刮目天(かつもくてん)のブログだ!

すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

鉄鏃・銅鏃の出土状況のデータ共有

2023-11-04 17:38:18 | 古代史

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2021-08-23 16:07:08にアップしましたが、画像のリンクが切れていたので修理して、ついでに説明と図を追加しました。よろしければ、またおつきあいください(^_-)-☆

弥生時代後期後半と終末期~古墳初頭のデータを公開いたします。以下のリンク(1)及び(2)をクリックしてください。

(1)後期後半の鉄鏃・銅鏃の出土状況(by 刮目天)
(2)終末期~古墳初頭の鉄鏃・銅鏃の出土状況(by 刮目天)
ご興味のある皆様と意見交換し、有意義な議論によって研究を進展させるのが目的です。疑問に思ったこと、その他ご質問を歓迎します。なお記号などの詳細は以下の記事をご参照ください。

【検証18】倭国大乱の痕跡だ!(左クリックで拡大)(左クリックで拡大)


卑弥呼の死後に倭国王に立った尾張王ヲトヨノミコト(記紀の仲哀天皇)を倒して、13歳の台与(記紀の神功皇后)を卑弥呼の後の女王に立て、魏を後ろ盾にして倭国王に立ったのが大国主久々遅彦(記紀の武内宿禰)でした。

大国主が半島から入手した高温鍛冶の技術を傘下に普及させましたので、後世、最も人気のある神様として様々な名前で日本全国で祀られています。


父を殺された尾張王建稲種命(たけいなだねのみこと、熱田神宮祭神)が苦難の末に大国主らを討ちました。記紀では景行天皇の九州遠征として尾張王の仇討ちを隠しています。日本建国のこの戦いを大国主の国譲り神話としています。建稲種命が大国主に国譲りをさせた神様タケミカズチとして鹿島神社などで祀られています。
【検証20】景行天皇が建国の父だった!(その1)~(その4)

(左クリックで拡大)
さるカニ合戦はこの時の仇討ち話だったのです(詳細は「抹殺された尾張氏の謎(その3)」「サル・カニ合戦の元ネタは日本建国の戦いだった?」参照 )。

建稲種命は纏向に戦勝報告で帰還すると、すぐに大国主傘下の勢力を討つように狗奴国王卑弥弓呼(ヒコミコの誤記、記紀の崇神天皇)に命じられて出陣します(建国の英雄ヤマトタケルのモデル)。記紀では四道将軍の話にされていますが、記紀の崇神天皇から仲哀天皇までの約350年の話が日本建国の戦いだったのです。
【検証19】日本建国のための戦いだ!
(左クリックで拡大)
【関連記事】
王年代紀は記紀神話を正した!(^_-)-☆
10世紀に東大寺の僧が入宋して、日本神話を正す日本の王年代紀を献上したので、「日本は古(いにしえ)の倭の奴国」として日本の国号が正式に認知されました。藤原不比等が作った高天原は北部九州の倭国のことだったとシナ人が認めたからなのですよ(#^.^#)






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