他に、大東亜戦争の、開戦と終戦原因、特攻の戦果、東京裁判と日本国憲法の検閲について研究している。約10年にわたり高等学校で世界史などを担当(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


・楽天ブックス『日本とアジアの大東亜戦争―侵略の世界史を変えた大東亜戦争の真実』
https://a.r10.to/haHAhK

 

 

 

 

 


■昇る太陽 :知られざる大東亜戦争とアジアの独立


著者: 三ツ森正人
発売日: 2018年09月26日
出版社: 幻冬舎メディアコンサルティング

・楽天ブックス
https://a.r10.to/haEEz3


○内容紹介

これまでに多くの歴史家や識者が論じてきた太平洋戦争(大東亜戦争)。
だが、立場によってその主張が異なることから答えらしい答えは出ず、いつしかぼんやりとした認識のまま、70年以上の年月が流れてしまった。
近代史は明治維新、富国強兵、恐慌、開戦、アジア解放、原爆と日本史の重要な局面が凝縮されているが、その背景や功績はあまり語られていない。
なぜ日本は欧米列強に戦いを挑んだのかーー。
アジア諸国が独立するまでにどのような経緯があったのかーー。
平成の時代が終わろうとしている今こそ、日本人として知るべき真実がある。


・楽天ブックス『昇る太陽 :知られざる大東亜戦争とアジアの独立』
https://a.r10.to/haEEz3

 

 

 

 

 

■人種差別から読み解く大東亜戦争


発売日: 2015年08月
著者/編集: 岩田温
出版社: 彩図社

・楽天ブックス
https://a.r10.to/hDNB18


○内容紹介(「BOOK」データベースより)

1919年パリ講和会議ー日本が提出した「人種差別撤廃案」はアメリカやイギリスの反対で否決された。
あの戦争に至るまでの流れを「人種差別」の観点から明らかにする。


○目次(「BOOK」データベースより)

第1章 大東亜戦争と人種差別/第2章 世界侵略を正当化した人種差別思想/第3章 アフリカ、インカ、アメリカの悲劇/第4章 奴隷貿易と無縁ではなかった日本/第5章 「植民地にされる」とはどういうことか/第6章 日本が求めた欧米列強と対等の地位/第7章 人種差別撤廃の理想を世界に問うた日本/第8章 日本人が知らない大東亜戦争の大義


○著者情報(「BOOK」データベースより)

岩田温(イワタアツシ)
昭和58年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業、同大学大学院修了。現在、拓殖大学客員研究員。専攻は政治哲学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


・楽天ブックス『人種差別から読み解く大東亜戦争』
https://a.r10.to/hDNB18

 

 

 

 

 


【参考】

■【帝國政府聲明】(現代語訳)

▼大東亜戦争開戦にあたっての帝国政府声明(読み下し文)(現代語訳)

昭和16年12月8日午後零時20分
大日本帝國政府発表

 

天皇陛下より、宣戦の大詔が発せられたので、大日本帝国(以下帝国と記述)は、国内及び諸外国に対し、次のとおり、政府声明文を発表する。

東南アジア(以下東亜と記述)の安定を確保して、世界平和に貢献することは、帝国の一貫した外交政策であり、それを実現するため帝国は列国との友好を最優先としてきた。

しかしながら、中華民国は以前より帝国の真意を解せず、国外の勢力と共謀して帝国に敵対してきた。

そして支那事変の発生を見るにいたったが、天皇陛下の御威光のもとに、皇軍(以下日本軍と記述)の向うところ敵なく、既に支那の重要地点はことごとく我が手中に落ち、この様な憂いを招き物事の本質や善良の判断もつかぬ国民政府を一新し、新たな国民政府と帝国は善隣の約束を交わし、友好列国でこの新たな政府を承認する国は11ケ国にもなろうとしている、重慶に退いた蒋介石の国民政府は、もはや奥地に残存して無益な抗戦を続けているだけである。

にもかかわらず、米英両国は東亜を永久に隷属的な地位(覇権帝国主義政体下)に置こうとして、かたくなにその態度を改めようとせず、あらゆる手段を講じて、支那事変の収束を妨害し、更にオランダ領インドシナ(以下蘭印と記述)を恐喝して、帝国と秦国との親密な関係を引き裂くため画策しようとしており、しきりに、帝国とこれら南方諸国との間で共栄の関係を高めていこうとする極めて自然な行いを阻害するため、(わが国は)平穏ではいられない、これもまた、帝国を敵視し帝国に対し計画的に攻撃を実施していくかの如くである。

そして遂に、人たる道にそむき、道理にはずれて、経済断交と言う手段にまで出てきた。

そもそも、交戦関係にない国家間における経済断交は宣戦布告にも匹敵する敵対行為であって、それ自体見過ごすことができない。

しかも、両国は更に他国を引き入れて帝国の周辺に武力を増強し、帝国の存立に重大な脅威を与えている。

大日本帝国政府は、これまで述べてきたように米英が帝国の存立と東亜諸国の安定とに対して重大な脅威(覇権帝国主義政体)を与えて来たにもかかわらず、太平洋の平和を維持し、全人類に戦禍が波及することの無い様に、辛抱強く米国との外交交渉を重ねてきた、また英国並びに米英両国に付和雷同する諸国に反省を求め、大日本帝国の生存と権威の許す限り、譲り合いの精神をもって事態の平和解決に努め、すべきことは全てやりつくした。

しかし米国はただ無意味な原則論に終始して、東亜で起きている明らかな現実を認めようとせず、その物的な勢力を後ろ盾にして、帝国の真の実力をも侮って、興国とともに、あからさまに武力による脅威を増大させ、帝国を屈服させ従属させようとしてきた、その結果、平和的な手段により、米国ならびに興国に対する関係を調整し、あい携えて太平洋の平和を維持したいと言う希望や前途は全く失われて東亜の安定と帝国の存立とはともに危機に瀕している。

それ故、米国及び英国に対し宣戦の詔勅が発せられたのである。

詔勅をいただき、ありがたさに恐れ慎み、深く感じ入って心が奮い立つ思いがある。

日本国民は、一億国民が一つの鉄の塊の様に団結して決起、勇躍し、国家の総力を挙げて戦い、東亜の災いの元凶である白人支配を永久に排除して陛下の御希望に応えなければならないのである。

世界万国が各々の立場で権利を主張する詔勅は、日星の様に明らかであると思う。

帝国が、日本国、満州国、中華民国の提携によって共栄の実を挙げ、進んで東亜諸国の発展の基礎を築こうとしてきた方針は、今も変わるものではない。

また、帝国と志を同じくするドイツ、イタリアと同盟を結び、世界平和の基調を区分けして新秩序の建設に邁進していこうという決意は、ますます牢固である。

この様にして、この度帝国が南方諸地域に対し、新たに行動を起こさざるを得なくなったがなんら、その住民に対し敵意があるからではない。

ただ米英の暴政(覇権帝国主義政体)を排除して東亜を本来あるべき姿(君主政体)に戻し、相携えて共に利益を分かち合いたいという一念から奮起したに外ならず、帝国はそれらの住民が、帝国の真意を理解して、帝国と共に東亜の新天地に新たな出発をすることを信じて疑わない。

今や、日本が栄えるか落ちぶれるかと東亜の興廃は、この一挙にかかっている。

全国民は今回の戦いに至った理由と使命をよく理解し、いやしくも驕ることなく、また、怠ることなく、よく尽くし、よく耐え、われら祖先の習慣や風習をたたえ、困難なことにぶつかったら必ず、国家の興隆の基を築いた祖先の栄えある足跡を思い起こして、勇ましくて計り知れない、ご皇室の計画に参加できることに粗相が無いように誓い、進んで征戦の目的を完遂し陛下の御心が永遠に安らかであらんことを奉るように期待する。


▼文献
【出典】
国立公文書館「アジア歴史資料センター」
https://www.jacar.go.jp/標題:昭和16年12月8日 帝国政府声明
レファレンスコード:C12120377700

 


■「大東亜戦争」と呼ぼう 岡部伸 産経新聞 2021/12/7

2022-08-12 06:03:29 | 日記

 


■「大東亜戦争」と呼ぼう 岡部伸

産経新聞 2021/12/7

https://www.sankei.com/article/20211207-FCLVPQ34RJJO3KQUGWWXZF7YQA/


~~~


80年前の8日、日本海軍がハワイの真珠湾を奇襲攻撃して日米開戦の口火が切られた。

しかし、その1時間以上前、日本陸軍が英領マレー半島コタバルに上陸を強行して日英が一足早く干戈(かんか)を交えたことは人々の記憶にあまりない。


宣戦布告なしに奇襲上陸した日本軍は、開戦から70日で難攻不落とされたシンガポールを陥落させた。

マレー進攻作戦である。


このほか日本軍はアジアや太平洋各地で軍事行動を開始。

3年9カ月におよぶ米英中など連合軍との太平洋戦争に突入したとされてきたが、日英が交戦したミャンマーやインパールは地理的に太平洋戦争とするには違和感がある。


太平洋をはさんだ日米両国間の戦いにとどまらず、アジアの地を舞台に、英仏蘭など西欧諸国を相手に日本が戦ったとして、英国では歴史家クリストファー・ソーンが「極東戦争」との呼称を提唱している。

満州事変から始まり敗戦まで足かけ15年の戦争は、「先の大戦」「あの戦争」など曖昧な呼称で論じられてきた。


何と呼ぶべきか。

戸部良一氏ら歴史家7人による共著で、7月に新潮社から刊行された『決定版 大東亜戦争』(新潮新書)の上、下巻ともに増刷となり、上巻が1万5000部、下巻も1万4500部と好評を博している。


平成30年に出版された『決定版 日中戦争』の続編で、「大東亜戦争」のタイトルをつけた編集者の横手大輔「新潮新書」編集部次長は、「イデオロギー抜きにすれば、最も的確に伝えると自然と思い浮かんだ。集結した歴史家の先生たちは、あえて『大東亜戦争』の表現を選び、この呼称が売れ行き好調につながったと思う」と振り返る。


「大東亜戦争」を使用した理由を、防衛研究所の庄司潤一郎研究幹事は、「単なる地理的呼称であるとするならば、イデオロギー色のない呼称となる」として、「戦争肯定という意味合いではなく、原点に戻って、『大東亜戦争』に落ち着く」と提言する。


そもそも「大東亜戦争」という呼称は日米開戦の2日後の昭和16年12月10日の大本営政府連絡会議で決まり、同12日の閣議で正式決定された。


しかし、戦後、連合国軍総司令部(GHQ)が「神道指令」によって禁止し、代わって「太平洋戦争」が強制的に使われるようになった。

大東亜新秩序を目的とする「侵略戦争を肯定する意味合いを持つ」という理由からだった。


2年前、インパール作戦で戦場となった現インド北東部のコヒマを訪ねた際、現地の古老から聞いた「日本が来て英軍と戦ってくれて独立できた」という感謝の言葉が心に残っている。

英国統治からの独立運動を主導したチャンドラ・ボースが最前線に来て、日本軍とともに戦っていた。


「日本は欧米の植民地を占領し、アジア諸民族を独立へ導いた。アジア諸国は日本によって白人支配から独立した。『侵略』ではなく『解放』したのです」

平成27年に「話の肖像画」でインタビューした在日外国人記者最古参の英国人、ヘンリー・S・ストークス氏の発言を思い出した。


軍国主義や戦争を美化するつもりはない。

GHQによって植え付けられた自虐史観から脱却してイデオロギー抜きに祖父や曽祖父が戦った「大東亜戦争」に胸を張りたい。


~~~
「大東亜戦争」と呼ぼう 岡部伸
産経新聞 2021/12/7
https://www.sankei.com/article/20211207-FCLVPQ34RJJO3KQUGWWXZF7YQA/


■85歳以上の日本の「長老」たちが不戦を掲げて立ち上がったワケ ハーバー・ビジネス・オンライン 2020.08.25

2022-08-12 06:03:03 | 日記

 

 


■85歳以上の日本の「長老」たちが不戦を掲げて立ち上がったワケ

ハーバー・ビジネス・オンライン 2020.08.25

https://hbol.jp/pc/226626/


~~~


・最後の戦争世代が不戦の訴え

 

8月12日、都内で「東アジア不戦 推進プロジェクト」の提言を発表する記者会見が行われた。

提言者には、各界を代表する85 歳以上の有識者たちが「長老」として名を連ねた。

彼らが掲げた提言は次のようなもの。

 

《提言の内容》

1:東アジア全首脳の共同宣言

 私たちは、戦争時代を直接体験した最後の世代に属する者として、まずもって東アジアの全首脳が次のような共同宣言、又は個別同時の宣言を発出することを提言する。

 (1)あらゆる対立を超えて人類全体の連帯を図り、人類絶滅の危機を回避するよう努力する。

 (2)少なくともまず東アジアを戦争のない地域とする。

2:日本国政府のこの宣言への参加を熱望する

3:東アジアの政府を動かす運動を切望する

4:東アジアのみならず、ほかの地域の戦争放棄に一歩近づけたい

 

85歳以上といえば、戦争を知る最後の世代と言える。

彼らはなぜ今、東アジアの不戦を訴えるのか。発案者であり元早稲田大学総長の西原春夫氏(92歳)に詳しい話を聞いた。

 


・日本の「長老」が不戦を呼びかける

 

―― 西原さんは自ら呼びかけて「東アジア不戦プロジェクト」を立ち上げました。


西原春夫氏(以下、西原):私はここ数年の国際情勢を見ながら「危ない」と感じていました。

冷戦終結後、世界は平和になるかと思われた。


しかし冷戦の勝者である自由主義国陣営の中から新自由主義経済のグローバル化が始まり、地球規模の格差拡大や環境破壊、温暖化などの現象が顕在化しました。


こうしたグローバリズムの反動として、各国では個人や国家の独自性を強調する傾向が生まれ、EUの移民問題やブレグジット、トランプ現象、中国の膨張主義に象徴される排外ナショナリズムや一国中心主義が台頭してきました。


「世界は戦争に向かっているのではないか」という憂慮は深まるばかりでした。

何かをしなければいけない。


その時は突然来ました。

2019年5月16日午前5時にふと目覚めた私は、突如、落雷に打たれるかのように閃いたのです。


「東アジア不戦条約を結び、まずもって東アジアを戦争のない地域にしよう」と。

しかし、あまりに突飛な構想なので自信はありませんでした。


そこでこの考えを友人知人に打ち明けると、みな一様に「やるべきだ。やろう!」と賛成してくれました。

その中で、すでにASEAN諸国が主導した「東南アジア友好協力条約」という不戦条約が存在し、日本、中国、韓国、北朝鮮などアジア諸国はもちろん、米ロなど世界主要国も批准していることを知りました。


それではどうするか。

そう頭を悩ませていた7月6日、再び突如として閃きました。


「2022年2月22日22時22分22秒に、まずもって東アジアの全構成国の首脳が不戦宣言を行う、という提言をしよう」と。

最終的には旧知の友人である福田康夫元総理に相談した結果、東アジアの全構成国の首脳に不戦宣言を行うよう提言する「東アジア不戦推進プロジェクト」を立ち上げることにしたのです。


それを提言するのは、85歳以上の「長老」の方々が望ましいのではないか。

戦争を経験した日本の長老が自らの経験に基づいて不戦を訴えることほど説得力のある方法はありません。


ご縁のある方に声をかけた結果、大正11年生まれの瀬戸内寂聴さん(作家・宗教家)を最年長として、約20名の方々が「長老」として提言者に名を連ねてくださいました。


その一人である茶道裏千家大宗匠の千玄室さんは大正12年生まれで、特攻隊の生き残りでもあります。


千玄室さんは亡き戦友と沖縄線の犠牲者に対する鎮魂の念を強く抱いており、「戦争は絶対にいかん。茶道家の自分に何ができるか。茶道で戦争を超えた心境に達する、そういう茶の心を持つ人を増やす、それによって戦争を食い止める。そういう思いでやってきた」とおっしゃっていました。


「長老」の経験や思いはそれぞれです。

しかし、「戦争は絶対にいけない」という問題意識は全員に共通しています。


世界で対立が深まる今、東アジア不戦推進プロジェクトの設立を宣言し、世界に対して「人類の連帯」と「戦争放棄」という希望の旗を掲げることができた意味は決して小さくないと考えています。

 


・「対立」の解決は困難でも「超克」はできる

 

―― 確かに「人類の連帯」と「戦争放棄」は人類の理想です。しかし、この理想は実現可能なのですか。


西原:戦争の原因は「対立」です。

確かに対立を「解決」することは困難です。


しかし「超克」することはできる。2と3が対立しているならば、6という共通分母を見つければいい。

それによって2と3は対立を「解決」できなくても「超克」によって和解することができるのです。


たとえば、現在米中の対立が激化しています。

その対立を超克するには、米中の共通分母あるいは共通の利益を設定すればいい。

仮に宇宙人が攻めてきたら、米中で対立している場合ではありません。


すでに現在は新型コロナウイルスという人類共通の脅威に脅かされています。

今後、地球温暖化の影響で新型コロナ以上に恐ろしいウイルスが誕生する可能性は否定できないどころか高まっている。


確かにコロナ危機により、世界では排外ナショナリズムや一国中心主義、国家同士の対立に拍車がかかっています。

しかし、他方、コロナ危機は人類共通の課題として、人類を結びつけるチャンスでもあるのです。

 


・不戦の訴えは日本の使命である

 

―― 西原さんの体験や思いはどういうものですか。


西原:私は治安維持法が改正され、張作霖爆殺事件が起きた昭和3年に東京で生まれました。

日本がまさに戦争へ転がり落ちる時代に生まれたのです。


昭和11年2月26日には大雪のなか小学校に行きましたが、休校の張り紙がしてあり、首を傾げながら家に帰ると家族が騒いでいました。

二・二六事件の時、目の前で父親を殺された渡辺和子さん(元ノートルダム清心学園理事長)は姉の同級生であり、子供心に「大変なことが起きた」と身震いした記憶があります。


翌12年には日中戦争が始まり、16年には太平洋戦争が始まりました。

昭和19年にはサイパン、グアムが陥落して本土空襲が現実味を帯びました。


当時、私が住んでいた武蔵野には、中島飛行機株式会社の武蔵製作所という国内最大級の工場があり、本土空襲の時は真っ先に狙われると言われていました。

しかし、武蔵野消防署の消防隊員はみな兵隊に取られていて、いざという時に消防活動ができない。


そこで、私が通っていた中学校の中から運動神経の良い生徒を20人選んで、臨時の消防隊員にすることになりました。

私もその一員に選ばれて同級生たちと消防訓練に励みました。


そして同年11月から武蔵製作所を標的とする空襲が始まり、爆弾や焼夷弾が降り注ぐ中で消火活動に走り回りました。

出動命令が発令されて飛び出した数十秒後に元いた場所に爆弾が落ちるなど、ギリギリのタイミングで命拾いしたこともあります。


しかし学徒動員で工場に働いていた妹は工場内で結核をうつされ、終戦後に亡くなりました。

妹も戦争犠牲者です。


兄として妹を救えなかった、戦争さえなければ幸せな人生を送っていたと思うと、今でも胸が締め付けられます。

そして昭和20年8月15日が来ました。


当時17歳だった私には、8月15日は単に戦争が終わった日、日本が敗れた日ではありません。

それは、自分の価値観が根底から覆された日でした。


その日を境に、それまで善とされてきたことが悪になり、それまで悪とされてきたことが善になった。

多情多感な時期に、価値観の激烈な転換を強いられる苦痛は想像を絶するものです。


「騙された」と思いました。

「大人は我々を騙した。もはや誰も、何物も信じられない。信じられるのは自分だけだ」と。


それから怒りが湧いてきた。

「戦争で罪もない民衆が命を落とした。俺の妹も命を落とした。誰がこんなバカげた戦争を起こしたのか。絶対に許せない」と。


それ以来、「名目如何を問わず、戦争は絶対にいけない」という信念が血肉化されました。

同時に「全員が正しいと思っていることはどこか間違っている」という違和感も骨肉に刻み込まれた。


そういう言説はどこか胡散臭い。

しかし不戦だけは絶対に正しい。


なぜなら、戦争はそれこそ絶対的な価値を持つ「生命」を奪うものだからだ。

そう確信しています。

 

―― 今後はどのような活動に取り組むのですか。


西原:まずは日本国内で不戦の理念を呼びかけていきたいと考えています。

具体的には、メディアを通じて国民に対する発信を行いたい。


日本国民は必ずや呼応してくれるはずです。

また、次世代を担う「若者の会」や超党派の「東アジア不戦推進議連」を作りたい。


不戦は与野党の共通分母であり、超党派議連も「超克の論理」で実現できるはずです。

その次はアジアに呼びかけます。


マレーシアのマハティール前首相など、東アジアの長老たちと連絡を取り合い、具体的な組織を作りたい。

中国やベトナムなど社会主義国の場合、民間の長老が国策を提言することには難しい部分がありますから、その点に配慮しながら進めていきたいと考えています。


最終的には世界です。

たとえば、日本がドイツに呼びかけ、ヨーロッパの全構成国の首脳が不戦を宣言するよう努力してはどうか。


その次は南北米大陸、その次は……という形で、不戦の理念を広げていければと願っています。

 

―― しかし、そもそも日本は戦争を始めてアジアに戦災をもたらした国です。


西原:だからこそ説得力があるのです。

いかなる名目があろうとも戦争は絶対に起こしてはならない、このことを最も説得力をもって主張できるのは、かつて自国の名目を掲げて戦争を始めて他国に甚大な被害を与え、自らも大きく傷ついて敗れた国ではないか。


その後過去の反省の上に立ち、戦争放棄を憲法の中に明言して、平和国家として戦後の歴史を歩んできた国ではないか。


世界に不戦を訴える、これこそ天に与えられ、歴史に授けられた日本の使命です。


(8月9日、聞き手・構成 杉原悠人)<提供元/月刊日本2020年9月号>


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85歳以上の日本の「長老」たちが不戦を掲げて立ち上がったワケ
ハーバー・ビジネス・オンライン 2020.08.25
https://hbol.jp/pc/226626/