諸国行脚の僧、加賀の国で説法をしていたが、途中で僧が独り言をつぶやいていた。この僧にしか見えない御人が法話を聞いていたようだ。
謡本の巻頭には間狂言というのが載っている。能は動きが少なくセリフも難しいので見ている人には分かりにくい。そこで、間狂言師が途中で出てきて能の内容を説明する。
謡本には強吟、弱吟というのがあり、節がよく似ていて一見よく分からない。
印は似ていても謡い方が違う。見分け方は「ウキ」があるかないかである。と教えてもらった。謡本には節の横に小さくカタカナの「ウ」と書いてあり音がせりあがって高くなるところ。ウキは弱吟にしかないのである。同じ印が付いていても謡い方が全然違う。「ツヨク」と書いてある所から強吟が始まる。
弱吟は音の高低が比較的わかりやすいのでわりと理解しやすいが、強吟は音の高低がはっきりしないので難しい。先生について謡っているときは謡えるが、先生がいないとトンと謡えない。おさらい会というのがある。先生が謡ってくれないので生徒さんは弱吟と同じように謡う人がいる。おかしいと思っても謡い方が分からないから仕方がないのである。
「今月も駄目だって。声を出すのはいけないらしいらしい。」と先日、先生から電話があった。「狭い所ならいざ知らず、広い教室では問題がないと思うんだがね」。「だけどダメらしいね」。と先生も残念がっていた。
皆と顔を合わせられるのは何時のことやら。
数年前金沢能楽美術館で館長していた人が講演を行っていた。
A3の紙数枚に裏表ビッシリと書き込んだ資料を配って延々と話された。話し方が単調なので、聞いていてもどこの説明をしているのかよく分からず、講演を聞きながらうつらうつらと眠ってしまい、結局何しに来たのかって感じ。でも熱心に聞きに行っていた。資料は後で読めばいいや。
その中で斎藤実盛というのがあった。能の知識も豊富で、今読み返せば、実盛の謡本に出てくるセリフをそのまま書いてある。
講演では言っていることが分かり易い人と、この先生のように史料は出すが、ただ淡々と喋っているだけで特徴がなく、とんと言っている内容が分からない先生もいる。説明が下手だからその穴埋めに難しい資料を出すのかもしれない。「帰ってから読んでね」って。
小学生の時遠足で篠原の首洗いの池に行ったことがある。どうやって行ったのか覚えていないが、加賀温泉郷の片山津温泉のすぐ近くにある。お隣は柴山潟。
都を出て来る時は10万人いたが木曽の義仲の軍には歯が立たず、2万人足らずになってしまった。皆逃げ帰る平家の軍の中に唯一人勇敢に義仲の軍に立ち向かう武士がいた。立派な鎧を身に付けていることから、これは大物に違いないと、ひっとらえて名を訪ねたが、がんと名乗らない頑固者だった。
首を取って義仲の元に持っていったら、なんとこれは鎌倉から木曽の里に連れて来てくれた大恩のある斎藤実盛ではないか、それにしても今生きているとすれば70歳ぐらい、白髪のおじいさんになっているはず。それで、その髪をこの池で洗って見た。墨は落ちて白い髪が現れた。
それにしてもなんで?。源氏を裏切って平家方に奔ったのが後ろめたかったのか。正体がバレて赦免になっては大恩ある平維盛に申し訳が立たない。
「来月は教室を開けるのですか」。「さ~あね」。
県内の新たな感染者もいなくなって、もう第2波も終わった頃なのに。いい加減に教室を再開してほしい。