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古代史ランキング
神功皇后は架空の人物か
2012-07-31 14:31:33 頑固爺の言いたい放題
神功皇后は架空の人物であると主張する学者・研究家は数多い。例えば、故井上光貞氏は「四世紀における朝鮮問題の焦点は、南朝鮮の弁韓地帯の確保であり、記紀に語られている新羅はまだ脇役だった。したがって、神功皇后の新羅征伐は史実ではない」と述べた。(日本の歴史I 中央公論社)高名な故津田左右吉氏も同じような意見だった。
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「御誂座敷幟ノ内 神功皇后と武内大臣」
歌川国貞画 ヴィクトリア&アルバート博物館蔵[5]
(Wiki「神功皇后」より)
いつも興味ある話題を提供してくださっている頑固爺さんのブログに以下のようなコメントさせていただきました。つづきもありますので、是非お読みください。
神功皇后は女王台与をモデルとする虚像 (刮目天 一(はじめ))
2020-06-24 14:09:37
お邪魔します。
現存する日本最古の正史が完成した時の権力者は藤原不比等です。彼は非常に有能な人物で将来藤原氏が政権を維持できるように歴史を改ざんしました。1300年後にようやく、人気作家の関裕二さんが見破りましたが、刮目天は考古学的に検証し、不比等の意図を読み取り日本建国の真相を解明しました。
神功皇后は初代天皇(祭祀王)応神天皇の母、本当の父は仲哀天皇ではなく大国主狗古智卑狗で、奴国最後の国王スサノヲの直系の子孫です。仲哀天皇の熊襲征伐では神功皇后の傍らに居た武内宿禰のモデルです。
詳しくは「古代史の謎を推理する」をご参照ください。突然失礼しました。
Unknown (日本史好き)
2020-06-25 09:12:34
古代史は私も関心があります。
私は、神功皇后は記紀の双方に出てきますし、中国・九州地方に神功皇后ゆかりの伝承が多数残っているので、実在したのではないかと思います。
仲哀天皇の崩御後、身重で朝鮮半島に渡りますが、実際の戦闘はほとんどなかったので、交易に近かったのではないかと思います。神功皇后は、母方の先祖が新羅人と伝わっていますので、それも関係しているかもしれません。朝鮮で無傷で財宝を得たことが、後の忍坂王との戦いで活かされたと考えられます。
後、神功紀を見てわかるのは、日本書紀の編者が中国の史書に邪馬台国の記述があることを知っていたことです。問題は、編者は、邪馬台国の実態を理解していたかですが、おそらくある程度知っていて、卑弥呼と神功皇后が別人であることもわかっていたように感じられます。
日本書紀の編者が邪馬台国関連の記事を引用しながら、邪馬台国や卑弥呼の名前の部分を伏せた理由を考える必要があると思います。
Re:Unknown (刮目天 一(はじめ))
2020-06-25 16:29:29
横から突然失礼します(^_-)-☆
先に書きましたように「日本書紀」は藤原氏にとって面白くない日本建国の真相を隠し、国譲り神話や神武東征神話を創作して、藤原氏の遠祖を登場させていますが、これらは虚構です。しかしその中に史実を反映したものが隠されています。
それでは、何故ウソを書かねばならなかったかは、編纂者(当時の権力者)の意図を推理しなければならないでしょう。
神功皇后の新羅征伐は、ウソですが、後の時代の倭の五王の史実を神功皇后の事績にしたようです。倭の五王は半島での失地回復の正統性を宋にお願いした事実から、独立国家の日本建国にシナにお世話になったと明記できないからでしょう。だから、「日本書紀」の中から倭の五王の史実をごっそり削除したものと推理しました。
正史は正しい歴史だというのは思い込みですよ。
書かれてあることが事実かどうかは考古学などで科学的に検証されねばなりません。
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そういう視点で、当時の権力者の意図を読み取り、仮説(的)推論(アブダクション)の手法で科学的に真相解明して日本建国の過程を明らかにしました。ご興味が湧けば刮目天のブログにどうぞ(^_-)-☆
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追加です(*^▽^*) (刮目天 一(はじめ))
2020-06-25 16:38:41
>日本書紀の編者が邪馬台国関連の記事を引用しながら、邪馬台国や卑弥呼の名前の部分を伏せた理由を考える必要があると思います。
まさにそのことです。これは倭の五王の話と同じで、建国時代にシナにお世話になったことを書けなかったからだと理解しています。
しかし、神功皇后紀に倭人伝からの記事が4カ所も書かれています。3カ所は卑弥呼、最後は台与の時代のものですから、神功皇后はどちらかがモデルだとなぞかけして、読者を混乱させる意味ではないかと推察しています。
しかし、神功皇后の母が応神天皇であることから考えて、台与が皇后のモデルだと推理しています。応神天皇の本当の父は住吉大社の伝承から大国主狗古智卑狗(=武内宿禰)のことだと推理しました。
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頑固爺さん、いい話題をありがとうございました。(*^▽^*)
最後までお付き合い、ありがとうございます。
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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神功皇后は架空の人物か
2012-07-31 14:31:33 頑固爺の言いたい放題
神功皇后は架空の人物であると主張する学者・研究家は数多い。例えば、故井上光貞氏は「四世紀における朝鮮問題の焦点は、南朝鮮の弁韓地帯の確保であり、記紀に語られている新羅はまだ脇役だった。したがって、神功皇后の新羅征伐は史実ではない」と述べた。(日本の歴史I 中央公論社)高名な故津田左右吉氏も同じような意見だった。
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「御誂座敷幟ノ内 神功皇后と武内大臣」
歌川国貞画 ヴィクトリア&アルバート博物館蔵[5]
(Wiki「神功皇后」より)
いつも興味ある話題を提供してくださっている頑固爺さんのブログに以下のようなコメントさせていただきました。つづきもありますので、是非お読みください。
神功皇后は女王台与をモデルとする虚像 (刮目天 一(はじめ))
2020-06-24 14:09:37
お邪魔します。
現存する日本最古の正史が完成した時の権力者は藤原不比等です。彼は非常に有能な人物で将来藤原氏が政権を維持できるように歴史を改ざんしました。1300年後にようやく、人気作家の関裕二さんが見破りましたが、刮目天は考古学的に検証し、不比等の意図を読み取り日本建国の真相を解明しました。
神功皇后は初代天皇(祭祀王)応神天皇の母、本当の父は仲哀天皇ではなく大国主狗古智卑狗で、奴国最後の国王スサノヲの直系の子孫です。仲哀天皇の熊襲征伐では神功皇后の傍らに居た武内宿禰のモデルです。
詳しくは「古代史の謎を推理する」をご参照ください。突然失礼しました。
Unknown (日本史好き)
2020-06-25 09:12:34
古代史は私も関心があります。
私は、神功皇后は記紀の双方に出てきますし、中国・九州地方に神功皇后ゆかりの伝承が多数残っているので、実在したのではないかと思います。
仲哀天皇の崩御後、身重で朝鮮半島に渡りますが、実際の戦闘はほとんどなかったので、交易に近かったのではないかと思います。神功皇后は、母方の先祖が新羅人と伝わっていますので、それも関係しているかもしれません。朝鮮で無傷で財宝を得たことが、後の忍坂王との戦いで活かされたと考えられます。
後、神功紀を見てわかるのは、日本書紀の編者が中国の史書に邪馬台国の記述があることを知っていたことです。問題は、編者は、邪馬台国の実態を理解していたかですが、おそらくある程度知っていて、卑弥呼と神功皇后が別人であることもわかっていたように感じられます。
日本書紀の編者が邪馬台国関連の記事を引用しながら、邪馬台国や卑弥呼の名前の部分を伏せた理由を考える必要があると思います。
Re:Unknown (刮目天 一(はじめ))
2020-06-25 16:29:29
横から突然失礼します(^_-)-☆
先に書きましたように「日本書紀」は藤原氏にとって面白くない日本建国の真相を隠し、国譲り神話や神武東征神話を創作して、藤原氏の遠祖を登場させていますが、これらは虚構です。しかしその中に史実を反映したものが隠されています。
それでは、何故ウソを書かねばならなかったかは、編纂者(当時の権力者)の意図を推理しなければならないでしょう。
神功皇后の新羅征伐は、ウソですが、後の時代の倭の五王の史実を神功皇后の事績にしたようです。倭の五王は半島での失地回復の正統性を宋にお願いした事実から、独立国家の日本建国にシナにお世話になったと明記できないからでしょう。だから、「日本書紀」の中から倭の五王の史実をごっそり削除したものと推理しました。
正史は正しい歴史だというのは思い込みですよ。
書かれてあることが事実かどうかは考古学などで科学的に検証されねばなりません。
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追加です(*^▽^*) (刮目天 一(はじめ))
2020-06-25 16:38:41
>日本書紀の編者が邪馬台国関連の記事を引用しながら、邪馬台国や卑弥呼の名前の部分を伏せた理由を考える必要があると思います。
まさにそのことです。これは倭の五王の話と同じで、建国時代にシナにお世話になったことを書けなかったからだと理解しています。
しかし、神功皇后紀に倭人伝からの記事が4カ所も書かれています。3カ所は卑弥呼、最後は台与の時代のものですから、神功皇后はどちらかがモデルだとなぞかけして、読者を混乱させる意味ではないかと推察しています。
しかし、神功皇后の母が応神天皇であることから考えて、台与が皇后のモデルだと推理しています。応神天皇の本当の父は住吉大社の伝承から大国主狗古智卑狗(=武内宿禰)のことだと推理しました。
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頑固爺さん、いい話題をありがとうございました。(*^▽^*)
最後までお付き合い、ありがとうございます。
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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