大衆迎合社会とは、大衆が好むようなことばかりを行う社会で、大衆とは大多数という意味である。したがって、大衆迎合社会においては少数派は切り捨てられ、必要のない存在として脇に追いやられる。その次には少数派が切り捨てられた後の大衆が残る。しかし、その中からまた多数派と少数派に別れ、少数派は切り捨てられる。すなわち大衆迎合主義では大きな数がどんどんシュリンク(縮小)していくことになる。すると今度は少数派が大衆になろうとして一つの集合体を作ろうとする。しかし、少数派はもともと異なった思想を持っているため塊となることは難しく分裂する羽目になる。その間にも大衆はどんどんシュリンクしていく。最後に大衆は脇に追いやった少数派が邪魔になり、選別を始める。選別から漏れた少数派は消し去られ日の目を見ることはなくなる。選別されて大衆に加わった少数派は大衆に迎合しなければ少数派として再び脇に追いやられることになるから大衆に合わせるようになる。しかし、大衆迎合社会では絶えず少数派が存在し、脇に追いやられている。こうなると、もはや善悪は関係ない。好き嫌いだけですべてが判断される。したがって、大衆迎合社会ではいくつもの矛盾が生じる。例えば、原発の問題、被災地の問題、受動喫煙の問題、高齢者の介護の問題、教育の問題、社会保障の問題、経済の問題。これらを見ても何が少数派で何が大衆かはすぐにわかる。大衆は少数派のことを忘れ、消えてなくなるのを待つ。待機児童ゼロの陰で原発、被災地、高齢者介護が追いやられた。教育無償化の陰で借金が膨れ上がり、経済の陰で税収が減り、少子化に歯止めがかからない。シュリンクが加速し始めた。百貨店、家電産業、自動車産業が弱体化し、出版、広告産業が縮小し、航空、鉄道、などあらゆる産業が縮小している。