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■『女王の教室』名言(日本テレビ系列ドラマ:2005年、教師・阿久津真矢役:天海祐希、脚本:遊川和彦)

2022-08-17 06:44:32 | 日記

 


■『女王の教室』名言(日本テレビ系列ドラマ:2005年、教師・阿久津真矢役:天海祐希、脚本:遊川和彦)

 

 

 

 


■『女王の教室』とは?(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)

 

『女王の教室』は、2005年7月2日より9月17日まで毎週土曜日21:00 - 21:54に、日本テレビ系列の「土曜ドラマ」枠で放送されていた。

教師・阿久津真矢(天海祐希)と半崎小学校6年3組の児童との1年間にわたる「闘い」を描いた学園ドラマ。

最終話のラストシーンでは瞬間視聴率31.2%を記録。

 

 

 

 

 

■『女王の教室』名言

 


~~~


いくらでも食べ物があると思ってる方が間違いなの。

日本の食糧自給率は、世界で124位です。

もし、アメリカや中国といった農業大国が不作になって輸入がストップしたら、飢え死にするしかないのよ、私達は。

それを考えたら、食べ物を粗末になんかできないはずなのに、日本人は大量の輸入した食糧の2割以上を無駄に捨てているんです。

好き嫌いばかり言って平気で給食を残すあなた達のように。


~~~
ドラマ『女王の教室』より

 

 

 

 

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いじめをやめなさいと言って、いじめをやめますか、子供たちが。

大事なのは、子供達がいじめに立ち向かう精神力をつけることです。

いじめに対処する知恵を持つことです。

いじめられても戦おうという気力がないからいつまでたってもいじめられるんです、いじめがいが無くなれば、みんなやめるのに。

そういうことを教えないで、犯人を見つけても何の意味もないでしょう。

そんなことも分からないんですか?


~~~
ドラマ『女王の教室』より

 

 

 

 


~~~


イメージできる?

あなたたちにした以上に酷い事は世の中にいくらでもあるの。

人間が生きてる限り、イジメは永遠に存在するの。

何故なら、人間は弱い者をいじめるのに喜びを見出す動物だからです。

悪いものや強いものに立ち向かう人間なんて、ドラマや漫画の中だけの話であって、現実にはほとんどいないの。

大事なのは自分たちがそういういじめにあった時に、耐える力や解決する方法を身につける事なんです。


~~~
ドラマ『女王の教室』より

 

 

 

 

 

 


~~~


その子が私にこう言ったからよ。

なぜ人を殺しちゃいけないんだって。

その子は、頭も良くて、運動も出来て、体も大きかったから、クラス中に恐れられていたの。

事実その子のターゲットになった子は次々と苛められて、自殺未遂をする子までいた。

でもその子は反省もせず、こう言ったの。

なぜ、人を殺してはいけないんですか。

そう質問すれば、大人がちゃんと答えられないと知っていたのね、彼は。

だから私は、彼に教えたの。

他人の痛みを知れと。

みんな、自分と同じ生身の人間なんだと。

どんな人にも、あなたの知らない、素晴らしい人生があるんだと。

一人一人の人間の持つ家族や、愛や、夢や、希望や、思い出や、友情を奪う権利は誰にもありません。

残される遺族に、苦しみや、痛みや、悲しみを与える権利も誰にもありません。

だから人を殺しちゃいけないんです!


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ドラマ『女王の教室』より

 

 

 

 

~~~


全くあなた達は…何か気に食わないことがあると、親が悪い、教師が悪い、友達が悪いと、人のせいにして…

いい加減目覚めなさい。

そんなことばかりしていると、自分では何も考えられない思考停止人間になるだけよ。

イメージできる?

何か辛いことがあった時に、あなた達にできることなんか、せいぜい目をつぶることぐらいじゃない。

でも目を閉じても、問題は消えて無くならないわよ。

目を開けた時に、事態はもっと悪くなっているだけ。

普段は個人の自由だなんて言って権利を主張するくせに、いざとなったら人権侵害だと大人に守ってもらおうとして。

要するに、いつまでたっても子供でいたいだけなのよ。

悔しかったら、自分の人生くらい、自分で責任持ちなさい!


~~~
ドラマ『女王の教室』より

 

 

 

 

 


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いい加減目覚めなさい。

まだそんなことも分からないの?

勉強は、しなきゃいけないものじゃありません。

したいと思うものです。

これからあなた達は知らないものや理解できないものに沢山出会います。

美しいなとか、楽しいなとか、不思議だなと思うもの沢山出会います。

そのとき、もっともっとそのことを知りたい、勉強したいと自然に思うから人間なんです。

好奇心や探究心のない人間は人間じゃありません。

猿以下です。

自分たちの生きているこの世界のことを知ろうとしなくて何ができるというんですか。

いくら勉強したって、生きている限り分からないことはいっぱいでもあります。

世の中には、何でも知ったような顔した大人がいっぱいいますが、あんなものは嘘っぱちです。

良い大学に入ろう良い会社に入ろうが、いくつになっても勉強しようと思えばいくらでもできるんです。

好奇心を失った瞬間、人間は死んだも同然です。

勉強は、受験のためにするのではありません。

立派な大人になるためにするんです。


~~~
ドラマ『女王の教室』より

 

 

 

 

 

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人生は1秒1秒の積み重ねです。

時間を無駄にする者は、人生を無駄に生きているのと同じことなんです。

そういう人がいること自体、クラスにとって有害だと思わない?

イメージできる?

どんなに立派な会社でも、ちゃんと仕事をしているのは全体の30%くらいなんです。

あとの50%は、何もしてないのと同じだし、残りの20%に関しては、人の足を引っ張っているだけ。

問題は、一生懸命やっている人も、足を引っ張っている人を見ている内に馬鹿馬鹿しくなって何もしなくなることです。

そして、会社はあっという間につぶれます。

今まさに、それと同じことがこのクラスでも起ころうとしているのよ。

だったら足を引っ張る20%なんて、いない方がましだと思わない?

要するに、自分さえ良ければ良いの、みんな。

ま、今は日本中そうだけど


~~~
ドラマ『女王の教室』より

 

 

 

 

 

 

 

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いい加減目覚めなさい。

人生に不安があるのは当たり前です。

大事なのは、そのせいで自信を失ったり、根も葉もない噂に乗ったり、人を傷つけたりしないことです。

たとえば、人間は死んだらどうなるかなんて誰にもわからない。

言うとおりにすれば天国に行けるとか、逆らえば地獄に落ちるとか言う人がいますが、あんなものはでたらめです。

誰も行ったことがないのにどうしてわかるんですか?

わからない物を、わかったような顔をして、無理に納得する必要なんかないんです。

それよりも、今をもっと見つめなさい。

イメージできる?

私達の周りには、美しいものがいっぱいあふれているの。

夜空には無数の星が輝いているし、すぐそばには、小さな蝶が、懸命に飛んでいるかもしれない。

街に出れば、初めて耳にするような音楽が流れていたり、素敵な人に出会えるかもしれない。

普段何気なく見ている景色の中にも、時の移り変わりで、はっと驚くようなことがいっぱいあるんです。

そういう大切なものを、しっかり目を開いて見なさい。

耳を澄まして聞きなさい。

全身で、感じなさい。

それが生きているということです。


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ドラマ『女王の教室』より

 

 

 

 

 

 

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愚か者や怠け者は、差別と不公平に苦しむ。

賢いものや努力をしたものは、色々な特権を得て、豊かな人生を送ることが出来る。

それが、社会というものです。

あなたたちは、この世で人も羨むような幸せな暮らしをできる人が、何%いるか知ってるたったの6%よ。

この国では100人のうち6人しか幸せになれないの。

このクラスには24人の児童がいます。

ということは、この中で将来幸せになれるのは、一人か二人だけなんです。

残りの94%は毎日毎日不満を言いながら暮らしていくしかないんです。

いい加減、目覚めなさい。

日本という国は、そういう特権階級の人たちが楽しく幸せに暮らせるように、あなたたち凡人が安い給料で働き、高い税金を払うことで成り立っているんです。

そういう特権階級の人たちが、あなたたちに何を望んでるか知ってる?

今のままずーっと愚かでいてくれればいいの。

世の中の仕組みや不公平なんかに気づかず、テレビや漫画でもぼーっと見て何も考えず、会社に入ったら上司の言うことをおとなしく聞いて、戦争が始まったら、真っ先に危険なところへ行って戦ってくればいいの。


~~~
ドラマ『女王の教室』より

 


■瀬戸内寂聴の心に残る名言

2022-08-17 06:44:09 | 日記

 


■瀬戸内寂聴の心に残る名言

 

 

 


・あなたは苦しんだ分だけ、愛の深い人に育っているのですよ。

 


・人に憎しみを持たないようにすると、必ず綺麗になりますよ。やさしい心と奉仕の精神が美しさと若さを保つ何よりの化粧品なのです。

 

 

・どんな悲しみや苦しみも必ず歳月が癒してくれます。そのことを京都では『日にち薬(ひにちぐすり)』と呼びます。時間こそが心の傷の妙薬なのです。

 

 

・人は所詮一人で生まれ、一人で死んでいく孤独な存在です。だからこそ、自分がまず自分をいたわり、愛し、かわいがってやらなければ、自分自身が反抗します。

 

 

・人生はいいことも悪いことも連れ立ってやってきます。不幸が続けば不安になり、気が弱くなるのです。でも、そこで運命に負けず勇気を出して、不運や不幸に立ち向かってほしいのです。

 

 

・私は「元気という病気です」とよく言います。ある講演会の司会者が、「瀬戸内さんの元気という病気が、ますます重症になるようにお祈りします」と挨拶して、会場が爆笑の渦となりました。

 

 

・どんなに好きでも最後は別れるんです。どちらかが先に死にます。人に逢うということは必ず別れるということです。別れるために逢うんです。だから逢った人が大切なのです。

 

 

・生かされているのですから素直に有り難いと思いましょう。生きている値打があるから生かされているのですもの。

 

 

・人は、不幸のときは一を十にも思い、幸福のときは当たり前のようにそれに馴れて、十を一のように思います。

 

 

・たくさん経験をしてたくさん苦しんだほうが、死ぬときに、ああよく生きたと思えるでしょう。逃げていたんじゃあ、貧相な人生しか送れませんわね。

 

 

・死というものは、必ず、いつか、みんなにやって来るもの。でも、今をどのように生きて行くか、何をしたいか、生きることに本当に真剣になれば、死ぬことなんて怖くなくなるもんです。

 

 

・お子さんに「何のために生きるの?」と聞かれたら、「誰かを幸せにするために生きるのよ」と答えてあげてください。

 

 

 

 

■瀬戸内寂聴とは?


瀬戸内 寂聴(せとうち じゃくちょう、1922年(大正11年)5月15日 - )は、日本の小説家、天台宗の尼僧。
俗名晴美。京都府在住。僧位は権大僧正。

学歴は徳島県立高等女学校(現:徳島県立城東高等学校)、東京女子大学国語専攻部卒業。学位は文学士(東京女子大学)。
元天台寺住職、現名誉住職。比叡山延暦寺禅光坊住職。元敦賀短期大学学長。徳島市名誉市民。京都市名誉市民。

徳島県の徳島市で生まれ育った瀬戸内寂聴さんは元々の姓は『三谷』でしたが、父が従祖母の家である瀬戸内家の養子になり、姓が『瀬戸内』に変わりました。
父:三谷豊吉、母:コハルの次女として生まれる。

両親は、徳島県徳島市中州町の仏壇店(瀬戸内商店)を営んでいました。
瀬戸内寂聴は幼いころ、身体が弱く、本を読むのが好きな子供でした。

小説家を目指していたものの、東京女子大学に在学中21歳で結婚し、旦那は中国古代音楽史を研究する学者で、旦那の仕事の関係で北京に同行します。
中国で女児を出産しました。

北京から帰国後、瀬戸内寂聴さんは旦那さんの教え子と、不倫関係になり、旦那さんや子供を残してその教え子と駆け落ちします。(夫の家庭内暴力もその原因だったようです)
瀬戸内寂聴はその時24歳。娘はまだ3歳。

そのことが原因で、父親とモメた挙句、親子の縁をきられる。
しかしその後、その青年から捨てられます。

一人になった瀬戸内寂聴は自立を目指し出版社に就職します。
今度は、そこで出会った小説家・小杉慎吾と恋に落ちます。

そんな時に、お別れした青年が12年ぶりに瀬戸内寂聴に会いにきて、放っておくことが出来ず再び関係がスタート、二股に。
1973年に51歳で岩手県の中尊寺にて出家し、1987年に岩手県の天台寺にて住職に就任します。

出家を決意したのはやはり過去の不倫したことに対する、罪滅ぼしとも言われています。
代表作には『夏の終り』や『花に問え』『場所』など多数。1988年以降には『源氏物語』に関連する著作が多い。

これまで新潮同人雑誌賞を皮切りに、女流文学賞、谷崎潤一郎賞、野間文芸賞などを受賞している。
1997年文化功労者、2006年文化勲章。


■平野歩夢名言集

2022-08-17 06:41:40 | 日記

■平野歩夢名言集

 

 

 

 


オリンピックって特別すぎるんです。ほかの大会とは違うプレッシャーがあるので、普段の感覚、状態そのままではいられなくなります。ある意味、自分がスノーボーダーとして追求している滑りとは違う部分を出さなければならなくて、そこの切り替えがすごく難しいんです。

 

 

 

 


今は小さい頃に見ていた景色とは真逆の状態で、自分がスノーボードを進化させ続けていかなければならない立場にあります。

 

 

 

 


細かな高さや跳びばかりではだめというのがスケートボードのポイントの基準。それに、僕は滑っている期間が他の選手に比べて少ない。海外の選手たちと比べると、パークの中ではまだまだ経験が足りないので、いろいろなパークを滑り慣れていかないといけない。

 

 

 

 


いろいろな人の気持ちや意見を聞いて受け入れることも、自分の成長になるのかなと。いろいろな人を見て、いろいろな人と会話して、この人はこう思っているけれど周りはこう思っていて、と感じることは、あらためて自分を見つめ直すために必要だと思っています。

 

 

 

 


何かを失ってでも得ようとする気持ちによって、精神的強さも生まれるし、結果よりももっと先の自分のためにつながることだってあります。自分にしか得られないものを、この横乗りを通じて、これからの子たちに伝わることが生まれれば良いと思います。

 

 

 

 


始めた頃(4歳)の記憶としてはっきりとしたストーリーは覚えていないですが、5、6歳の時にスケートパークの外にあった大きなバーチカル(スケートボードのハーフパイプの名称)でずっと繰り返しターンの練習をしていたことは覚えています。

 

 

 

 


子どもたちの憧れになるようなパフォーマンスをするためには練習の仕方も人と同じことをしていてはいけない。そういう意味ではすべて自分の頭で考えて作り出したものでなければ世界にはなかなか通用しないし、年々そこの部分が大事になってくるのかなって思います。

 

 

 

 


集中力を欠いてしまったときにケガすると思うから。それに1日に詰め込んでもダメだと思うんです。その次の日も滑るだろうし、身体のコンディションを考えながら、集中するところは集中して取り組むようにしています。

 

 

 

 


でも毎日楽しくやっていたわけではありません。小さい時から遊びじゃないという意識もあったので、父の指導もとても厳しかったですし、当然怪我もいっぱいするので辛くて行きたくないと思うこともよくありました。

 

 

 

 


やり方が全然別物。乗ってる物(ボード)は似ている雰囲気があると思うが、実際にやってみると、こっち(スノボ)がうまいからこっち(スケボー)もうまいというのは現実的にない。

 

 

 

 


なんて言えばいいんだろ..今でも苦しい形を作らないと今後自分は成長できないんだなと小さい頃から今でも...それを信じてやっているのかなという風に僕は思います。

 

 

 

 


やっぱりサッカーや野球よりも全然(人気や規模の)レベルが下のスポーツなので。でも、本当にそれくらいビッグで有名なスポーツに持っていくことは不可能ではないと思っています。

 

 

 

 


自分よりもさらにプレッシャーのある中で、最終滑走で、これまで決めたことないトリックをあの場で決めてくるというメンタルの強さにびっくりしました。(ホワイトに)転んでほしいとか、そういう願いはしていませんでした。3ヒット目くらいには「これを決められたら抜かされるだろうな」と。

 

 

 

 


自分の目的としては時間かけなきゃできないことだったり、人が今現在やってない事とかっていうものをチャレンジしたいっていうのを前々から思ってる所があってそれが最終的にはお金でも買えない、時間でしか辿り着けない自分の将来の事まで考えて今後はチャレンジ出来ればと思ってるんで。

 

 

 

 


僕自身の滑りでも、高さだとか、スノーボードやってるからこういう滑りができるんだよなっていうのを、少しでも感じてもらいたい。自分にしかできない魅力的な滑りがちょっとでも伝わればと思って今日は滑った。

 

 

 

 


自分も小さい時には上の人たちのことを、憧れを抱いて見ていたので。誰もが小さい時にはスターのような存在はいると思います。だから自分も世界の子ども達からそういうふうに見てもらいたいっていう意識はあります。

 

 

 

 


スケートボードは楽しんで(滑る)。スノーボードよりも楽しむことがメイン。本当にみんな上手なので、そんなに簡単にはいかないのが現実だと思う。楽しめて、結果よりもそこが次につながればいいかなって。

 

 

 

 


これ以上なにをよくすればいいんだろうと思うくらい自分が準備してきた物が多かったり色々やれることやってきた4年間だったんで、すごい自分の中で常に疲れてるだとかあんまり笑顔がないような苦しい気持ちになってた事が今思えば多かったのかなと思います。

 

 

 

 


細かく言うと、キャッチの完成度、あとは高さ。本当だったら、もっと自分だったら出せるところなので、そこはもう少し点数を伸ばせたかなと思います。あとは決勝3本目でさらにもう1ヒット、技を入れられたら、点数も変わっていたかなと。そういうところで悔しさがあります。

 

 

 

 


スノーボードで頂点をとり続けることは簡単ではないことを、あらためて今回、実感しました。本当に人一倍、(一歩)先のことをするんだったら、自分が考えた式と答えのなかで、人と違う滑りで上のものを目指しながら、結果を取り続けられたらなと思っています。

 

 

 

 


高さを自分の一番の武器にしていてスピンより自分の滑りというものに魅力というか、1発で「あれがアイツ」というような自分の1つのスタイルとして高さを追求しています。そういう意味で、小学校3、4年生くらいから1発目のヒットには必ず誰よりも高く飛べるエアターンを用意してきました。

 

 

 

 


東京オリンピックに関しては……、ここから目指すというのは、すごいハードなトレーニングになると思うので。自分は、まだはっきり決めていない部分もあります。その部分を、これから、しっかり整理して考えられたら……。当然、可能性があれば、という形で考えてはいます。

 

 

 

 


ほんと4年間時間がたってるんで、やっぱりいろんな思いだったり、それなりに自分もいろいろ考えて、4年生活してきたっていうのが、いろんな思い詰まって、なおさら前回よりいい銀メダルなのかなっていうふうな、そんな印象ですね。

 

 

 

 


これ以上の回転というのが、ハーフパイプでは限界まで来ているというのも現状です。今できることの高さや完成度、プラスアルファで「DC14(ダブルコーク1440)」を3つが、自分がさらに勝ち続けるなら必要だと思います。

 

 

 

 


俺、小さい時にテレビで言っちゃったんですよね。スノーボードとスケートボードで世界一になるって、だからやるしかないんですよね。

 

 

 

 


でも毎日楽しくやっていたわけではありません。小さい時から遊びじゃないという意識もあったので、父の指導もとても厳しかったですし、当然怪我もいっぱいするので辛くて行きたくないと思うこともよくありました。

 

 

 

 


スケートボードで五輪に出たい、東京五輪に出たいというのは、それ自体が目的ではないんです。自分の人生として、スノーボードをやってきましたし、またスケートボードもやってきました。自分は人がやっていない道をたどりたいというか、何の足跡もないところを目指しているので。

 

 

 

 


本当に人一倍、(一歩)先のことをするんだったら、自分が考えた式と答えのなかで、人と違う滑りで上のものを目指しながら、結果を取り続けられたらなと思っています。自分のこだわっているものや勝ち方にこだわりながら、また頑張っていきたいなと思います。

 

 

 

 


体から落ちるスノーボードと、コンクリートに対して足から衝撃を吸収しなければならないスケートボードはやり方が別です。

 

 

 

 


父さんが好きだったというものもあって尾崎豊がすごく好きになってとかその世代のちょっと古いんですけどスポーツを通して共感できる部分とかっていうのもあってそういうのを聞いたりします。

 

 

 

 


音楽だったり、滑る前の日にちゃんと私生活の面でちょっと気合入れて、なんかほかのことで取り組んでから、次の日スノーボードすることによって、自分のフィールドで、自分のテンションのなかで集中できるんで、それと同じような気持ちで大会も出られれば一番いいなとは思ってますね。

 

 

 

 


カッコいいライディングで魅せるスノーボーダーって世界中にたくさんいる。逆に、カッコよさを犠牲にしてまで自分と戦ってるヤツは少ない。このスタイルの違いはオレの中で明確に分かれていて、だから、あえてこっちの道を進もうっていう考えでもある。

 

 

 

 


野球とバスケを両立しているのと一緒。同じ横乗りでも、それぐらい、似ているようで離れている。

 

 

 

 


五輪っていう小さい頃からの目標が、いろんな意味で自分のスノーボードに大きな影響を与えてるんだってことをすごく感じていて......。そういうことを理解するのにすごく時間がかかりました。

 

 

 

 


1回目は連続の4回転というよりは、4回転決めて、下でもうちょっとコンビネーションとしての、2本目に備えてのルーティーンを自分でイメージしてたんですけど、着地が上手くいかなかったんで、2本目からは攻めようというふうな気持ちは最初から、今日大会の前から思ってたんで。

 

 

 

 


車も親の車借りてちょっと出掛けたりするんですけどあんまり運転楽しいか楽しくないかでいったら意外となんとも思ってなかったり(笑)普通に音楽流して黄昏て...あんまりどこ行きたいとかは...それなら家にいたりする方が...

 

 

 

 


ショーンに興味を持ったのは、スノーボードとスケートボードへの関わり方が自分と似ている気がしたからです。僕は今のところ、競技としてはスノーボードしかやってないけれど、滑りの基本のほとんどはスケートボードで学んだといってもいい。

 

 

 

 


今後のことも、今、自分が取り組んでいることが土台になるから、自分の将来の可能性もまだまだ無限に広げられると思うんです。だから、今は今しかできないことをやっていきたい。もちろん、自分のカラーを出しながら。

 

 

 

 


僕にとってのスケートボードは、競技のチャレンジだけではなく、精神的な部分でもチャレンジです。スノーボードで得ているものを失うかもしれない中でスケートボードをやっているのは、すごくリスクがあることだと思います。

 

 

 

 


引退するまでは色んなことをぶっちぎってやっていきたいですね(笑)。

 

 

 

 


スケートボードをやっている以上は、ひとつの挑戦という気持ちです。挑戦なので、そこには失敗がある。そのうえで、挑戦が良い形で実ればと思っている。それを自分の中での大きなテーマにしています。

 

 

 

 


リスクとかプレッシャーは今まで以上にすごく大きくて、何かに挑戦するってことはそれだけの注目も受け止めないといけない。そういう点でも人が経験できないところを、いま、前を向いて走っていると思う。その経験によって今まで以上に強くなることができればと思って挑戦した。

 

 

 

 


2つの競技をやってみて、共通するものは必ずあると思う。それを探しながら、このチャレンジに挑んでいるところもある。

 

 

 

 


あえて難しい道で戦って、精神的な強さが生まれることが自分のためにもなると思う。

 

 

 

 


自分は人がやっていない道をたどりたいというか、何の足跡もないところを目指している。

 

 

 

 

 

 

 


■平野歩夢とは?

 

 

 

平野歩夢。

スノーボード選手。

 


スケートボードも日本国内トップクラスの選手。

スノーボードとスケートボードの「二刀流」選手として、オリンピック夏冬のメダル獲得を目指す。

 


スケートパークを運営する父・平野英功のもとに生まれる。

4歳の時に3歳上の兄の影響でスケートボードとスノーボードを始める。

 


福島県南会津町の会津高原南郷スキー場や山形県小国町の横根スキー場でドロップインからラインどりの練習を行った。

その後小学4年時にスノーボードメーカー、バートンと契約し、2011、2012年の全米オープンのジュニアジャムで連覇を果たす。

2011年3月、アメリカ・バーモント州ストラットンで行われた全米オープンの決勝で13位に入る。

 


14歳で出場した2013年1月に開催されたX Gamesでは難易度の高い技を他のトップライダーが繰り出す中、圧倒的なエアの高さと、パイプ内でのパーフェクトな動きで史上最年少で銀メダルを獲得。

 


2月にスイスのラークスで行われた欧州オープンでは優勝。

同年8月にニュージーランドで行われたW杯開幕戦で優勝。

 


なお、平野は最年少でTTRワールドスノーボードツアーのハーフパイプ部門において年間王者になっている。

 


2014年のソチオリンピックで、平野は2月11日に行われた決勝で1回目で90.75点、2回目で93.50点をマークし2位につけ銀メダルを獲得した。

なお、15歳74日でのメダル獲得は冬季オリンピックにおける日本人史上最年少記録であり、平野と同種目で銅メダルを獲得した平岡卓と共に、日本人史上初のスノーボード競技でのメダル獲得となった。

 


また、平野はスノーボードにおける最年少のオリンピックメダリストとしてギネス世界記録に認定された。

同年4月に開志国際高等学校に入学。

 


2015年、欧州オープンで2位、全米オープンで3位等の成績を残し2014-2015シーズンから新設されたワールドスノーボードツアープロシリーズで男子ハーフパイプ部門でシーズン王者となる。

2015-2016年シーズン、平野にとっては開幕戦となった12月、ブレッケンリッジのウインターデューツアーに出場し予選を4位で通過、13日の決勝は2本目のランをうまくまとめ2位になった。

 


2016年1月、平野はスイスのラークスで行われたLAAXオープンに予選免除の招待選手として出場し、21日の準決勝を1位で通過して翌日の22日の決勝を3本目のランで完璧な滑りを見せ1位になり優勝、またオスロで行われた初開催されたX Gamesには決勝を1本目のランから高得点を出し初優勝した。

2016-2017年シーズンは未成年者選手の飲酒騒動を受けて、飲酒を否定している平野も第三者委員会の調査のため活動休止を余儀なくされた。

 


最終戦の3月の全米オープンでは左膝の内側側副じん帯を損傷と腹部を強打して肝臓も痛める大怪我をした。

2017年2月、平野は住宅メーカーの木下工務店などを傘下に持つ木下グループと所属契約を結ぶ。

 


それまで所属していたバートンからは引き続き用具の提供を受ける。

同年4月、日本大学スポーツ科学部に入学。

 


2018年1月28日に開催されたX Games ASPENでは、史上初連続縦2回転+横4回転を決め金メダルを獲得。

2018年平昌オリンピック、2月14日に行われた決勝2回目、平野は連続縦2回転+横4回転を決め95.25点をマークしてトップに躍り出るも、3回目最終滑走のアメリカのショーン・ホワイトが97.75点をマークして逆転。

 


惜しくも金メダルは成らなかったがホワイトに次ぐ2位に入り、平野自身冬季五輪で2大会連続となる銀メダルを獲得。

 


2018年ユニクロとグローバルブランドアンバサダー契約締結。

 

2018年11月、2020年東京オリンピックで新種目として採用されるスケートボードに挑戦することを表明。

 

東京オリンピックが1年延期されたことで2022年北京オリンピックとの間隔が狭くなり、スノーボードの練習との並立が難しくなる中で、2021年5月のスケートボードの国際大会で日本人トップとなり開催国枠で東京オリンピック出場権を獲得。

 

2021年8月5日に開催された東京オリンピックスケートボード男子パークに出場し、予選は通過できなかったが、日本で5人目となる夏冬五輪出場選手となった。

 

2022年2月11日に行われた北京オリンピック、スノーボード男子ハーフパイプ決勝にて「トリプルコーク1440」を1回目から成功させたものの転倒もあり9位、2回目は91.75で2位となり、「2本目の点数に納得いかず、そういう怒りが自分の気持ちの中でうまく表現できた」3回目の滑走では96.00点をマーク、いずれも日本人選手初となるスノーボード種目での金メダル獲得と冬季オリンピック3大会連続メダル獲得を成し遂げた。