無味乾燥な

つまらぬ話でございます

期間中

2020-08-14 20:51:38 | 日記
普通じゃない「お盆」なのだそうだが、「世間」がそうさせられているだけであり、吾輩は、いつもどおりにお盆を過ごしている。9連休になったので、山登って自転車漕いで2日休んでまた山登って自転車漕いで1日休んで、というものであり、休んでいる日に墓参した。お盆である。期間中には父の命日もあるので、誰が何と言ってもお盆である。
寺の近くに最近建てられたアパートに暮らしている人は、カーテンを開けにくく思うのだろうなあ、と思うのもお盆である。(彼岸もあるか。)
世界的地域として死亡者数も多くない、かつて流行したペストでさえ収束して、人々は昨年まで濃密な接触をしてきたのであるから、どこかのお調子者の大臣が「元には戻れませんから」と言おうが、そんなことがあったのか、というくらい元に戻るのである。二人以上の『密』になることが人間なのである。声を掛け合い、お互い身も心も抱きしめ合うのが人間である。
他人を思いやり、マスクをして、やたらと流行ることを避けることは、自分として流行時には必要なことだと思い、今はルールとして従っているだけである。

モーリシャスに、日本の船が迷惑をかけたことは、国民の一人として大変申し訳ないことだと思う。できるならば、現地で油を回収する作業を手伝いたいと思う。
中国共産党が横暴な行為をしていることには、地球人の一人として怒りを感じている。

戦争に行って帰還した父が、戦争というものは理不尽なことしかないんだ、と教えてくれた。理由などなく上官に革のベルトで殴られることなど日常であり、それでも国のために生きて、シベリアで捕虜になって、ー40°Cに耐え、少しの食料しか与えられず、それでも木を切り続けさせられ死んでゆく仲間を、掘らされた穴に埋めていく日々を送った、と言った。
だが、「平和」を得るためには、避けられないのであれば覚悟して戦うことは必要であり、決してボケてはならないのだと教えられて、吾輩は今まで生きている。

残りは少なくなったが、これから先を生きる上で必要なのは、精神力と体力である。
勝手にそう思って、山登りをしている。
月山の単独登頂をしようと突然思い立ち、挑んでみたが、ルート途中で道を外れ、随分と小さい沢登りをしてしまい、人生初の断念をした。(大したところには行ってないので、大袈裟な表現だが。)藪をかき分けて、間違った地点まで戻ったところ、丁度上ってきたアベックと出会し、吾輩がでてきたところに行こうとするので、「これはちがうよ。まちがっちゃったんだ。」と伝えたら、スマホをみておにいちゃんが、「あ、こっちだ。」と正しい選択をし、後ろにいたおねえちゃんに笑顔で「おつかれさまでーす。」と言われた。
いつもあまり役に立っていないと思っているitoであっても、こいつには負けられねえ、という意地を張る相手がいるということは必要なのであると痛感した。じいさんが無理して下山できなくなったらマズイ、今日は体調が良くなかったのかな、とか自分に都合のいいことを考えて、あっさりと心が折れてしまったのである。
降りる途中の1,200mぐらいのところで、山道に蛇をみた。「こりゃあ、金運が来たな。」と皮算用をして、このタイミングでここに居ることを見せるために導かれたんじゃないかなどと、ご都合を追加してみた。

下に向かうリフトである。あまりに楽なので、情けない。素直に上りも使えば良かった、と後悔しはじめる。
ニッコウキスゲ、チングルマ、いろいろな植物が咲いて、きれいな時期であった。再挑戦は、少し考えてからにする。体重を落とさないといけないかな。

ついでに

2020-08-10 18:17:30 | 日記
国民一人ひとりが、インフルエンザと同じぐらいの感覚でこの新型コロナに罹患すると捉えないと、「禍」が収束しない。
感染者、感染者確認数が多い地域の人に対して誹謗中傷する、差別するという感覚を捨てる、無くす、忘れることが、公的補償することなど無意味な共助になる。
「有識者」は、客観的に考えずに、ワクチンが効用を示したと、欧米が言わない限り危険だと、自分の背負うリスクだけを避けようと、言い続ける。彼らのevidenceは、「欧米がそうだから」だけなのである。それで、まるで生物としての捕食までやめろ、とまで言いそうなのは勘弁して欲しい。「疫学」とは、欧米を対象にして、国内の地域、自国や近隣の国というものは、無意味なものなのか?
この国、なんか一事が万事でそんな感じでいいのだろうかなあ?
一人ひとり、よく考えて生きて欲しい。
ついでに、宮城県というのは本当につまらないところである、と言わせてもらう。吾輩は宮城県民ではなく仙台市民である、と言いたいが、仙台市もつまらない。テレビのローカル局も東京の真似ばかり。独自性全くなし。これを見たならば、政宗公は嘆いただろうなあ。

前回の山は、山形県にある白髭山だった。
今回は、福島県にある額取山である。

天候は良くなかったが、itoが自分の都合で強行した。
「ハイキング」というコースで、ネットにも容易と書いてあったらしい。(吾輩は常に、当日、itoの家に行くまで、どこに行くかは知らないのである。)
最初から登りが続く。ちょっと平がある。「ハイキング」という言葉の意味を、じいさん二人は理解していなかったようだと知らされる。
itoのやつは、標高1000メートルぐらいの岩場であきらめた。吾輩は頂上で待っていたのだがitoのやつはなかなか来ない。電波があったので、電話があって、「おれは頂上まで行かねえから」と言うのであった。仕方がないので、少し下ってやった。やつは、「もう無理だから、泣いていたんだ」という。おにぎりは食ったという。吾輩は「あと8メートルだから無理をしろ」と言って、伴って再び8メートルを上がった。
一人で待っていたときには、ほとんどなかった視界が広がって、じじい二人で素晴らしい景色を楽しむことができた。
あきらめてはだめだ、と天が教えてくれたような感じだった。
ついでに、今回、itoは、マーキングをしなかったと書く。

今日は山の日だったから一人で海まで自転車で行った。