無味乾燥な

つまらぬ話でございます

台風の前に

2018-09-30 20:46:21 | 日記
銀木犀が先に散り、金木犀は少しだけ枝にある。香りは金木犀がまだ放っている。
大風が吹いたら飛んで行く。
秋が深まっていくのだ。

隣のお屋敷がなくなって、アパートが数棟建つ。
相続税を物納したようなものなのだろう。弱った家の土地には、ハイエナのような会社、つならない人間たちが小銭を稼ごうと群がってくるようである。現場管理がよろしくない。

外は妙に静かである。
嵐の前の静けさというものであろう。


ずいぶん前に撮ったものだが、雲というのは、地球の表情を形成するものであって、内側から見ても興味深い。

我が家も含めて全国で被害が小さければいいのだが。

雨が強くなってきた。
無事を祈る。

さん

2018-09-24 22:01:28 | 日記
toと福島県の雄国山に行ったら、登り始めで、カモシカに出会った。
最初は犬だと思った。
先を歩いていたitoのやつは、「お前先に行け」と言って後ろに行く。
小生にとっては、小首を傾げてこっちを見て、かわいい顔をしていたので、「お邪魔しまーす」と声をかけた。

人間に慣れているのかと思ったが、角があるので向かってきたらちょっと困ると思って慎重に前進する。
近づくと、「こっちだよ」というように先を進んでくれた。横から見ると、結構でかい。

「案内してくれてありがとう」と言うと藪に消えた。
どうしても、思考は「もののけ姫」につながる。
最初からカモシカではこの先何が出て来るか、心配になった。
クマ出没注意という看板を思い出した。
そもそも、米沢から喜多方に抜ける途中の田沢では、橋の欄干に、大きいニホンザルが座っていた。二種類目であったから、なおさらである。
カモシカが、来るなと言ったのか、大丈夫だよ、と言ったのかわからず、引き返そうかとも思った。せちがらい老人二人は、せっかく来たのだからと、話し合うこともなく進む。
鈴を鳴らし、仕方がないので、時々大きなかけ声を出した。笹薮で音がすると立ち止まって耳をすました。カモシカがついてきてくれているのかとも思った。下山するまでその考えは続いた。
しかし、道には、どんぐり、栗、栃の実などが、食べられた形跡もなく落ちている。これらを食して冬支度する動物たちは、出没していないように解釈してみた。
高い木が生い茂り見晴らしがよくない、そして頂というものが見えない、標柱もないという、傾斜はそれほどないが結構つらい歩行を続ける。
途中では、初老と見た一人の女性が、達者な足で下ってきた。熊よけの鈴もつけていない。「こちらの山には、どなたも来ていないようです。」とおっしゃった。後で聞いたら、距離が開いたitoがすれ違った時には、何も言わなかったそうで、面倒臭い初老の男は、勝手に僻んでいた。
そこから急に、恐れが薄くなり、山頂まで速度を上げた。
ネット情報等では、1時間で登れるとあるようだが、5km以上の山道をビビりながら歩くのでは、アラ還にはそれは無理であり、2時間以上を要した。
頂きには、やぐらがって、そこからは、見晴らしがいい。桧原湖、雄国沼、磐梯山がよく見える。
itoのやつは、どこかで諦めているだろうと思いながら、サンドウィッチを食べる。(おにぎりも買ったが、車に忘れた。)食べ終わると、itoが左右に体を揺らしながら藪から出て来た。
やぐらの上で、例によって罵り合いを展開する。
写真を撮って、itoのメシが終わるのを待って、仲良く下山した。
登山口で、無事であったことに山に感謝し、カモシカに感謝して礼をした。

温浴施設で風呂に入る。
じじい二人で、itoが確保した、ペンションに泊まる。
部屋にテレビもなくて、夕食にワインを二人で1本飲んで、ベッドで持参した文庫本を3ページ読んだら、眠くなったので寝た。
10時間33分も寝た。日常では6時間ぐらいしか寝ないのだが、磐梯山を枕にしていた効用なのか気分良く眠ることができた。

朝食を食っていると、itoが、「大内宿に行く」と言い出した。勝手なじじいである。ネットで調べると、1時間45分ぐらいで行けるというので、運転して行った。
はじめて行ったが、テレビで見るとおりだった。
ぶらぶらしていると、撮影している人を見た。なんだろうと思ったら、モデルさんがいて、見ていたらご丁寧にミスワールドのたすきまでかけてくれた。

遠慮がちに、アシスタントのお嬢さんの肩越しに撮ってみた。
(たぶん)伊達さんが、なにゆえ大内宿にいるのかわからなかったが、小生は今は仙台に住んでいるから、その点だけの細い縁もないわけではない。

猿からはじまり、カモシカ、ミス日本代表と、三種類の方々に会った、というお話である。

秋の感じ

2018-09-22 16:45:46 | 日記
先の週は、ちょっと書く時間が足りなかったので飛ばしてしまった。

先の日曜日は、天気予報では雨だといっていたような気がしてプールにでも行こうかと思って、スイミングセットを探したところ、見当たらず。
すると天気が回復して、自転車に乗ることができた。

河口まで行って、折り返して河川敷公園のベンチで一休み。
ほっとしていると、コスモスが咲いていて、写真を撮っている人がいたので、真似をしてスマホで一枚。

樹木希林さんもこの世から去った。
「時間ですよ!」、「寺内貫太郎一家」の時代からTVで観てきて、近年は、台本があろうがなかろうが楽しませてもらったような気がしている。「平気」を会得なさっていたのだろう。ずいぶん面白い生き方をなさったようで、追悼番組までおもしろいから大したものである。
あえて言うが「最近の若い者」は、もちろん身近で見ている者であるが、自分を他人と比較して「自分はだめだ」として挫折する場合がある。何故そんな比較をしなければならないのか。できなければ、できるようにすればいいだけのこと。時間がかかろうが無理しようが、時間があるのが若い時期である。それを使わずに、自分の能力を勝手に決めてその道を閉ざすなどということは、残りが少なくなってきた小生には勿体無いとしか思えないのである。他の人間は、自分ではないのは当然のことじゃないか。嗚呼、部分的に歯がなくなった小生だが、歯がゆい。
小生は私である。残りの時間を私らしく、他の人に役立つように身勝手に使おうと思っている。子供達からは「何をしてもいいが自分たちが有形無形で返さなければならないことだけはやめてくれ」としか言われていないので、たとえ失敗しても別に問題はあるまい。その場合は「ただの無謀なじいさんだったんだなあ」だけが残る。

元気な頃のおふくろの年下の茶飲み相手であった近所のおばあさんが亡くなった。ばあさんふたつで、ちょこちょこと路地を歩いていたのを思い出す。

はらはら

2018-09-09 23:02:19 | 日記
この週末は天気が悪く、散歩で定禅寺通JazzFesをぶらぶらする。

出演者は、みんな好きに与えられた時間でプレイする。
それでいい催しでよいのである。

それで聞いている側もはらはらする。

その点、タムさんたちのはさすがだった。レベルがちがう。groove
雨がそぼそぼと降って、空気も冷え冷えで、環境は良くなかったが、音楽を十分に楽しむことができた。

来年は、音楽ではないが、こっちもどうなっているものやら。自分ではらはらしている。

尊敬というもの

2018-09-02 21:06:40 | 日記
なんとかharassmentが、内部告発されて窮地に追い込まれている高年齢者が多い。
なんとずれているのかと呆れる。
手前を都合良く解釈して生きているから、当然にやり込められる。
自分の領域は常に自分で確認して、自分のゴミを若い人に拾わせてはならないのである。よく考えて生きることにしよう。
人は、自分との共通項をもつ人間を尊ぶものだが、この国の現代の若者は、過去の人を認識していない場合が多く、尊敬の対象としている、自分が近づいてみたいと慕う実際の人物などいないのではなかろうかと危惧する。

今の自分の仕事について何を思うか?と問われたことがあったので、先がない自分は、山本五十六の言葉を借りた。
「やてみせ、・・・。」に続くとされる「やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」である。
真っ当な志のありそうな人に対しては、本懐を遂げて欲しいと願うのであり、そのうえで、他人を生かしてくれればいいのだが、と思うようになった。
自分は、組織人の端くれとして、歳をとったのである。

ついでながら、河井継之助をえがいた司馬遼太郎の「峠」には、長岡藩の「高野虎太の高野家の家系から、はるかな後年、継之助を敬慕した山本五十六が出ている。」と書いている。