先日、仕事の関係で国道6号線で相双に行った。
普段は、石巻で仕事をしているので、亡くなった人たちは多かったが、今では復旧・復興?が進んでいると思って、来年には震災から8年になることを感じていたのだが、双葉町の南北周辺の町の2011年3月11日のままの地区を目の当たりにして、その雰囲気に悲しみを覚え、自分の認識不足を知った。ここは、人の手も及ばぬまま、これからも長く被災地のままであるのだろう。
道路に表示される線量計の数値は、明らかに普通ではなく、それを見て勝手に頭痛を感じて、これが避難者の悲劇・被害を生む原因なのだと思って情けなくなった。
土地建物の所有者、居住者の怒りも感じた。当然である。自分の地震の被害は、電気、水道そしてガスが供給されなくなったことに限定され、今は以前と同様に生活している。ここに居た人々は、人の造営物が壊れた結果として追われた。
なぜここにあったのかを考えると、要素はたくさんあるのだろうが、壊れた時にも人的被害が少ないということが大きかったのであろう、と思う。ここの発電所が作った電気の恩恵を受けて来た人々には、この惨状を是非とも見て、悲しさを感じてもらいたいと思う。
各地で災害が起きている。乱暴な言い方になるが、水害ならば水の流れ方、液状化ならば、地盤を調査して必要な対処の仕方というものがあるのかもしれないが、放射能汚染はそうはいかない。天地創造の神様に、再びどろどろのものから形作ってもらわないとどうしようもない。
ホットスポットは、広範囲に存在しているが、人に影響がある所については、トラックの移動でなんとかなるかもしれないのであるが、ここは広すぎる。
九州では、太陽光発電を制限するという。多く作ったのは、正解なのである。相双を見たので特に思うのだが、使えないというのは、制度の作り方がまちがっているということを証明しているのである。
豊洲の市場の初日のありがちな混乱を、時間をかけて喜んで報道している会社にもあきれる。たくさんの犠牲をもとにして作っている電気のムダな使い方である。