皆様、こんばんは。
事務局です。
10日の一宮市内は、曇りの肌寒い天気となりました。
夜遅くに、雨が降り出すようです。
本日の寺西は、部品製作と縫製作業で1日が終わりました。
6日から3日間の旅行中、前にも書きましたが、長野県内は、信越放送(SBC)様、新潟県内は、新潟放送(NSB)様、山形県内は、山形放送(YBC)様のAMラジオを聞いておりました。
聴取していて、「えっ! この番組は続いていたのか〜」と思う番組が、意外に数多くあって、楽しめました。
例えば、番組『ニッポン人物ア・ラ・100年』の放送が流れてきた時には、感動と懐かしさを感じました。
寂しいこともありました。
番組『永六輔の誰かとどこかで』の放送がなくなってしまったことです。
誰かとどこかでは、東京放送(TBS)様で録音した番組を、放送する各局の裁量で流していました。
その関係で、放送時間がまちまちで、県をまたいだ旅行をしていますと、1日に同じ番組を2〜3回、聞くことがありました。
40年以上、放送が続いた番組でしたから、番組が流れないと、寂しいです。
前回に引き続き、山形県酒田市にあります、「山居(さんきょ)倉庫」様のお話を書いていきます。
前回、倉庫は、山居島と呼ばれていた、中洲に建設されたことを書きました。
倉庫前には、船着場が設けられており、最上川舟運の拠点1つとされていたそうです。
上の写真は、船着場に向かう石畳のスロープになります。
左側の白色の建物は、「東宮殿下行啓記念館」です。
冬季、雪に悩まされる酒田市内です。
倉庫の出入口前には、ひさし状の屋根が設けられていました。
ただしこのひさし、寺西の近くにいらっしゃった、高齢の男性観光客の方のお話では、「昔はひさしなかった」とおっしゃっていました。
上の写真は、倉庫出入口前のひさしです。
書籍を読みますと、ひさしとは別に、船着場や荷揚げ川戸には屋根が設けられ、屋根のある廊下で、倉庫とつながっていたようです。
この屋根は、米俵と女丁持(おんなちょうもち)と呼ばれる、米俵を運ぶ女性作業員様が濡れないようにする設備だったそうです。
上の写真は、廊下にかかる屋根になります。
今は事務所とつながっていました。
女丁持は担いで米俵を運びます。
倉庫1号棟に設けられています、「庄内米歴史資料館」様の館内には、一俵、重さにして約60kgを、1つ担いでいる人形が展示してありました。
上の写真は、庄内米歴史資料館の出入口と周辺です。
ある写真には、この俵を5つ、重さにして約300kgを運ぶ女丁持の姿がありました。
前にも書きましたが、倉庫は現在、12棟残っていまして、酒田市役所様寄りから、1号、2号、3号と、倉庫に番号が付けられています。
次回に続きます。
明日は、ブログをお休みします。
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