「再開」
感染者が0になって、活動「再開」を宣言できる腹の据わった「宣言した」『首』を委ねられた人間が存在するのか?
それが最も心配だ。
この病気だけ、このウィルスでの死者数を0にすることができることを条件とするならば、インフルエンザが死因の国民、市民を0にする過去が必要である。または、EBMで論破できるデータが必要だ。
知っている「いい人」が亡くなるのは悲しいことである。だが、死は誰にでも公平に訪れる。それは生きている以上「覚悟」していなければならないことである。「麒麟」が居ない世ならば、戦で他の人間に殺されなかっただけ良かったと考えなければならないのかもしれない。
頑張ることは必要である。医療に従事しようと覚悟して、一所懸命に人を助けるが、できないこともある。助けようとした人間としての心はこの上なく尊い。
敢えて言うが、一方、身勝手なことで病気になった人間には、その尊い心を費やしてもらう資格がない。さらに例示的に言えば、吾輩、ある程度の年齢に達した者は、人間の存続のため、生産性のある人間に、その尊さを譲らねばならないのだと考えないと、この騒動は収拾できないのだ。吾輩には孫は存在していないが、覚悟している。
一日中録画しておいた時代劇を見て、そう思った。
「再会」
望みはある。
吾輩にだって望みはある。会えるかどうかはわからない。
我儘言っても相手があるからわからない。
そう、自分が生きているのだから、いつも「相手」がある。「こっち」の都合で解決することはない。
感染者が0になって、活動「再開」を宣言できる腹の据わった「宣言した」『首』を委ねられた人間が存在するのか?
それが最も心配だ。
この病気だけ、このウィルスでの死者数を0にすることができることを条件とするならば、インフルエンザが死因の国民、市民を0にする過去が必要である。または、EBMで論破できるデータが必要だ。
知っている「いい人」が亡くなるのは悲しいことである。だが、死は誰にでも公平に訪れる。それは生きている以上「覚悟」していなければならないことである。「麒麟」が居ない世ならば、戦で他の人間に殺されなかっただけ良かったと考えなければならないのかもしれない。
頑張ることは必要である。医療に従事しようと覚悟して、一所懸命に人を助けるが、できないこともある。助けようとした人間としての心はこの上なく尊い。
敢えて言うが、一方、身勝手なことで病気になった人間には、その尊い心を費やしてもらう資格がない。さらに例示的に言えば、吾輩、ある程度の年齢に達した者は、人間の存続のため、生産性のある人間に、その尊さを譲らねばならないのだと考えないと、この騒動は収拾できないのだ。吾輩には孫は存在していないが、覚悟している。
一日中録画しておいた時代劇を見て、そう思った。
「再会」
望みはある。
吾輩にだって望みはある。会えるかどうかはわからない。
我儘言っても相手があるからわからない。
そう、自分が生きているのだから、いつも「相手」がある。「こっち」の都合で解決することはない。