「本古来の原始神は、ほとんど力をもたない。人に金もうけの運をもたらしてくれないし、人の病気をなおしてくれず、長寿をもたらしてくれるわけでもない。ただ浄げに存在し、ただ人の尊崇をうけるだけである。
(中略)
氏族の先祖神を神としておがむのは、血脈に対する崇拝である。(略)」
司馬遼太郎の「峠」にある。
そう思う。「浄げに存在」する、つまり「居る」のである。八百萬、どこにも居るから、自分の心の中にも居る。自然と自分の関係は同じなのである。神社や寺、神棚や仏壇にやたらと頼んでは申し訳がない。まず、自分が努力する。
と、思ったが、自転車に乗って出かけると、忘れていた。
サーフィンの大会が行われていた。
テクニックについては、全くわからないので、見ていた。
15分間で、いい波をつかまえて乗るようであった。
大きな波が来ても、乗らない。位置が悪いと判断したのか?
ぼうっと見るが、結局一度も乗らずに終わる人もいた。2回見たが、さっぱりわからない。オリンピックで試合があるようだが、かなり運任せの競技のような印象を受けた。どんな波でもなんとかテクニックを見せようとするのが争うところのようにおもった。
交通規制をすり抜けながら市内に戻ると、全日本大学女子駅伝が行われていた。今年は天気に恵まれてた。
表現は悪いかもしれないが、駆け比べはわかりやすくていい。どの選手も、努力したことを、成果として示してくれればいいのだが、と拍手した。
さて、自分である。
(中略)
氏族の先祖神を神としておがむのは、血脈に対する崇拝である。(略)」
司馬遼太郎の「峠」にある。
そう思う。「浄げに存在」する、つまり「居る」のである。八百萬、どこにも居るから、自分の心の中にも居る。自然と自分の関係は同じなのである。神社や寺、神棚や仏壇にやたらと頼んでは申し訳がない。まず、自分が努力する。
と、思ったが、自転車に乗って出かけると、忘れていた。
サーフィンの大会が行われていた。
テクニックについては、全くわからないので、見ていた。
15分間で、いい波をつかまえて乗るようであった。
大きな波が来ても、乗らない。位置が悪いと判断したのか?
ぼうっと見るが、結局一度も乗らずに終わる人もいた。2回見たが、さっぱりわからない。オリンピックで試合があるようだが、かなり運任せの競技のような印象を受けた。どんな波でもなんとかテクニックを見せようとするのが争うところのようにおもった。
交通規制をすり抜けながら市内に戻ると、全日本大学女子駅伝が行われていた。今年は天気に恵まれてた。
表現は悪いかもしれないが、駆け比べはわかりやすくていい。どの選手も、努力したことを、成果として示してくれればいいのだが、と拍手した。
さて、自分である。