mikoto (奥津 香里命 オクツ カオリノミコト)のブログ

関西の画家・奥津香里命。絵を展示する店、会社、病院等募集中♪絵画は言葉の壁や個人間を超え気持ちを一瞬で伝えられます☆

☆~超カワイイ主義宣言展にあたって思ったこと~☆

2011年06月28日 | ~ ふ、と思ったこと ~
こんにちは!mikotoです!P1110407.jpg
「超カワイイ主義宣言vol.2」のblogに掲載している記事をに、こちらのblogにも掲載します♪



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《水都で散歩》  2010年 アクリル・布カンヴァス 116.7 ×91cm             
          



気持ち

《気持ち》  2011年 油彩・布カンヴァス 60.6×45.5 cm   
                            



展示のテーマ 

現在「4つのシリーズ」で絵画を制作していますが、今回は、そのうちの「2つのシリーズ」を出品いたします。
その2つのシリーズが、【スイス・シリーズ】と【おきまり・シリーズ】です。
それぞれの絵画を制作しているうえでのコンセプトや、表現したい「感覚」が許される範囲以内で最大限に伝わる展示にしたいと思います。



アートについて考えていること
作品について(今までの作品の傾向、今の作品の傾向、これからどういう作品を制作したいか) 

【アートについて考えていること】という質問を聞いて、とても戸惑いました。
「アート」という言葉も、「アーティスト」という言葉も、いまだにしっくりきません。
「アート」も、「アーティスト」という言葉も、制作者自身がつくった言葉ではなく、第三者がつくった言葉だからだと思います。分かりやすくするために、業界のジャンル分けがしやすいように、業界の人か、その他の人がつくった言葉で、更に、その意味の内容の幅が広すぎるからだからだと思います。
一言で「アート」と言っても、内容の幅が広く↓、「アーティスト」も様々で幅が広いです。
(ex. 彫刻、映画、デジタルクリエイション、音楽、テキスタイル、版画、グラフィックデザイン、イラストレーション、カートゥーン、マンガ、建築、アニメーション、洋画、日本画、陶芸‥)
幅が広くて様々なのですが、それを一括して「アート」や「アーティスト」と呼びます。だから、自分の作品を「アート」と呼ばれたり、私自身を「アーティストですね。」といわれると、とても違和感があります。「この人はアーティストである。」という判断も、「これはアートです!」という判断も、個々によっては様々で、YES、NOの意見が、人によってわれることもあります。
だから、自分の作品を「アート」と呼んでいただいたり、私自身に対して「アーティストですね。」と言っていただいた時は、掴みどころの無い感じがいつもいたします。「アート」の中でも私は《絵画》であり、「アーティスト」の中でも私は《画家》もしくは《絵描きやさん》です。


今までの作品の傾向

第三者の表現を借りると、「バラバラ」でした。鑑賞者いわく「一枚一枚の絵がバラバラで、使っている素材も、描いている内容もバラバラで違うものですね」と言われることが何度かありました。1年前の初個展会場では、「どうして、1枚1枚の絵の内容がバラバラなんですか?」「アートの世界で、プロとしてやっていくにはテーマを1つに絞ったほうがいい。分かりにくいから。」とアート業界の方々が親身になってアドバイスをしてくださいました。その反面、「アーティストは、他者の意見なんて関係なく、自分のつくりたいものを作るのが、アーティストでありアートです!」と力説する方もいらっしゃいます。
まず、なぜ絵を描きたくなるのか、なぜ絵を描くのかを考えれば、「バラバラ」であることが「自然」なことであることが、お分かり頂けると思います。
絵を描くことは時に、

受けた衝撃(感動)により、急速に生じた強い感情をはき出すことであり、(良い感情もそうでない感情も含みます)

はき出された感情の絵(色や形)を見て「そう、そうなんだ!」と自分で再認識をする感情的行為でもあります。

はき出して、苦しい状況から少し楽になったり(苦しい時)、はき出してそれを見ることで喜びを再び体験したり(嬉しい時)、喜びをずっと忘れずにいたいから絵としてのこしたいという欲求を満たすためだったりします。
自然に1枚の絵を描きたくなる瞬間は①②の状態の時です。強い衝撃(感動)を受けた時の時間や場所や出来事は、一つとして同じあることはありません。だから、1枚1枚違う絵が出来あがるのです。もちろん、素材も、その時の気持ちで選びますので、クレパスだったり、色鉛筆だったり、水彩、油絵具、鉛筆、ボールペン、チョーク、パステルだったり様々です。「バラバラ」であることが、私にとって自然なことなのです。「この作品を見れば〇〇という作家だとわかる」というような、テーマが一貫したような、同じような作品を作り続けている作品や作家が沢山いるアートの世界で仕事をしている方が「アーティストは、テーマとか決めないで、他者の意見なんて全く関係なく、自分のつくりたいものを作るのが、アーティストでありアートです!」と力説する方と、これまでに何人かお会いしましたが、その度に、矛盾を感じずにはいられないのです。
ということで、2年程前までは、その時その時に描きたいと思った絵を1枚1枚、描いていました。


今の作品の傾向


  描きたい絵がその時その時に発生し、沢山、違う絵ばかりが生まれてしまうので、テーマを4つに絞りました。

① スイス・シリーズ

気持ち
《気持ち》  2011年 油彩・布カンヴァス 60.6×45.5 cm  


  正直に申し上げれば、心がとても疲れている状況の時に、スイスに行き、大自然に癒された時のことを描いています。両親を亡くし、表現の世界で不器用ながらも勉強をし続け、生活の不安と将来の不安、アートの世界が一体何なのかというわからない不安、ほんの一握りの安心さえいつまであるかわからないという不安、やりたいことを生業として生きていくことの難しさなど、「不安」と「孤独感」が大きな時期に、スイスに行きました。アートの世界と市場というものを知るために、世界一のアートフェアであるアート・バーゼルを見に行くためでした。最初の4日は会場を回り、世界のアートの作品と市場を見て廻り、残りの4日は一人で、スイスを電車で一周しました。途中、スイスの南のサンモリッツで滞在し、アルプスの山の中の大自然を眺めてきました。常に「孤独感」がついてまわりましたが、自然の美しさに「安心」させられ、癒されました。何の保証もない「安心」なのですが、とても「安心」させられるのです。自然は母体であり、人間もまた自然から生まれた自然の一部であることを実感いたしました。私は明るい色が大好きですが、その明るい色が、人工で無く、自然全てに存在する風景を、生まれて初めて目にし、喜びでいっぱいになりました。生い茂る木々の緑と草原の黄緑色、花の黄色、赤、ピンク、オレンジ、紫色、空の水色に、雲の白、土や木の茶色、全ての色が明るい天然の色でした。そして、青々と生い茂る緑の上に氷山が大きくそびえ立っているのに、気候は心地よい。氷山も何万年・何億年もの時間が経過しつくられた造形であり、どのようにして、なぜつくられたのか、なぜそこにあるのか、なぜその物質であるのか全く知ることもできず、わからず、「神秘」なのです。自然こそが、最高の芸術家であり、芸術だと確信いたしました。その、スイスで心をうった沢山の風景を、一枚一枚絵にし、その絵を通じて、見てくださる人が、ほんの少しでもホッとしてくれたり、元気になったりしていただけたら嬉しいという思いでこのスイス・シリーズを描いています。


② おきまり・シリーズ

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《水都で散歩》  2010年 アクリル・布カンヴァス 116.7 ×91cm    


もともとは何気ない雑誌の1枚のページにあった小さな女性の白黒写真を見て、描きたい衝動に駆られ描いた1枚が始まりでした。白黒でしたが、光が私なりに見えて来て、「性」に対して非常に関心の強い時期でもあり強く共鳴し、描きあげました。現在は、「性」「ファッション」「奇抜さ」「地域性」をいかに独自に創出するかに発展し、枚数を重ねるごとに生まれてきた技法を、更に発展させるように1枚1枚描いていっています。
描いてる本人もどんな絵画になるのか楽しみな、「真剣に遊べる」シリーズの絵画です。大阪生まれの大阪育ちですので、大阪らしいユーモアに影響されているシリーズだと認識しています。


③ ああ、一体・・・シリーズ


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《ああ、いったい誰がこの人の人生をこんなに楽しいものにしたのだろうか》
     2009年  油彩・カンヴァス  162.1×130.3cm  




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《繋がっている奇跡と孤独》 2010年 油彩・カンヴァス 194×130cm  


「生きていることが素晴らしい!」、また「人生が変わるほどの衝撃があった時」など、人生の節目を描いているシリーズで、現在2枚が完成しています。構成も独自のもので、この構成で、人生の節目となる出来事が起こった時に描き上げていくシリーズです。1年に1枚あるかないかです。晩年になった時に、このシリーズの絵画を壁に並べて、絵画を通して、「人生」を見てみるというシリーズです。




④ 壁画・シリーズ

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長崎県のイタリアンレストラン《トスカーナの風景》壁画制作
イタリアを象徴する木製の彫刻も取り付け、
外観すべてを抽象的な色彩で制作


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外観すべてを抽象的な色彩で制作
制作期間は4週間



壁画を定期的に描いているので、これからも描いて行きたいです。
壁画は、それを見てくださる地域の方々とのコミュニケーションなので、絵画を通じてコミュニケーションすることです。毎日、朝昼夜と、様々な環境や心境の人達が、壁画を目にします。その時に、何を感じて欲しいのか、何を絵画を通して提供することができるのか、どんなメッセージをどんな形で発信するのことがベストなのか・・・通りがかる人たちの心境を想像しながら、テーマやモチーフや色彩やコンセプトなどを考えます。それがとても難しくてやりがいがあり楽しいのです。人の「心」を考えて想像して、絵画にアレンジしていき、その絵画を通してコミュニケーションするのがとても楽しいです。描いている時は必死ですが。街の景観が素敵な地域はとても少なく、歩いていて、一日の疲れを更にあおる殺風景や喧騒な景観がほとんどです。壁画は、適材適所であれば、それを緩和する効果があると思います。人が描く形や色は、描く人の「心」が現れるので、見る人の心に直観的に伝わります。描く人の「心」が優しいものであれば優しさが伝わるし、苦しいものであれば苦しさが伝わり、楽しいものであれば楽しさが伝わります。そして、画家が、壁画を描いている風景は、多くの人達を楽しませ喜ばせ和ませる効果があります。どうやら描くエネルギーが見る人達の心にエネルギーを湧かせる効果があるようです。壁画を通して、多くの人に喜んでもらいたいし、楽しんでもらいたいと思います。また、そういう挑戦をし続けて成長していきたいです。


  
これからどういう作品を制作したいか  

生きた絵画を描き続けていきます。これまでの人生で経験してきたことをいかし、今とこれらの人生をしっかりと歩みながら、描きたいと思うものを1枚1枚進化させて描いてまります。
多くの人々に喜んでもらいたし、楽しんでもらいたい。
絵画を通じて、多くの人々とコミュニケーションしていきたいです。










「超カワイイ主義宣言」にかんして
(あなたにとって「かわいい」とはなにか、自身の作品とどう結びつきそうか)

「かわいい」と思ったことは記憶に残っていないことがほとんどで、無意識に「カワイイ」という言葉を頻繁に口にしていることに、気づきました。「かわいい」は、なにより癒しの効果があると思います。
「カワイイ」と思った時、ホッとする感覚と共に、楽しい感覚になり、笑顔になり、緊張感が緩和されます。
ストレスの解消になっているのですね。こまめなガス抜きというのでしょうか。
日常生活の中で、無意識に「カワイイ」を求めていることにも気づきました。
なにかと「カワイイ」と言いたくなるときもたまにあります。
犬と生活をする理由の一つにもなっていると思います。
「カワイイ」は生きていく上で自然が生んだ感情であり、生きていく上で必要な感情であり、時代がかわっても人の心の中にあり続ける本質的な感情です。私の作品とは「本質的な感情」というところで結び付きます。
「時代がかわっても人の心の中に変わらずにあり続ける根本のもの」を「普遍」と表現するなら、「普遍」を表現した絵画を描いて行きたい。時代が変わっても、伝わる絵画です。時代が変わっても「いいね」と感じてもらえる絵画を目指し描いてまいります。






これから、国内外における日本のアートシーンはどうなっていくと考えますか?  



アートシーンについて知ることは、絵画を制作する上で影響が出てくるので「危険」だと思い、現在のアートシーンについての大変分かりやすい書籍をだったのですが、瞬時に閉じて見ないままにしています。アートシーンにおもねった、影響された絵を描くのが、私の一番描きたいと思う絵ではないからです。
しかし、今は、そろそろ、描きたい絵が何であるかハッキリとし、制作に必要な情報とそうでない情報の区切りもできるようになり、ぶれる危険が無くなりましたので、必要に応じて必要な事を学んでいこうと思います。

日本国内の人々が日常生活の中で、もっとアートが楽しまれる、親しまれるようになると思います。
国内のアート市場が、これから急速に盛り上がってくると予測します。
アートは、経済や科学や都市や社会が発達するのに比例して、アートも必要不可欠なものとして社会に要求され発達するものだと考えています。なぜなら、「アート」は「心」が形となって現れたものだからです。経済や科学や都市や社会は「効率」と「成果」が一番求められる世界です。「効率」と「成果」だけの、「心」が置き去りにされた社会は、多様な社会問題を生みます。真に「豊かな国」、真の「先進国」は、「豊かさ」があるかないかだと思います。それを「社会」という大きな規模で認知し、大切に育んでいくことができる媒体が「アート」です。可能性が無限大のミュニケーション・ツールでもあります。
社会のアートの活用の可能性は幅広く、潜在能力も大きい。
そして、学校の美術科目のあり方も根本から根こそぎ変えていく必要があります。
「美術科目」の可能性は、「創造力」「想像力」「個性」「個性の尊重」「独創性」「発想力」「決断力」「哲学」「考える力」などを学び、修得することが出来る唯一の科目であり、個人のみならず「社会」という集団に対しての学習にも最適な特殊な科目です。

今までのアートシーンとしては、日本のギャラリーも作家さんも、国内では作品が売れないから、主に海外で個展や展覧会を開き活動すると聞いていましたので、それはとても残念な事だと思いました。私は、大阪生まれの大阪育ちですので、国外のみならず、主に日本の人達に、日常生活の中で絵画やアートを楽しんでもらいたいと思っています。
市場というものは一人一人が必要性を実感し、社会に対して発信していくところから創り上げられていくものだと考えています。公立の美術館も、そのことを認知し、時代を切り開いて行く、「責任」と「義務」があると考えています。作品をギャラリーから買って発表するだけでは、次世代は育たないし、新しい時代も切り開かないし、社会が抱える問題点も解決されないと思います。一人一人、「必要」なものを掲げ、行動していくことが大事だと思います。リーダーはリーダーシップをしっかりととって、同業者も異業種の者たちとも力を合わせて、前向きな大きな力で時代を切り開いて行くことが大事で、それが出来れば、「苦」を「苦」だと思わず、楽しく、共に道を極めていけるいけるのだと考えています。



【この文書制作を通じて気づいたこと】


感覚的であるメリットは、常に心と思考が「ニューートラル」であることです。 先入観がありません(感覚的)。 だからこそ絵が描けるのかもしれません。
以前はこういうケースだったから、この流れからして、こうだろうと、推測し、決めつけることをいたしません。
例えば、人の話す内容を聞いて、所々、聞きとれなかった場合、おおよその場合、大体こんな話をしているのだろうと推測し、そうだと判断することが多いのでしょうが、聞きとれなかった所には、色んな可能性が考えられると考えますので、おおよそ、こうだろうという判断はしません。だから、しつこく聞きとれなかったところや、疑問に思ったところは何度も聞きなおしたりすることがあります。

「効率」のみを考えてする作業は、工夫して一瞬でやってしまうのが得意なのに、考えやその文章、絵画を「創る」作業に入ると、頭と心の状態が変わっていることに気づきました。こまめに「ニュートラル」になるのです。何も考えず、目の前のものも見ているようで見ていない、頭の中で気がかりになっていることが、こまめに引出しをあけるように出てきて、それについてうっすら考えていたり、心が感じることにより(感覚的)、本当の答えを導き出している作業です。

絵画を描く時は常に「ニュートラル」です。心が主役になって前に出てくるときです。とてもリラックスした状態です。制作中、眠たくなるのはそのせいですね。



プロフィール

奥津 香里命(Okutsu kaorinomikoto)



  大阪府生まれ。高等学校卒業後、陸上自衛官第10高射特科大隊 に勤務。
  その後、役者業を経て2007年「京都精華大学芸術学部造形学科洋画コース」入学
  幼少のころから好きであった絵画を本格的に学び始める。
2008年3月 (大学1回)有限会社「アトリエ☆mikoto☆」を創設。
          仙台のイタリアン・レストラン『ヴィア・トリトーネ』の空間プロデュース
          「油絵25点、壁画5点」納める。
2008年8月 (大学2回) 長崎のイタリアン・ レストラン『ピッコロ・ピアット』の空間プロデュース
          「油絵15点、壁画6点」納める。
2009年5月 (大学3回)『TAGBOAT SUMMER AWARD 2009』展入選
2009年6月      大阪府主催『木津川ウォールペインティング2009』入選 
          京セラドーム前に15mの護岸壁画を制作
2010年8月 (大学4回)「第23回上野の森美術館『自然を描く展』」入選
2010年8月      ギャラリーよねだ(心斎橋)主催初個展・『夢の道』展を開催。
           17点出品の1のうち1点を残してほぼ完売。
2011年2月       アートエキスポ・ニューヨーク2011に出品
2011年7-9月  「超カワイイ主義宣言」展を企画&出品
       (長野県・山ノ内町立志賀高原ロマン美術館主催)


      ☆mikoto☆のHP   http://kaorinomikoto.web.fc2.com/
      ☆mikoto☆のblog  http://yaplog.jp/kaorinomikoto/













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☆  ~ ふ、と思ったこと ~  ☆

2011年01月12日 | ~ ふ、と思ったこと ~
(画家の作品~絵~を見ながら、それぞれの作品についての話を、20人の画家本人から順番に聞いていって、思ったこと)

『オリジナリティを楽しむ』ことが出来るようになると、どんな絵でも、大抵、楽しめるようになる。

ぶっちゃけ、どんな絵でも「いいもの」になる。

あとは、どこでその絵は生きるのか、その場所を探す必要がある。

今の時代は、それも画家の仕事。

絵についての説明(=哲学であることが多い)を語るのが、苦手な画家が多いので、ほんの一言二言で、何を伝えているのか、真に感じ取ることが、聞き手には必要である。





☆mikoto☆









































☆  ~ふ、と思ったこと~  ☆

2011年01月11日 | ~ ふ、と思ったこと ~
『もの創り』に「精神」は欠かせない。

精神レベルで物事を分析したことを、文章にすると、とても分かりにくい文章になってしまう(読めない)。精神を、文にして相手に伝えるのは厳しい(無理)。

文で精神を書き表すことができたと言っても、その時の精神、感覚をすべて相手に伝えることは不可能。

また、解釈側の受け取り方が正しいかどうか、確認することもできない。



☆mikoto☆