☆『芸術』の敵☆
人生を長く使った人に、未だに新たに裏切られ続けています。
人生の大切な部分を嘘偽られ、嘘で蔑まれ、酒の場や人前で言いふらされ、公的な場でもこれでもかというくらいの嘘を言ってきています。
こうやって危機を乗り越え這い上がってきたのでしょうか。
嘘をつかれる度に、
[心]を大根おろしの[おろし器]ですられている強い痛さ、痛みを感じます。
最近は、嘘をつかれても涙は出てこなくなりました。
信じている人に大事にしている部分で嘘をつかれると、 悲しくて痛くて、涙が出てきていました。涙が出てくるのは、[裏切]られるから、[悲しく]なるからなのだとわかりました。
けれど、もはや[嘘つき]と分かっている人に嘘をつかれても悲しくはなく、涙は出てこないものなんだなとも分かりました。
けれど心をすりおろされる痛みはいまだ健在です。
未だに信じている部分が残っていて、裏切られている気持ちになるからなのかと、相変わらず、お人好しやな、アホやなと、自分で自分のこと思います。
このお人好しで、既にマイナスを限り無く被っているのにね、人生も時間もお金も、心も。
その内に心の痛みまでも無くなる日が来るのだと思います。
早く来い。
当初、100%の嘘をつかれたうえで、更に脅されました。『やるならとことんやるぞ』と。
でもね、『私の人生は両親からいただいたもの』であり、それを[汚されたまま]にしておくことは、[いただいた命を汚すこと]であり、既に亡くなっていた[両親を汚すこと]になります。そして、自分で自分自身を、自分の人生を、命を汚すことにもなります。
そして私の名前は父がつけてくれた「香里命(カオリノミコト)」です。
『絵画』も私の人生そのものです。
時間が経過する毎に、私の人生の一番大切な頃の部分が汚点に、汚れたものになっていきます。
そしてわかってくる。
だまされていたのだ。
都合のいいように利用されていたのだ、と。
その程度だったのだと。
自分のために、自分の都合のいいように、人を自分の都合のいいポジションで利用している。
相手の幸せために、相手の人生のために、本当はどうすべきかというのは頭にあったとしても隠して利用してる。
経験上、分かってきました。
気をつけなければなりません。
私はつい最近まで、それでもずっと信じていました。
『信じることのリスク』を今、受けています。
最近、別の、お金に貪欲な法のプロに質問し、聞きました。
私「先生にとって、[法]とは何ですか?」
「うーん、・・・・そうですね、、、
[法]は[弱い人のためにある]と世間一般でよく耳にしますが、全くそうではないよ。[法]は[よく知った強い人]が、結果、[勝っている]のが『現実』。『強い人のためにある』んだ。」
私「法はあくまで『手段』『道具』であって、それをよく知り、使うものが勝つ、ということなんですか?」
「そうです」
メソメソって、何の役にも立たない。
『絵を描くには、その弱さが強みになる』のだけれど、生きていく上でもっと強くならなければと思いました。
でも、顔の皮が厚くなったり、がめつくなったり、弱い人を崖から蹴り落として自分は這い上がろうとする人間になったり、醜くなろうとは思いません。
そうではなく、弱いと私以外の周囲の人に頼ったりして、迷惑をかけてしまうから。
強くならなきゃいけないなと思いました。
最近では、「情報の横流し」をして、足を引っ張ろうとする行為もしてきています。
自分の保身のための心しかもはや残ってないようです。
私の『大切な絵画の道』を壊すことにも必死です。
『芸術の敵』です。
そして、逆に自ら望まぬ方向にどんどん進んで行っていることに気づいていないようです。
私は、どんなに辛いことがあっても、他言したり、ましてや嘘を言いふらしたり、相手が大切にしているものを汚したりしたことは一度も無かったのにね。
人生の大切な時期を、信じて捧げていたのかと思うと、もっと、信じるにふさわしい存在に捧げたかったと、日が経つことに深まっていくだけです。
今は、上記の件を除いては、心と笑いが溢れた生活で、とても幸せです。
(*^▽^*)
mikoto
人生を長く使った人に、未だに新たに裏切られ続けています。
人生の大切な部分を嘘偽られ、嘘で蔑まれ、酒の場や人前で言いふらされ、公的な場でもこれでもかというくらいの嘘を言ってきています。
こうやって危機を乗り越え這い上がってきたのでしょうか。
嘘をつかれる度に、
[心]を大根おろしの[おろし器]ですられている強い痛さ、痛みを感じます。
最近は、嘘をつかれても涙は出てこなくなりました。
信じている人に大事にしている部分で嘘をつかれると、 悲しくて痛くて、涙が出てきていました。涙が出てくるのは、[裏切]られるから、[悲しく]なるからなのだとわかりました。
けれど、もはや[嘘つき]と分かっている人に嘘をつかれても悲しくはなく、涙は出てこないものなんだなとも分かりました。
けれど心をすりおろされる痛みはいまだ健在です。
未だに信じている部分が残っていて、裏切られている気持ちになるからなのかと、相変わらず、お人好しやな、アホやなと、自分で自分のこと思います。
このお人好しで、既にマイナスを限り無く被っているのにね、人生も時間もお金も、心も。
その内に心の痛みまでも無くなる日が来るのだと思います。
早く来い。
当初、100%の嘘をつかれたうえで、更に脅されました。『やるならとことんやるぞ』と。
でもね、『私の人生は両親からいただいたもの』であり、それを[汚されたまま]にしておくことは、[いただいた命を汚すこと]であり、既に亡くなっていた[両親を汚すこと]になります。そして、自分で自分自身を、自分の人生を、命を汚すことにもなります。
そして私の名前は父がつけてくれた「香里命(カオリノミコト)」です。
『絵画』も私の人生そのものです。
時間が経過する毎に、私の人生の一番大切な頃の部分が汚点に、汚れたものになっていきます。
そしてわかってくる。
だまされていたのだ。
都合のいいように利用されていたのだ、と。
その程度だったのだと。
自分のために、自分の都合のいいように、人を自分の都合のいいポジションで利用している。
相手の幸せために、相手の人生のために、本当はどうすべきかというのは頭にあったとしても隠して利用してる。
経験上、分かってきました。
気をつけなければなりません。
私はつい最近まで、それでもずっと信じていました。
『信じることのリスク』を今、受けています。
最近、別の、お金に貪欲な法のプロに質問し、聞きました。
私「先生にとって、[法]とは何ですか?」
「うーん、・・・・そうですね、、、
[法]は[弱い人のためにある]と世間一般でよく耳にしますが、全くそうではないよ。[法]は[よく知った強い人]が、結果、[勝っている]のが『現実』。『強い人のためにある』んだ。」
私「法はあくまで『手段』『道具』であって、それをよく知り、使うものが勝つ、ということなんですか?」
「そうです」
メソメソって、何の役にも立たない。
『絵を描くには、その弱さが強みになる』のだけれど、生きていく上でもっと強くならなければと思いました。
でも、顔の皮が厚くなったり、がめつくなったり、弱い人を崖から蹴り落として自分は這い上がろうとする人間になったり、醜くなろうとは思いません。
そうではなく、弱いと私以外の周囲の人に頼ったりして、迷惑をかけてしまうから。
強くならなきゃいけないなと思いました。
最近では、「情報の横流し」をして、足を引っ張ろうとする行為もしてきています。
自分の保身のための心しかもはや残ってないようです。
私の『大切な絵画の道』を壊すことにも必死です。
『芸術の敵』です。
そして、逆に自ら望まぬ方向にどんどん進んで行っていることに気づいていないようです。
私は、どんなに辛いことがあっても、他言したり、ましてや嘘を言いふらしたり、相手が大切にしているものを汚したりしたことは一度も無かったのにね。
人生の大切な時期を、信じて捧げていたのかと思うと、もっと、信じるにふさわしい存在に捧げたかったと、日が経つことに深まっていくだけです。
今は、上記の件を除いては、心と笑いが溢れた生活で、とても幸せです。
(*^▽^*)
mikoto