無味乾燥な

つまらぬ話でございます

有期ということ

2018-01-27 17:17:23 | 日記
月曜日、47km離れた職場に向かう途中、高速道路上でフロントガラスに何かが当たった。バキン!という音である。何事が起きたのか全くわからなかった。ガラスに車速がデジタルで表示されるのだが、その数字の20cmぐらい左に離れたところに、被弾したような跡があるのを発見し、飛び石だったことを理解した。そういえば、瞬間的に茶色の物体が接近してきたのを見たような気がする。幸い貫通はしていないようだ。走り続ける。
もうそこからは、頭の中を対処の方法がぐるぐると回る。
ドライブレコーダーでどこまでわかるだろうか。損保の保険料は上がるのか。修理にはどのくらいの期間が必要になるのか。他人に迷惑をかけたわけではないからまあいいか。ちょっと歩くが、電車で通うしかないか。車通勤になってから運動不足気味であるから・・・・。3ヶ月半で既に1万km走っているのだから、アクシデントが起きる確率は相当に高いわけである。その日の午後から、南岸低気圧の影響で降雪があるらしいが、この状態で運転して家まで帰ることはできるのか。
到着した職場で、対応方法をいろいろと得る。なおさらメローになる。
5百円玉以内の傷ならば、修復できるかもしれない、という話もあったが、どうせならガラスの入れ替えのほうが気持ちとしては安心できる。だが、センサーやらなんやらがあって相当の金額になるらしい。そんならなおさら全部取り替えたほうがいいのではなかろうか?と、うじゃうじゃと考える。
修復の場合、傷をきれいに保った方がいいという話もあったので、透明のテープを貼っておいた。(絆創膏ではない。)
夕方から、予報どおり雪が激しく降ってきた。気落ちしながら適当に雪を払って帰路を運転する。
ワイパーを使っても、テープは剥がれないのはよかった。
さすがに高速道を避けた。
雪を払わなかったのがまずかった。ワイパーに雪がついて、切れなくなってきた。なんだかどうにでもなれと、自暴自棄な感じが支配していたが、一度停車してワイパーに固まった雪をとった。それでもすぐにワイパーが凍りついて、視界確保が困難になってきた。安全装置のカメラの位置もそうであったようで、機能を停止している、とメッセージが出る。
体の位置を変えながら運転して、2時間で家に到着した。意外と車が少なかったので、思ったよりも早かった。

ディーラーの休日もあって、水曜日に持ち込む。
メカニックは、迷いながら、「修復」でやってみましょう、という。入れ替えでいいよ、とも伝えたが、ガラス専門の者も「いけそう」と言っていたというので、そうすることにした。
時間をもらったほうが結果がいいと思う、ということだったので、結局4日間電車で通勤した。1日2時間半ぐらい電車に乗っていたので、以前に買っておいた文庫本「大伴家持」を読み切って、「夏目漱石」に移った。家持は、多賀城で最期を迎えたかもしれないというところだけが記憶に残った。それ以外は難解で、途中で随分と寝てしまった。
半世紀ぶりとかいう寒波の中、運転しなかったのは、考えようによっては良かったのかもしれない。寒いのは仕方がない。火山の水蒸気爆発だってあったくらいに、何があるかわからない。

結局、18900円をキャッシュで払って、愛車は帰ってきた。
途中で、ぞんざいな扱いをしてしまったことを、車に詫びた。
永遠に通勤するわけではないのであり、具体的なリスクも体感したので、電車通勤の日を増やそうかと思っている。読書もおもしろい。
先が短いことがわかっているのは、こういうときには有益に機能する。

図図しくも

2018-01-20 22:07:31 | 日記
縄文の頃までにこの列島に住む人達は、図図しさを持っていなかったのだと思う。
海を挟んで隣にある半島の人々のやっている奇妙な会議での「合意」が、懲りずに成果として発表されるのを、別に興味があるわけではないのだが、この列島でニュースとして報じられるので、自分なりに消化してみると、そういうことになるのである。
そのあとに来た人達は、住むところを確保しなきゃならないので、判っていても図図しくあらなければならなかったので、留まる土地毎に何年もかかって辿り着くまでに培った図図しさを発揮したのであろう。
自分がここに在る理由も、この図図しさに因るはずなので、この点についての批判は自己と家族の否定になる。だから、図図しさを調整しなければならないとわきまえて生きなければならない。歴史を知る、学び、心に常駐させることは大切なのであると思っている。
平和を唱えて、或いは弱者を守るとか言って、自分の図図しさを、相手に強要する人が多過ぎるように思わされることは、不愉快なのである。気に入らないことである。
山本周五郎の「堪える」は、人間のもつ図図しさのコントロールの困難性を説き、これを為せる者こそが人間だと表しているのではないかとは思う。

無茶苦茶なことをしてしまう人間が引き起こす事件が多すぎるように思えて、不安になる。
ひとりではどうしようもないから、人間界の自己修復機能に期待するばかりである。
では、お前だけでもそうすればいい、お前が人を説き伏せろと言われても、実母の世話を他人の労働に委ねている己に偉そうなことは言えない。そこまで図図しくないので、人に期待し、何事も祈るばかりである。

別に老人性のうつの状態にあるわけではない。「半島」を揶揄しようと思っただけなのだが、結果的にそれこそが図々しかったようである。

ありがたい

2018-01-14 20:18:15 | 日記
今週は、この辺りでは、どんと祭である。この行事の名前は、他の所でも使われるようなので、説明する必要はないようだ。
正月期間は過ぎた、ということである。
本気をださないといけない。
ニュースをみると、酷い事件ばかり目について、無関係の身であってもやる気を削がれるが、「ゲイツ氏は、悲観主義を広めているのはメディアだと非難している。人々は悪いニュースを読みがちなため、これが報道機関のネガティブな報道への集中を助長していると主張する。」という話を見つけて、「的を得ている」と思い、安堵する。

先週の日曜日、スマホのスケジュールに去年従兄弟に教えられた現地説明会が入っていたので、天候も悪くないようなので、会津に行ってきた。
説明会は、地区の新年会の催しのひとつとして行われたものであって、吾輩は異分子であった。
異分子とは、他の人との性質が違う個人を指すならば、そこまでではない。母親の実家の地区であるから、少しは同質である。しかし、新年会というものが、居住の事実から案内されるものであるから、知らない人ではある。
話の内容は、興味深いものであった。地区の賑わい、農村に活気を創るために利用させて頂きたい、と思う。方法は、じっくりと考えたい。自分に残された時間とこれまでの経験と培った知識を費やす価値がある。楽しみである。

熊野神社に詣でる。

我が家系に浅からぬ関係があるはずである。これも解いてみたい。そう思う吾輩が、子孫に残すために解かなければならないことである。ボケてはいられない。
やらなければならないことがあるのは、ありがたい。

カラータイマー

2018-01-07 16:40:09 | 日記
星野仙一さんの訃報に驚く。
体調面の問題があることは、薄々感じてはいたのだが、急だった。
直接接したこともなく、個人的には、好意はあまりもたなかったが、仙台は、野球でとてもお世話になった。感謝している。
年齢が70歳とのことで、自分の残された時間というものも意識させられた。10年余り、さてどう生きる。

昨日は、吾輩が最も若い、5人の飲み会。30数年以上前には、バカなことを言い合って、その中で酒宴に対する心構え、礼儀というものも教えてもらったメンバーだったが、単なる老人の集まりと化した。
固有名詞が出てこないので、誰のことを話しているのかさっぱりわからない。他の人の話を聞いていないので、同じ話の繰り返しが多い。「おまえが一番若いんだから、しっかりしろ!」と言われるのだが、酔っぱらっている程度は同じなのだから、期待する方が間違っている。そもそも吾輩は麻雀をしないからという理由で、酒飲みの場所を確保させるもの筋が良くない。4号を超えると、記憶がなくなる吾輩にそれ以上飲ませるのが悪い。もはや人生の終わりに近づいているのだから、もう少しまともな話はないのか。年末に黒澤映画を何本も観て感動した、というと、「おまえ、他にやることがたくさんあっただろうに、年の暮れにそんなことをしていていいのか!」と怒られる。退職後の生活について、なんやかんやと、ああしろ、こうしろと言われる。俺は俺のやりたちことをするんだ、外国人に混ざってコンビニのバイトでもいいんだけどなあ、と言うと、「馬鹿野郎!ちゃんと稼げ!」と言われ、収入を増やす方法を指南される。どうも「馬鹿野郎!」だけを言いたかっただけのように聞こえ、指南された内容は忘れた。
こんなことをこんなところに書かせるこの先輩たちに、今更なんの有り難みを感じないのだが、今や貴重な機会となった、若年者扱いされることが、少し居心地がよくなってくるから不思議である。
「なんだそれ!」と言われるだろうが、酒飲みなんてのは、そんなものであり、所詮そんなものだと教えられた先輩方であるからそれでいいのである。酒の勢いで面倒なことばかり言うのが最悪なのである。酒をのんで、みんなでおもしろく過ごす、これに尽きる。これを教えてくれたのは、この爺さんたちである。
二日酔いで、今日の午前中をぼうっと過ごした。だが、結果的におもしろかったような気がするから、無駄にはならない。

年上の人間が減ってくることが、自分に何かが激しく迫ってくるように感じるところまでには至っていないが、時間は大事に使わないとと思う。
星野さん、本当にありがとうございました。合掌。

年始にあたり

2018-01-02 17:46:26 | 日記
あけましておめでとうございます。

「年始にあたり」と題したものの、別に何に当選したわけではなく、
逆に、年の初めから謝罪の電話をした。
叔母が亡くなって、喪中ハガキがきていたのもかかわらず、従兄弟に年賀状を出してしまったからである。情けない話である。仕事納めの翌日に、一度にまとめてやるからいけないのだと判っている。電話に出た奥方は、「そのためにわざわざ・・・」と笑ってくれたが、心底トホホである。
『ものの』とか『かかわらず』とか『ながら』を使うときは、ろくでもないことである。今年は、自分のことではあまり使わなくて済むようにしたいものである。

年末、黒澤明の映画が一挙にテレビでやってくれたので、はじめてまともに観た。
ずっとやっていたので、それをずっと観ているわけにもいかないので、『用心棒』と『椿三十郎』、そして『七人の侍』は録画して、昨日観た。
医者の本やんが、三船敏郎に喋り方も外見も似ていることに気づいた。ひょっとすると真似ているのか、とも思ったが、それほど器用な人ではないからそうではないだろう。まして映画の役のような破天荒では全くないから、最終的に吾輩の勘違いということにしておこう。
吾輩としては、映像的に『椿三十郎』が好みである。話としても海音寺潮五郎の話を基にしているからおもしろい。『用心棒』も劣らぬ。亡父がよく観ていたように思うが、一緒に見ることはなかった。今更ながら残念に思う。(使ってしまった。)
『七人の侍』は、志村喬が実に格好いい。厳しい顔と笑った時の顔そして射る姿勢の良さ。名優である。
話としては、一言では申し訳ないが、自分にとって何の得にもならないことでも命を賭して一所懸命にやる、これがいい。打算的な生き方を見聞きすることがやたらと多くなった今、何ともいい話である。

年末年始と随分とテレビにお世話になった。
体が鈍ったように感じたので、今日は青葉城まで散歩した。

北の門付近は、日当たりが悪く、雪が残っていて、スニーカーでは滑って歩きにくかったが何とか辿り着いた。
いつものとおりずんだ団子を一串食いながら、戌年だというのに、巽櫓に興味を持つ。広瀬川が蛇行するのがよく見えて、当時ならば田畑が広がり、太平洋を望めるところであって、風景としてこれを楽しんだのだろうと思う。
仙台は、これからも勝手に大きくなるだろう。吾輩は、暫し別のところで・・・、と考えた。