無味乾燥な

つまらぬ話でございます

がんばれ

2017-10-29 21:29:23 | 日記
雲は.人に見える風である。
風は、大気そのものである。
大気は、地球らしさ、惑星らしさである。
地球の曇り空の下は、宇宙人から見えないから、地球人は、宇宙のスタンダードから外れて、自分の気持ちに素直に生きていい。晴れた日ならば、特にまじめに生きて見せる必要がある。

今、神戸製鋼の問題が報道されている。これは酷い。JAPANがダメだとレッテルを貼られることが、どれだけのダメージを国に与えることになるか、ほかの企業もよく考えて欲しい。この酷さは、なんとしても修正しなければならないことである。この国のマスコミが得意げに報道する他国のマスコミの批判を恐れるのではない。他国の人々、一人一人のもつイメージを悪くしては、この国の全てをダメにすることに他ならぬからである。
かつて、"Japan as No.1"という、言葉があった。この用い方は、外国との比較論であったという印象が残っている。外向きの使い方であったのであり、本来なら、国民に向けて、鼓舞するために使うべき言葉であった。現在は、外国との比較で自国を考えるのではなく、自国の歴史的な国民性を守りつつ、他国との擦り合わせをするべきだと思う。
みんなで 国民性が創り出したMade in Japan ブランドを守る努力をしようではないか。
政治は二流、三流であるとしても、この国のQ.C.Dの在り方が、この国の全てである。

今日は、仙台での女子駅伝の日。
なんと台風の影響を受けている日。
西の空に、3時間だけでもいいから、雨雲を晴らしてくれと祈ってみたが、何ら効果なし。
応援にもあまり行きたくない天候だったが、走る選手たちに申し訳ない気分がして、例年の場所で待つ。

懸命に濡れた地面を蹴るランナーには可哀想な天候になってしまったことを、地元の人間として詫びながら、頑張れ、と心の中で言う。
見ず知らずの人たちだが、雨中を、頑張って走る姿に感動し、涙が出そうになる。頑張ったことを誇りにして、帰宅してほしい。
こうなったら、ここに住んでる限り死ぬまで、沿道の応援をしようと思った。
これくらいが、地元の爺さんの出来ることである。
来年は、いい天気であることを期待する。

上品な

2017-10-22 16:43:24 | 日記
宮城県の津山のもくもくハウスで、タバコを吸っていたら、静岡から母親と車で来たという、若い時期を少し過ぎたと言っては申し訳ない愛煙家らしい女性に、「こっちの方ですよね。上着にそう書いてあるから。それで、ここに来る前に、「上品」じょうひん?の郷というのがあったんですが、あれは何て読むんですか?」と問われた。
吾輩は、「あー、あれは「じょうぼん」らしいですよ。」と言ったのであるが、一緒に居たこっちの方に昔から住んでいるはずの先輩が、あれは「じょうぼう」だと言う。そもそも、直ぐ後ろにある山の名前が、「じょうぼうさん」だ、とおっしゃる。
思わず、「え゛〜、そうなんですかあ、知らなかったあ!」と、最近まで当地に縁のなかった吾輩は言った。だが、標識には、"jobon"とあるのを、画像として記憶していたので、はて?と思っていた。
とはいえ、その場で否定できず、「じょうぼう」のままにした。
その女性は、大震災の少し後で大船渡まで来たことがあるそうで、この日見た塩釜、石巻は随分と工事が進み、かなり変わったという印象だと言った。何も出来なくてすみませんとおっしゃられ、同じ県内に住んでいても、何も出来ていない吾輩は、恥ずかしい気持ちになった。他にも少し話をして、タバコを灰皿に捨てて、煙りのようにその場所から離れた。
その後、仕事をして、帰路で"jobon"と書いてある標識を見て、さすがの先輩も、「俺、ずっと間違えてたの?」と言ったので、吾輩は「本当の発音はそうだったんだけど、いつかの表記の際に、じょうぼんになった可能性はある、と慰めた。
問題は、静岡の方に対して、正しい情報を提供することが、できたのかどうかなのであって、まさか偶然居合わせただけの初対面の人に、アドレス等を訊いておく筈がないので、補いようがない。

いずれにしても、あまり上品だとは言えないおっさんである吾輩だけに、品のない話となりにけり。

ところで、「じょうぼん」と入力して、変換すると、「上品」になる。
仏語で、極楽往生の人の機根による差異を分けた九品(くほん)の、上位3階級の総称なのだそうである。
どうやら、山の名が仏語からとられているようなので、やはり「じょうぼん」が正解のようであるから、静岡の方には、ごめんなさい、と言わざるを得ない。失礼いたしました。(今後は、地名もちゃんと勉強しておきます。)

今日の仙台の午前中。
台風が接近するようである。気をつけよう。

河原にて

2017-10-15 21:37:58 | 日記
きょうは、仙台市内散歩の日。
→墓参り→大崎八幡宮→青葉城→
19,000歩。山歩きよりも多かった。
昨日のトレーニングの筋肉痛で、ちょっと辛かった。

広瀬川、流れる岸辺。
牛越橋を渡ろうとしたところ、白煙に包まれている。
河原を見ると、其処彼処と芋煮会である。味噌味なのか、しょうゆ味なのかはわからない。吾輩は、山形風のがいいと思っている。そもそも、鍋をやっているのかどうかもわからないが、楽しくやればよい。
みんな張り切って歩いている。
そんな時代もあったね。
後片付けが面倒なので、近頃は、やってない。

口実

2017-10-14 21:18:59 | 日記
二週間空いたトレーニングをしたところ、とても辛かった。特に、上半身が衰えたようで、継続は力なりと思い知る。それでも無理して全部こなした。最後は筋肉がつった。ジムに行ったら無理しないと。疲れないようにやっているようにしか見えない初心者がいるが、それでは意味がないと思っている。だから、効果がないから、向かないみたいだから、という口実でやめてしまう。少し慣れてきたら、前回より長い時間、あるいはひとつでも重いウェイトに挑戦していくべきである。吾輩のように、詩聖と呼ばれた杜甫が亡くなった(こう書く理由はないのだが、風呂でラジオを聴いていたらそういっていたので書いてみたかっただけ)年齢に達したならば、前回と同じを目標とせざるを得ないのだが、若い人は少しでも長く、重くを目指すべきだと勝手に思っている。

寒くなってきた、そう思わざるを得なくなってきた。空にそう描いてある。
無意味にやせ我慢をする必要もあるまい。

大分のつっちゃんが、「「さんま」「白魚」によく合います。」と、かぼすを送ってくれた。
三ツ矢サイダーを買ってきて、かぼすを絞って氷を入れて飲む。最高である。
たくさんもらったので、おちかさんにあげようと車で行った。代わりに豆大福をもらった。もらいもので、またもらってしまった。何だか申し訳ない。
せっかくの機会だったので、4、50mほど車に乗ってもらった。
先週の助手席は、新潟の御隠居で2,000kmだったのに対し、今日のたったの50mだったが、反動なのか、お嬢さんであるということは、実に新鮮だった。
かぼすは、口実だったのかもしれない。
つっちゃん、すまんなあ。ありがとう。

仙台→奥出雲

2017-10-09 21:56:49 | 日記
人間、通常と桁違いに動いてみると、「比較的とか」、勝手なことを考えて、仙台から金沢が近いなどと思い始めるのである。
仙台→山形→新潟→鳥取→奥出雲→金沢→新潟→仙台の2,200キロを車で走ってきたので、今はそう思っている。
新しい車のレーダー機能は、実に有能で、この還暦近い、ランクは大したことないが初老の男にも三泊4日、その最初の日は仙台→山形→新潟の200キロだけ、という移動を可能にしてくれたのである。
要するに、夜は昔、一緒に時間を過ごした仲間と酒飲みをしただけで、ずっと運転していただけであり、聞き覚えのあるところも通過しただけで、足立美術館も、「あー、あれが」だけである。
鳥取に行った日は、悪天候で、砂丘を見に行ってみたが、ドアを開ける気にならず。
夜は、すっかり白髪になり、御隠居までではないが、髪が薄くなって仲間が現れた。昔は、ジャニーズ系だったのだが、悪役俳優みたいになっていた。吾輩は、昔から強面であり、御隠居は毛のない北野武のようであるから、三人まとめて、映画アウトレイジの舞台あいさつのようなものである。
翌朝再び砂丘に行った。

それから向かった奥出雲の山の中では、仙台の周辺にはない、別世界の山を味わった。周りにいる神様たちのメンバーが、いつもと違う雰囲気があった。

意図せず、尼子氏、山中鹿之介が生きたところまで行って、一緒に行動した越後の御隠居の昔馴染みさんの、立派な実家に行ってきたのである。
吾輩個人では絶対に行かないであろう所に行ったのであるから、何事も縁というものである。最高に面白い。
島根→広島→岡山→兵庫→京都→石川と移動した。どこに何があるかなど調べもしていない。ナビ任せである。
なんだか金沢はいい。地元の人の運転はとても優しい。町並みもいい。宿に行く途中で、道を逆走しそうになって、クラクションでそれを知らされた。こっちは焦ったが、他の車はゆっくりと待ってくれた。
ここの仲間は、定年を経て当時とは全く違う、明るい、面白い人物になっていて、それがとてもおもしろかった。菊姫もいただいた。人気があると聞いたが、そのとおりだと思った。一升瓶ではなかったので、画像は撮れなかった。

朝、和服の似合う女性が、楚々と歩いているのが、とても様になる。

あとは、びゃーっと帰路を走る。
富山では、雲の上に立山が頂を少し見せてくれた。

登ってみたい、と思う。
スマホの充電ケーブルを忘れて、残量が少ないので、退屈そうな御隠居に、カメラを預けて、雲を撮ってもらう。新潟の長さに驚く。どこまで行っても新潟県である。

御隠居曰く、「よっ」と手を挙げている雲であるそうである。

そういうわけで、6年前に計画した鳥取で一杯という計画は実現した。
仙台から、鳥取に車で行こうと考える人間は、多くはないと思う。
この旅の途中で御隠居から、お前は何を嗜好しているのだと問われて答えに窮したが、一人で運転しながら考えて、吾輩は、ちょっと他の人間とは違うことをするのが好きなのである、と答えを見つけたように思った。他人と同じでは駄目なのである。少しでも違うことを考えたり、やったりするのが吾輩であって、大したことはできないのである。迷惑かどうかはわからんのであって、そうであれば甚だ恐縮であるが、いろんな人を巻き込んで、酒飲みをするのが趣味なのである。何を話したか、時々わからないことがあるので、歩留まりはよくないが、「あはは」だけでよいのである。

仙台までの間、さすがに、人生初だが渋滞を歓迎している自分があった。

次は、岐阜で一杯やる。