亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

お坊さんがクリスチャンに?

2011-08-10 | 法話

私も歳を取ったものだ。この前から法話をきくようになった。

法話と言うとやたらと笊が廻ってきて、何度もお賽銭が催促されるもんだと思っていたので、聞くに行くのをためらっていたが、近くのお寺でお賽銭は300円でよいと言ってくれたので、半信半疑で参加してみた。

本当に300円だった。

当寺の住職さんは出来た人で、各地に講演活動に出かけているようで、お賽銭の額にはこだわらないようだ。

浜辺の足跡(神 我等と共に)

作 アデマール・デ・パロス(ブラジルの詩人)

 夢を見た。 クリスマスの夜。

浜辺を歩いていた。主と並んで。

砂の上に二人の足が、二人の足跡を残していった。

私のそれと、主のそれと。

ふっと思った、夢の中でのことだ。

この一足一足は、私の生涯の一日一日を示していると。

立ち止って後を振り返った。

足跡はずっと遠く見えなくなるところまで続いている。

ところが、一つのことに気づいた。

所々、二人の足跡でなく、

一人の足跡しかないのに。

私の生涯は走馬灯のように思い出された。

何という驚き、一つの足跡しかないところは、

生涯でいちばん暗かった日とぴったりと合う。

苦悶の日、

悪を望んだ日、

利己主義の日、

試練の日、

やりきれなくなった日、

自分にやりきれなくなった日。

そこで、主の方に向き直って、

あえて、文句を言った。

「あなたは日々私たち共にいると約束されたではありませんか。

なぜ約束を守ってくだされなかったのか。

どうして、人生の危機にあった私を一人で放っておかれたのか、

まさにあなたの存在が必要だった時に」

ところが主は私に答えて言われた。

「友よ、砂の上に一人の足跡しか見えない日、

それは私が君をおぶって歩いた日なのだよ」

今度の法話に来てくれたお坊さんがこんな話を持ってきてくれた。

これってクリスチャンの作った詩じゃないの?

この話はどこから手に入れたのかは分からないけど、彼は、2ヶ月程、毎週ミサに真面目に参加していたそうだ。

お坊さんがそんなことしていいのかな~。

キリスト教の神様を仏教で言うならば、阿弥陀如来に置き換えられます。成る程、お坊様も心が広いんだ。

正直言って、信じる相手は仏様でも神様でもいいんだ。それで多くの民が救われるなら・・・。

私は科学の人間、1+1は2にならないと面白くない。2にならないのは、公式を知らないからだ。

1+1は2になったり、3になったりするのは宗教の世界だけなのだ。

何ちゃって生意気なこといっている。

東北太平洋沿岸大地震で大きな津波が、家、木、自動車それに人間を初め動物達も一瞬に押し流した。

「まるで、ハリウッドの映画を見ているようだった」。とお坊さんは言っていた。

私も、あの大地震で考え方が180度変わった。

幸せだ不幸だといっているのは人間様の勝手で、大自然の前では何の意味もないんだ。それはただ単なる自然現象に過ぎないのだと。

ロケットで宇宙に出かけて地球を眺めた宇宙飛行士が、地球上で起こっているあらゆる争いごとがバカらしく見えるのと同じだ。

それにしても人間は何とも我儘な生き物だ。

自然界には1日24時間いつ我が命を持っていかれるか分からない動物達ばかりというのに、人間とい奴はそれらの動物達の住みかを奪うばかりか、平気で彼らの命を奪って、「おいしいおいしい」といって食べているのだから。とんでもない悪党だ、なのに不幸だ不幸だと言って悩んでいるのだから・・・

バチがあたる。と言ってもお坊さんが言った言葉ではない、私が怒っているのだ。

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