ろうそく能に行ってきた。
金沢の町は久し振りなので、まずは金沢城に。
二の丸はどうなっているかな。
発掘現場は相変わらず塀に囲まれていてそのままだった。
次に兼六園に。
金沢のシンボルになっている徽軫灯籠(ことじとうろう)とその隣にあるイロハ紅葉を撮るつもりだったが、まだ紅葉はしていなかった。
それより昨日の兼六園は無料開放とあって物凄い人でとても写真を撮れる環境でなかった。
葛城(かづらき)
【あらすじ】旅の山伏が葛城山で吹雪に遭っている所へ山女が通りかかる。
女は一行を庵に招き入れ火を焚いてもてなすうち、自分が葛城の神であり役行者の命に背いた咎めで戒を受ける身となったことを明かし、祈祷を頼んで消える。やがて祈祷する山伏の前に、女神が現れ喜びの大和舞を舞う。ーパンフレットより。
その昔、霊験の世界を見せるため、夕方、あたりが暗くなってから能舞台の周りに薪を焚いて能役者の姿が薪の明かりでゆらゆら見え隠れする姿を演出した。
能舞台が屋内に移ってからは屋内で焚火をするわけにはいかないので、薪をろうそくに替えて催すようになった。
それで薪能がろうそく能と変わった。
私はお能を見にいくときはいつも謡本を持って行く。
能を始める前に照明が落とされ辺りは薄暗くなる。
とても本が読めない、でも幸いにも背後に非常口の明かりがあったのでなんとか読めた。
宝生流では、ワキのセリフは別の台本があるらしく、謡本に書いてあるセリフとは違う。そこで途中でどこの部分を演じているのか分からなくなるのでその場所を探すのに苦労する。
終わったのは5時45分ごろで外に出ると当たるは暗くなっている。
ああもうこんな季節になったのだな。
帰り、買い物をして帰る予定だったが、とてもその気分になれずその足でバスの人となる。
バスの運転手も人手不足で本数が大幅に減った。
下手すると帰りが何時になるか分からない。
寄り道する気力も落ちる。
兼六園の料金所近くに頑丈に見えるレンガ塀がある。
明治時代に当時の皇太子(後の大正天皇)が来県して宿泊所にした園内の成巽閣(せいそんかく)の周りに警護の為に頑丈なレンガ塀が作られた。その一部が残されている。
2018年6月18日大坂北部地震があり、その時ブロック塀が倒れて小学年生の女の子が下敷きになって亡くなった。
それで大騒ぎになり、この頑丈なレンガ塀も倒れたら大変と周囲をカラーコーンで囲んで、塀の下を通れないようにした。
そのカラーコーンなくなった。
後ろに頑丈な鉄の支えができたのである。
問題のブロック塀から比べればこのレンガ塀は倒れそうにないのに当時のお役人がこんなところにも気を使った。
当時の写真ー2018年7月13日のブログ記事(亀の川登)から
行ったのはもう数十年前
懐かしいな~。