角灯と砂時計 

その手に持つのは、角灯(ランタン)か、砂時計か。
第9番アルカナ「隠者」の、その俗世を生きる知恵を、私にも。

PROM.31 「心理的虐待」と言われましてもねえ・・・

2016-06-07 06:16:18 | 私の嫌いな言葉
(私自身、好きも嫌いも思い入れ自体ないと断っておきますが)
かの尾木ママによりますと、
実は先月、金沢でも「山中置き去り」事案があったということで、

〈アメリカを中心に諸外国では虐待は犯罪。日本でも「山中置き去り」は金沢や今回の北海道警察の対応からもわかる通り「虐待」と受けとめら(れ、)2件とも児童相談所に「心理的虐待」で通告されることになってしまいます
つまり、強い親の立場を弱い立場の子どもに一方的にふるった。立場の「濫用」=「虐待」と見られるのです 〉

(尾木ママオフィシャルブログ:金沢でも小2山中に「しつけ置き去り」が発生
 →http://ameblo.jp/oginaoki/entry-12167866247.html)*( )内引用者補足

なんだそうです。

いや、そうだったんですか。
んじゃもう「虐待」なしに子育て・教育なんてできませんわね。

大人と子供、教師(師匠)と生徒(弟子)、

そういう立場を一方的にふるうことなく、
一体何をどうやって教えたら良いんでしょう?
全てにおいて、言葉による説得で臨めと?

最後の手段として、
一方的に(!)、「勘当」「破門」を言い渡すという可能性があればこそ、
教育って成り立つものだと思ってました。

閉じ込め、締め出し、ご飯抜き・・・
昔ながらの「躾」が、必ずしも効果的でないことは認めましょう。

けれど、
いわゆる罰、お仕置き抜きに、躾の行き届いた人間を育てる自信は、
私には無いですね。

現在、長女(20)、次女(18)は、どうやらまっとうな大人になりつつありますが、
三女(15)は、まだまだ「教育途上」。

彼女たちがまだ小さく、言うだけでは分からない頃(!)、
例えば(稀にですが)声を荒らげたり、(ものすごく稀ではありますが)手を上げたり、
そういうこと、実際ありました(近頃は、どちらもない)。

もちろん、それが正しいのかどうかなんて分かりません。

言い過ぎた、やり過ぎた、と反省してみたり、
いや、まだまだ厳しさが足りないかもと思い直してみたり、
試行錯誤し、行ったり来たりするのが、普通の親じゃないですか?

あえて言いますが、
「山中置き去り」でマズかったのは、
結果的に行方不明にしてしまった点だけ(!)です。

そこ以外は、
彼らの人生に責任とれない他人が、
ああじゃこうじゃ口挟んでも仕方ないと思いますね。

行方不明になった子供が本当に可哀想で、
心配のあまり口を滑らせたという尾木ママですが、

私に言わせりゃ、
他所の子供に、ソコまで思い入れしてモノを言うこと自体が胡散臭く無責任。

私も、
そりゃ無事なら良いけどなあくらいは思ったし、
もちろん無事で良かったねとも思いましたが、

ソコにかこつけて教育論を打とうとはカケラも思いませんでした。
そういうの、ちょっとハシタナイと躾けられたもんですから。

だいたい、
尾木ママに限らずでしょうけど、

石投げてて人に当たって怪我させる小学生がいたら、
「躾がなってない!」って言うんでしょ?
口で言って、それでも止めなかったらどうするんですか?

〈虐待には国際的にも日本でも明確な定義があります〉
(同上)

と仰る尾木ママさん、
まず、それを教えていただけると嬉しいんですけど、

もしや、
〈強い親の立場を弱い立場の子どもに一方的にふるった。立場の「濫用」=「虐待」〉
が、答えじゃないでしょうね。


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