亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

狂言師 六世野村万蔵の話を聞きに行く

2016-08-23 | 学問

足が痛いのでしばらく外出を控えていたのだが先日久しぶりで出かけた。

金沢出身の狂言師の話だと言うので興味津々で出かけたのだが。

どうもつじつまが合わない。「僕のおじいさんが金沢から東京にでて・・・・」

何て言うから間違いがないのだろうが。

講師は6世野村万蔵の子野村万作さんだそうだがおじいさんおじいさんと言っている。

子どもだからお父さんの筈だが・・・あたまがこんがらかった。

叔父さんと言っているのが誰のことを言っているのかもよく分からない。

帰ってネットで調べたが。野村、野村、野村・・・と同じ名前が続いるのでどの野村かさっぱり分からない。

時間をかけてネットサーフィンしてやっと分かったのは、おじいさんというのは5世野村万造さんで今テレビで大活躍中の野村万斎さんの先代野村万斎さんであり5世野村万蔵でもあるのだ。

芸能界とはとかくややこしい。同じ人なのに次々と名前が変わる。

いま、野村万斎とネット検索しても今の2世万斎さんしか出て来ない。初代野村万斎 さんを出すのは大変苦労しなければいけない。

狂言師野村家は加賀藩の町役者で加賀藩お抱え役者だったそうだ。

武士の世から放り出された野村家は大変だったようだ。宝生流宗家宝生九郎もその例の一つで新しい世の中になじもうとする息子とあくまで伝統を守ろうとする宝生九郎と意見が合わずとうとう宗家を追い出され金沢へ逃げ出した九郎は家族に縁を切られみじめな一生を終えた。宝生九郎の墓は金沢にあるが宗家は一度も参拝に来たことはないと言う。

補聴器を幾ら調整しても少しも聞こえが改善しないので、妻に譲ろうとメイカーに頼んで妻の耳に合わせて調整してもらった。今回はそれを使て講演を聞いた。ところが意外にこれがいい。野村万作さんの話はよく分かる。いや、そうではなく万作さんの話し方がいいのかもしれない。普通講演会と言うと、能舞台に立って出す声より、ずっと小さくマイクを使わないと聞き取れないのだが。万作さんの声は大きく一応マイクはおいてあるのだが、スイッチが入っているのかどうか分からない程声が大きい。その証拠にマイクから離れて舞台の隅っこに行っても声が良く聞こえる。スイッチが入っているのがいないのかさっぱり分からない。

大きな声で話す講師は助かる。どうしてみんなマイクの前に立つと声が小さくなるのだろう。能舞台ではあんなに大きな声をしているのに・・・・

 

兼六園と言うと琴柱燈籠と霞ヶ池とそれにこの唐崎の松。この3つを見るともう兼六園とおさらばしてもいいくらい。

それほで重要な役割をしている。

能舞台では松はつきもの。松は曲がっているけど芸は真っ直ぐ杉のように演じるのが芸人だそうだ。野村万作さんは父野村万蔵さんにそう教わったそうだ。

 

そこでお坊さまが云うには、

『あなたたちは、この曲がった松の木をまっすぐに見ようとするからダメなんだよ。いいかい、まっすぐに見るというのは、この松を見て《なんともよくまがっとるの》と感心することが《まっすぐ(・・・・)なんだよ。分かるかな。曲がったものを曲がっていると見ること、それがまっすぐということなんだよ』とのこと。

お釈迦様の教えの中に(しょう)見(けん)(ただしくものを見る)と言う教えがあります。私たちは普段、ちゃんと物を眺めているつもりですが、自分勝手な都合のよい見方や考え方をして、自分の意見ばかりを主張してはいないでしょうか。仏教では、物事を正しく見ることから正しい心、つまり正しい考えが生まれてくると説きます。仏法とは常に自分の心を問いただすことが大切なのだ

先月、アメブロ「亀の勉強部屋」で投稿した文章の一部。

自分勝手な判断はいけませんと6世野村万蔵さんは息子二郎(野村万作)に教えたそうだ。

これと前の文章とは関係ない。

台風9号は北海道で大暴れ「北海道は台風が来ないんじゃない?」と家内は仕切りの首を傾げる。

「これも地球温暖化の性だよ。今まで日本近海で台風が発生しなかったが、最近はしょっちょうだね」とこたえた。


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