生きてますよ。
去る11月末に、大正生まれの母親を亡くした。
結局何もしてやれなかったという思いがある。親父もそうだったから、「残念」である。
そういうことがあって、相続が発生し、銀行預金の処理で、銀行の不条理にあきれた。
まずこれを書くが、ようやく処理できたので、随分と落ち着いてしまった。
しかし、これだけは今後の人たちによくないので、記しておこうと思う。仙台の番号がついた銀行サマのことである。
被相続人の出生から死亡までの連続した戸籍を出せというので、相続人との関係を確認するためのも必要なのだろうと、応じることにしたが、改製原戸籍の自治体の証明日が6ヶ月以内ではないから再取得しろ、というのは、役所の証明に期限を勝手につけて一体何様になったのか!この銀行では例えば完済した借入金を完済したことを、後々においても証明書を発行するのか?とプチ切れそうになった。窓口の担当者にキレても仕方がないのだが、理由で「うちのルールでして」と言うので、「そんなもの改めろ!」と言いたくなった。我慢した。それに加えて、戸籍の電子化に移行したと書いてある改製原戸籍を取得しろという。改製ならば電子化の戸籍に明記されている。とにかく頭にきたが、金を人質にして不当な要求をする、要するに「ならず者」だと思って我慢した。地銀の大手で、高学歴の皆様がこぞって入社なさる会社ならば、合理的にやって欲しい。
いろいろと不合理を感じて過ごしてきた。
最近は、県境をまたぐな、というので、週末、泉ヶ岳に行っている。
山登りも我慢である。我慢を重ねる必要はないが、ジムに行けば室内であるし、週2回を半分にしようと思って山に行くのだが、方向音痴のため、一人で行けるのは、少し馴染みがある山になる。
北泉ヶ岳もある。スキー場から歩き出し、水神から所々雪の上を歩いて登り切った。60代には結構キツイ登りだった。初登頂だった。お湯を沸かしてコーヒーを飲んで菓子パンを食って下山した。
登る時から、年齢層が高い人々に会った。下山するとすぐ、スニーカーに水筒だけを持って一人でうろうろしている(自分よりは高年齢の)女性がいた。なんだか山道に違和感がって、道をたずねた。すると北泉ヶ岳から泉ヶ岳に行く道だった。礼を言って歩き出したところ、内腿の筋肉がつった。「まずい」と思ってストレッチをした。少し痛みが消えて、道を戻ろうとしたところ、また「ガキっ」となった。
上り坂の木の枝にぶらさがってみたりしていたら、同年代のモンベル紳士が、「大丈夫ですか?」、「いいのがありますよ。」と飲み薬の動きをして見せる。「自分も感動したんですよ。本当に感動したんですよ。芍薬甘草湯というんです。これ、使ってください」とリュックを開けてメディカルのケースから、ツムラ68を一包手渡してくれた。「内科の医者でも出してくれるから、持ってたほうがいいですよ。歩けないと大変なことになりますから」と付け加えてくれた。
「いやー、何だかすみません。」と頭を下げた。「どうやってお返しすればいいでしょう?」と言ってみた。「いや、別にいいですよ。」とおっしゃるので、「そうですか、すみません。では、次にどこかでお会いした際にお返しします」と言って別れた。
水を出して、飲んだ。
素晴らしい!
その一言だった。
そこからは、六根清浄ではなく、芍薬甘草湯と唱えながら歩いた。
実は、友人itoは、持って歩いていたのであるが、あいつが言うので、簡単に無視していたのである。
まちがいは、正すべきである。素直が大事。
捨てる神あれば拾う神あり。
山歩きはいろんなことを教えてくれる。