無味乾燥な

つまらぬ話でございます

saikai

2020-04-26 21:03:08 | 日記
「再開」
感染者が0になって、活動「再開」を宣言できる腹の据わった「宣言した」『首』を委ねられた人間が存在するのか?
それが最も心配だ。
この病気だけ、このウィルスでの死者数を0にすることができることを条件とするならば、インフルエンザが死因の国民、市民を0にする過去が必要である。または、EBMで論破できるデータが必要だ。
知っている「いい人」が亡くなるのは悲しいことである。だが、死は誰にでも公平に訪れる。それは生きている以上「覚悟」していなければならないことである。「麒麟」が居ない世ならば、戦で他の人間に殺されなかっただけ良かったと考えなければならないのかもしれない。
頑張ることは必要である。医療に従事しようと覚悟して、一所懸命に人を助けるが、できないこともある。助けようとした人間としての心はこの上なく尊い。
敢えて言うが、一方、身勝手なことで病気になった人間には、その尊い心を費やしてもらう資格がない。さらに例示的に言えば、吾輩、ある程度の年齢に達した者は、人間の存続のため、生産性のある人間に、その尊さを譲らねばならないのだと考えないと、この騒動は収拾できないのだ。吾輩には孫は存在していないが、覚悟している。
一日中録画しておいた時代劇を見て、そう思った。

「再会」
望みはある。
吾輩にだって望みはある。会えるかどうかはわからない。
我儘言っても相手があるからわからない。
そう、自分が生きているのだから、いつも「相手」がある。「こっち」の都合で解決することはない。

どうなる

2020-04-25 21:24:46 | 日記
仕事から帰宅した小僧に、日焼けを厳しく指摘されて、とーちゃんとして「やべー」と思う。この時期には、人生初の日焼け止めを塗る必要があったらしい。

海近く、貞山運河沿いに整備されている自転車道(11km?ぐらい)を往復し、家までの距離を足して40kmほどになるのか?を、3時間弱、自転車で走っただけである。往復する理由は、自転車で走ると、風の影響を強く受けるのであり、向かい風を11km走ると我慢が必要になるから、帰路には追い風を受けながら気持ちよく走ることができる。人とすれ違ったのは、ほんの少しであった。

サイクリングではなく、自転車漕ぎに出かけたのである。家から出るな、と言われ、そのままにして、生きるための筋肉を失ったら、生きていけないのである。
ジョギングはいいんですか?なんて、小学生のホームルームみたいなQ&Aがあって、家から出るな!だから、サイクリングもダメ?だったら自転車漕ぎはokなどと、つまらないことを考える。
どうでもいい。三密を避けるという大原則を維持すれば、他人にあまり会わないルート、方法があるならば問題ないはずだ、結論にした。
そもそも昔は、狩猟をしなければ生命を維持することはできなかったのであり、狩りにはリスクが伴う。
他人のリスクを高めるようなことはしないし、自分のリスクも回避する。家以外の空気にウィルスが蔓延しているわけではない。誰とも話さず、自分の心拍数を上げるだけであり、帰路残り3kmぐらいでは、太ももの筋肉がつった。東京のように、家から人に会わない場所まで行くことが困難ならば、自転車でもリスクが高いかもしれないが、この辺は、条件が違う。
なんでも東京と同じようにしなければならないと単純に考えるのは、多くの地方の「長」が、地元を知らない、無視しているからそう考えるのと同じであり、仕事や学校にそれを適用するのは、実にナンセンスなことである。観光が経済に好影響を与えるということを他の場所の事実で知れば、税金を新設しようとし、感染症によって自身の立場のリスクが高くなるとよそ者は来るなと声高に言って存在をアピールしようとする。自己都合で経済を利用しようとするそのやり口は、生命線である経済というものを理解していないということであり、政を担当する能力がないということである。
街場ですれ違うジョギングできる人を見ると、マスクをしている。素晴らしい。口元のベンチレーションがよろしくないのに、それでも走る。自他共に守る姿勢は立派である。
(家を出た自分は非難されるのかもしれないが、)みんなそれぞれ一所懸命やっているのだから、全国一律ではなく、地域に合った「緊急事態」によるオフサイドトラップの適切な、細かな運用を考える必要があるのではないか。そうしないといつまで経っても「再開」に至らない。
やはり、抗体検査でパスポート、になるのだろうか。

じいさんの独り言

2020-04-18 17:48:58 | 日記
家に居ろ!ということなので、この際、亡父と老人ホームに居て最近見に行くこともしていない母の部屋の片付けをやっている。
すると、
マスクが出てくる。
何年ものかわからないのだが、現状においては、形がマスクならなんでもいい。有難いのである。
そもそも、うちの親父は、「菌」の類にはやたらとうるさい人で、スーパーの惣菜売り場の平置きの方法には、「誰の唾が飛んでいるかわからんものは買うな!」とか、「回転寿司は、出てくる最初のところが空いてない時は座らない」とか宣い、マスクは出かける時によくつけていたのである。回転寿司は、一周回ってまた出口から出てくるのである。
ぽっぽ屋だった親父のどうでもいい小ネタは、いまだに活きている。
もう10年以上も前に亡くなった。
孫であるうちのお嬢と、存命であったなら家の中が大変なことになっていただろうなあ、と言って笑いのネタにしている。
そのマスクである。
現状、着けていないと怒られるから困る。売っていないのだから手元に無いのである。(なんだかんだで増えてきたが・・・。)

呼吸ができない、苦しい姿は、義理の兄を看取った時が記憶にあって、解っている。
愛する人のそういう姿にしたくないから、少しでもそのリスクを減らすために、家に居ろ!と言われればそうせざるを得ないし、属している組織の人にもそうさせたくないから、嫌いでもマスクを着けている。

強制力のない緊急事態宣言にとやかく言う者がいるが、なんで外国に比べて考える?ここはこの国である。近年は、らしさのない日本人が増えてきたが、大多数は昔からの情けをもっている。「情けは人の為ならず」の真意を知っている。
自分のゴミを他人に拾わせてはならないのである。

だが、
布製のマスクを、家庭に2枚配る?、そして一人に一律に10万円を支給する?
勝手に国の赤字を作るな!と感じる。
地方の長も、金もないのにテレビで報道されたくて「宣言」する、しようとするな!自分の都合で国に借金を作らせるな!と感じる。
金回りを止めてしまったのだから、国も地方も、時間をかけずに必要な人にお金を出す方法を、必死で考えるべきである。そもそも順番が逆であり、どこかの真似をしただけなのである。と思う。
57%の罹患率での集団免疫力を待つスウェーデンを応援したくなる。IKEAから物を買いたい。(自粛しろと言われたので、組織のために行けないが。)感染者が1万人を超えたのではない。感染が確認された人が超えたのである。実際はその数字の10倍以上だという話もある。そして死亡率を見た場合、何十兆円もの赤字を作っていいのだろうか?

撮り溜めたLes Misérablesを観て、すっかり悲観的になってしまっているじいさんの独り言である。
なんだかんだ言ってもなにもできないから、以前の生活に戻れるように八百万の神に祈るだけのじいさんである。

東京

2020-04-11 21:14:36 | 日記
はじめにことわっておくが、
別に個人攻撃をしようという意図はないし、まして、女性であるということでどうこう言うつもりは微塵もない。

どうも小池百合子さんという人を、TVでよく見るようになると、「またかいなあ」と思ってしまうのである。これまで散々いろんなことで大騒ぎして、結果は「あれは何だったん?」だったからである。
これは、個人の能力の問題ではないのだろうと思う。
オーバーシュート、ロックダウン等々の「よくわからない」言葉を使っていろんな説明をしているが、豊洲の地下汚染問題でもそうだったが、上っ面だけでの話の類をする(しなければならない?)必要に迫られることが発生するのである。ただ、真面目な顔をして喋っているところを見ると、逆に「またかいな」の不安が強くなる。
運命的な『役回り』というものではないか?と、表現しておいたほうが良さそうだ。

「グローバル化」の意味は、最近ではかなり変わっているらしく、国という単位での完結をめざすべき、ということを主張するために否定的に使われるようだが、このパンデミック騒ぎに関して、他の国との単純比較は止めた方がいい、と思う。健康保険制度をはじめとしてその国の独自要素が多いからであり、外国のメディアに非難されようが独自の路線で展開していっていい。WHOに関係している日本人医師の感想などは、「ああそうですか。」と有り難く受け取っておけばよいものである。国の独自性は、今後のパンデミック対処法として学問的に有意義である。

命に関わることであり、傍若無人なトランプ大統領も振り切れなかった話であるので、政治的に取り扱うのは至難の技なのである。
ここは我が国の科学者の活躍する場面である。自分は科学者ではないので、期待している。

mhlwの公表した「新型コロナウイルス陽性者数(チャーター便帰国者を除く)とPCR検査 実施人数(都道府県別)【1/15~4/7】」によると、全国で、陽性確認者数は、PCR検査実施人数52,901人で4,168人である。東京都では、4,757人中1,203人である。自治体ごとにPCRで受検できる条件も異なるようなので、これも単純比較できないが、最低でも東京都の確率で陽性になる者がいるとみる(東京都でのPCR受検者数が少なすぎると思うものの)として、そのうち重症者あるいは死亡者が、現時点でどの程度発生しているのか?が気になるところである。今後は、陽性が確認された無症状者はホテル等で隔離されるらしいので、その数字でインフルエンザ等と比較してこのウィルスへの警戒の必要性が判明するのかもしれない。

また勝手なことを書いてしまった。
とにかく、早く「緊急事態」以前に戻ることを祈るばかりである。

日本語

2020-04-05 21:38:57 | 日記
新型だけを特別に扱うことについては、これまでは理解が困難だったが、志村さんが亡くなったことについては、衝撃を受けた。実は昔から、吾輩の「笑い」のツボとは異なっており、あまり見たり聞いたりしてこなかったのだが、此の期に及んで人となりを知り、とても悲しく思う。ご冥福をお祈りする。

最近の「感染者」数という報道には日本語族としては、「感染確認者」数と確実に言って欲しいという思いがある。
マスコミがテキトーに使っているのを見ると、だから報道をダメにしているんだと言いたい気持ちにさせられる。誰かを悪者あるいはヒーロー、ヒロインにしないと番組が作れないと思い込んでいるディレクターなど現代において仕事として成立させてはならない。単なる感情論など聞きたくないのであって、正確なデータを確実に報道してくれればいいのである。志村さんの死のように、事実というものが、自粛に対する最も説得力がある。
日本語は、細かく表現できる特徴をもっている。丁寧に遣って欲しい。

呼吸器系の感染症は、近年でもあったし、パンデミックは、映画にもなるほどに可能性を知られてきたにも関わらず、政は予算がない、とか言って閉鎖してきたから、受け入れられる病床数が足りないということになっている。これまでの、子どもっぽい政の対応が、まずかったのであって、ツッコミだけで人気を得ようとしている野党らしき利権を求める者たちに大きな問題がある。つまり、病床数の問題は、政争というものを単なる小競り合いの道具にしてきたツケが回ってきただけである。本当の大人にならなければ、何事においても今後とも同じことの繰り返しで、生命線である経済をボロボロにしてしまい、人間同士の戦争を引き起こしてしまう。

羅生門の鬼が逃げ出すような無残なことにならないことを祈る。
何事も、最大の熟慮が求められるのが現代というものである。

また勝手なことを書いてしまった。
何もできないから、早期に収束することを祈るばかりである。