無味乾燥な

つまらぬ話でございます

身勝手乍ら

2018-04-21 17:30:47 | 日記
おふくろの居る老人ホームに行くと、吾輩を「家人」とは認識するようで、見つけると「こんなところにいるばあいじゃないだろ」と言う。
深掘りしようにも、話が続かないので、何を意図しているのかは不明である。だが、こっちの勝手な解釈では、黄泉の国でも彷徨っているということではないかということになり、気弱な息子である吾輩は、そこに引き摺り込まれないようにしないといけないと思い始める。

今日も行ってみると、介護職の方に両手を引かれて部屋から出てくるところで、テーブルに着席すると早速そう言われた。
だが、時々、どこか痛そうに顔をしかめる。理由を問うても応えるわけはない。
介護職の方が、「臭いますね」と言う。吾輩には臭いがわからなかった。だが、顔を歪めていた理由が、力んでいたのだと気付いた。吾輩が気づく前に、介護職の方は、もう立たせる作業に移っていた。
自分の母親の世話をしてもらっていることに申し訳ない気持ちになった。おふくろには、同じく申し訳ないと思った。吾輩には、その世話ができない。ジムに通っているぐらいであるから吾輩に身体的な問題があるのではなく、不作為である。勝手な話であることはわかっている。散々おしめを替えてもらったにもかかわらず、母親の世話をしないというのは、実に情けない話である。他人にそれを委ねているのは、もっと罪深い。おふくろは、祖父と祖母の世話を在宅でしたことに満足していたのである。吾輩は、絶望的に「お願い」するしか能がないのである。
介護職の方々に、深く頭を下げて立ち去ってきた。それしか考えが及ばなかった。

この放棄した義務と代わりに世話をしてもらっている時間を、無駄に使ってはならないと考えている。
家は守る。そして会津で・・・。遠くない。

心配

2018-04-15 22:17:06 | 日記
村田諒太はいいなあ。
その賢さと強さを、ラグビーのサンウルヴスに欲しいなあ。

段々と本当に心配になってきた。
規律と賢さで戦えるようになっていかないと、負けが続く。
負けるのは大嫌いである。
来年に向けて、そろそろ勝つ方法を確立しないといけない。
協会に賢さがないのはEddieさんを手放した時から解っているが、プレーヤーに勝ちを与えないといけない。

くだを巻く

2018-04-08 21:10:28 | 日記
最近、日本で暮らす人間の雑な生き方に対して、国という同じ箱に入っている者として、とても危機を感じている。

先日運転しながら、人間、生きる上で、種子、肉を取られる身になって考えなければならない、と思った。
自分にそのエネルギーを使って生きる価値があるのか、と時々考えなければならない、と思った。
他人を何と捉えて自分の在ることとするのか。他人は食わないが、そのスポーツを観れば、熱を分けてくれる。
他人に自分の捨てたゴミは無用に拾わせてはならない。意図せず溢れた自分のゴミは体が動く限り、自分で片付ける。
個々の小さな幸せを集めて、この国は幸せになって来たのである。

雑に自分の棲む世界を変えてはいけない。
住んでいる所は、止ん事無きことによるからかもしれないが、隣には、他人が生きている。自分の都合で生きては、隣人に迷惑かもしれない、と考えなければならない。
何処かの政党のように、相手をこき下ろして、手前の主張に固執して自分の飯を喰うような生業は、この国の住民の仕事の仕方、生きる方法ではない。勝てる考えを示さなければならないのである。

日曜の夕方、一杯やりながらポチポチしていると愚痴しか出ないな。