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いつもフォローしているmash1125さんの記事を読んでいて、少し前のものですが興味ある話題がありましたので、早速コメントさせていただきました。
弥生時代に文字は存在した
2019-08-11 09:49:54 | 古代と中世
弥生の文字使用 (刮目天 一(はじめ))
2021-02-07 15:19:18
弥生後期には福岡市の遺跡から木製組机が見つかっており、糸島市では竹簡か木簡を入れる漆塗りの円筒の一部が見つかっていますね。決定的なのは「延光四年五」と書かれた室見川銘板という銅製の文鎮のようなものがあります。西暦125年です。銘文から考えて伊都国の師升王に関係するものだと推理しています。魏志倭人伝に現れる倭国の地名や倭人の名前などは魏使に書いて教えたものだと推理しています。詳しくは拙ブログにありますので、疑問点などお教えいただくと有り難いです。どうも失礼しました。
弥生時代の後期初頭にはすでに有名な「漢委奴国王」の金印が後漢光武帝から奴国王に贈られていましたから(西暦57年)、倭国側にも文字が使える人間がいてもおかしくないと思っていました。ただ「奴」という文字は倭国をバカにしたものですから、ひょっとして文字を読めないからなのかとも考えていました。しかし、今回のコメントの内容は邪馬台国の謎を解く大きなヒントでした。
伊都国の師升王とその一族の倭王難升米の話を前回しましたが、倭国王や大夫クラスはシナ語も話せるし孟子も読む教養人だったようです。今後、この時代の木簡や竹簡が見つかるかも知れませんね(*^。^*)
【関連記事】
日本の歴史の始まりはこうだ(その5)
【わかった!】室見川銘板のなぞ(^_-)-☆
伊都国が鬼払いの発祥地か?(^_-)-☆
通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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弥生後期には福岡市の遺跡から木製組机が見つかっており、糸島市では竹簡か木簡を入れる漆塗りの円筒の一部が見つかっていますね。決定的なのは「延光四年五」と書かれた室見川銘板という銅製の文鎮のようなものがあります。西暦125年です。銘文から考えて伊都国の師升王に関係するものだと推理しています。魏志倭人伝に現れる倭国の地名や倭人の名前などは魏使に書いて教えたものだと推理しています。詳しくは拙ブログにありますので、疑問点などお教えいただくと有り難いです。どうも失礼しました。
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伊都国の師升王とその一族の倭王難升米の話を前回しましたが、倭国王や大夫クラスはシナ語も話せるし孟子も読む教養人だったようです。今後、この時代の木簡や竹簡が見つかるかも知れませんね(*^。^*)
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