刮目天(かつもくてん)のブログだ!

すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

神話に閉じ込められた史実(^_-)-☆

2022-03-13 11:30:19 | 古代史
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わたしがハマった関裕二さんの、とてもいい著書の紹介をしていただいたので、ついコメントさせていただきました。お付き合いください(*^▽^*)

【歴史本紹介】神武天皇 vs 卑弥呼 著関裕二 レビュー
2022/03/11 きーの歴史本プレゼンチャンネル@YouTube


また、いい本のご紹介です。実はこの本は本棚にあったのに、いつものとおり中を読まずつい買ってしまいましたので驚きました(´ω`*)

日本建国は縄文系海人が主役なのですが、「日本は古の倭の奴国】つまり、奴国が日本のルーツだということが、新唐書や宋史の日本伝の冒頭にあります。なぜかと言うと記紀神話の最初に高天原に現れた神が日本の最初の王天御中主という実在人物で、その16代目あたりの王が後漢から金印を賜った王、その息子の17代王が伊弉諾尊でその子が18代王素戔嗚尊、そして第23代王彦瀲尊までが筑紫の日向宮を都としていて、その4男神武天皇が大和州橿原宮に都を遷したという内容の日本の「王年代紀」が宋史に明確に書かれていているのです(【付録】参照)

第64代円融天皇の時代に東大寺の僧奝然が宋の太宗に献上しました。多くの歴史家は正史が正しい歴史という立場ですから、これを無視しますが、シナ人らは、日本という国のはじまりは、高天原神話の世界だったと遣唐使から説明されていたために、後漢光武帝が奴国に金印を贈った史実に合わないので、「旧唐書」では日本と倭国は別物だとしていました。しかし「王年代紀」によって実は奴国は天皇家のルーツで、日本が万世一系の天皇に統治されているということを事実だと理解したのです(「「日本国」へ、八百年も掛かったのか?(;´Д`)」参照)。

(左クリックで拡大)

この事実に気付くと、アマテラス女神と乱暴者の弟スサノヲの神話もデタラメだったと分かります。詳しい話は拙ブログ「日本神話の正体は?(その1)~(その3)」にありますので省略しますが、関裕二さんもこのことに気付いておられません。卑弥呼の正体が神功皇后紀に登場する田油津媛だと推理して、邪馬台国筑後山門説としていますので、まんまと神話の罠にかかっています(「邪馬台国筑後山門説ってどうよ?(#^.^#)」参照)。

正解は縄文海人ムナカタ族の姫巫女です(「【刮目天の古代史】卑弥呼の謎!」参照)。これも関裕二さんからですが(「海峡を往還する神々」PHP文庫 2010,p.188)、伊弉諾尊のお相手伊弉冉尊が宗像大社の伝承「ムナカタの子がスミヨシ、その子がウサ」からムナカタ族であることが分かり、卑弥呼も台与も同じムナカタ族だったことも分かってきます(「【検証3】『神宿る島』宗像・沖ノ島の謎」参照)。顔に入れ墨のアズミ族は奴国王が支配した江南系の倭人です。奴国王はBC.473に滅亡して半島南部にアズミ族ら倭人の手助けで逃れた春秋の呉の王族でした。奴国王はナーガ=龍蛇神を奉祭する一族だから初代王が天御中主なのです。天は海を意味し、海人族ナーガの国の御主人という意味でした。金印のつまみはその民族の特徴を表すとされていますからこれが事実なのだと分かるのです(「国宝「金印」の謎?(@_@)」参照)。

そして17代奴国王が縄文系海人ムナカタ族と王族レベルで婚姻した話が国生み・神生み神話でした。さらにその子のスサノヲが母方のムナカタ族と共に半島南部に渡り、鉄素材を独占的に入手して、三国史記の新羅第4代脱解王のモデルになっています(「新羅の脱解王が奴国大王?(^_-)-☆」参照)。スサノヲは宮廷を留守にすることが多く、たまに帰還すると縄文系の祭祀様式を奴国の伝統的な祭祀に取り入れようとしたことで宮廷楽師の師升らが反発して殺され、北部九州の倭国が師升の一味に乗っ取られてしまいます。これがスサノヲが高天原を追放された神話とされています(「倭王帥升(すいしょう)は何者だ?(´・ω・`)」参照)。

クーデターを逃れた弟ニギハヤヒがムナカタ族(王はスサノヲの王子イタケルの子孫、代々久々遅彦、狗奴国の官狗古智卑狗を襲名、「狗古智卑狗という人物?(^_-)-☆」参照)の助けを借りて吉備を平定して奴国を再興します。第19代王天照大神尊として、楯築王墓に葬られています。纏向でヤマト王権を成立させたのはニギハヤヒ大王直系の子孫で狗奴国のヒコミコ大王です(「【検証7】桃太郎はニギハヤヒだった?(*^▽^*)」参照)。記紀では開化・崇神天皇に当たります。

このように記紀神話はすべて史実を誤魔化すために創作されたものです。天武天皇が日本書紀編纂を命じたので、多くの方が天皇家の歴史書だと思い違いをしていますが、関裕二さんが見抜いたとおり、藤原氏が権力を握り続けるために、建国で活躍した人々を祖先に持つ豪族を没落させるのが真の目的でした。九州遠征した景行天皇・日本武尊・仲哀天皇も実は創作です(「サル・カニ合戦の元ネタは日本建国の戦いだった?」参照)。すべて考古学の成果から分かりました。二世紀末から三世紀の倭国大乱やその後の崇神紀の四道将軍の遠征に対応する戦跡を鉄鏃・銅鏃の出土状況からその痕跡を発見しましたので、よろしければ拙ブログ「鉄鏃・銅鏃の出土状況のデータ共有」をご参照ください。

神武東征神話は、神功皇后による応神東征と同じ九州から大和に攻め上る神話ですが、考古学の成果と矛盾します(「なぜヤマト王権の始まりが分かるの?( ^)o(^ )」参照)。崇神紀にある大物主大神(大国主久々遅彦)の子大田田根子を纏向に呼び寄せて祭祀王とした史実を誤魔化すために作られたと関裕二さんも推理しています。南九州は神功皇后台与と子のホムダワケが落ち延びたところと推理されていますが、台与は伊都国で戦死し、平原王墓で葬られています(「【検証4】平原王墓の被葬者は誰だ?(^_-)-☆」参照)。恐らく壬申の乱で天武帝から宮崎県東臼杵郡美郷町に逃げた百済王の話から作られたのではないかと考えられます(荒木博之「百済王族伝説の謎―日向・百済・飛鳥はトライアングルだった」三一書房 参照)。出発地と到着地は逆ですが、同じルートではないかと思われます。長々と、失礼しました。(2022.3.14 紫字およびリンク先を追加訂正)



【付録】「宋史 王年代紀」
 其の年代紀に記す所に云う。
 初めの主は天御中主(あめのみなかぬし)と号す。
 次は天村雲尊(あめのむらくものみこと)と曰い、其の後は皆な尊を以って号と爲す。
 次は天八重雲尊(あめのやえくものみこと)。
 次は天彌聞尊(あめのににぎのみこと)。
 次は天忍勝尊(あめのおしかつのみこと)。
 次は贍波尊(みなみのみこと)。
 次は萬魂尊(よろずむすひのみこと)。
 次は利利魂尊(ととむすひのみこと)。
 次は國狭槌尊(くにさづちのみこと)。
 次は角龔魂尊(つのそむすひのみこと)。
 次は汲津丹尊(くみつにのみこと)。
 次は面垂見尊(おもだるみのみこと)。
 次は國常立尊(くにとこたちのみこと)。
 次は天鑑尊(あめのかがみのみこと)。
 次は天萬尊(あめのよろずのみこと)。
 次は沫名杵尊(あわなぎのみこと)。
 次は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)。
 次は素戔烏尊(すさのおのみこと)。
 次は天照大神尊(あまてらすおおみかみのみこと)。
 次は正哉吾勝速日天押穂耳尊(まさかあかつはやひあめのおしほみみのみこと)。
 次は天彦尊(あまつひこのみこと)。
 次は炎尊(ほむらのみこと)。
 次は彦瀲尊(ひこなぎさのみこと)。 凡そ二十三世、並びに筑紫の日向宮に都す。
 彦瀲の第四子を神武天皇と号す。 筑紫の宮より入りて大和州橿原宮に居す。
 即位の元年甲寅は周の僖王の時に當る也。
 次は綏靖天皇。・・・・・
(2020.5.30 王の読みを『日本書紀が伝える「筑豊百余国の王たち」【連載 新説・日本書紀②】2018年02月07日』により追加)


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