与那国島に到着し、船で話していた2人と別れる。
噂に聞いていた、カレー屋「ユキさんち」へ行ってみたが、閉まっていた。
腹が減っていたので、港の近くの売店で、アイスとパンを買って食べた。
与那国のテントポイントの比川に向かう。
防波堤の向こうは砂浜になっている。
砂浜でたそがれていたら、防波堤の上に人がいた。
「こんにちはー。」
と言ったら、向こうも返してきた。
話を聞いてみると、長く与那国に住んでいるらしかった。
群馬の人だった。
テントを張れる場所を教えてくれた。
その場所に行ったら、2張りほどすでにテントがあった。
自分もテントを張り、まだ明るかったので、最西端の碑に行った。
んで、恒例の記念撮影。
このすぐ近くにある展望台で、夕焼けを待っていたが、あまりきれいに焼けなかったので帰る事にした。
比川に戻る途中に、南牧場がある。
ここには天然の馬がいて、「与那国馬」と呼ばれている。
宮崎の都井岬にいる岬馬に似て比較的小さかった。
けっこうな数がいて、のんびりと草を食んでいた。
比川に戻り、シャワーがあるので、浴びようかなと思ったが、蚊が多過ぎてダメだった。
夕食はソーメン。
ところが水を切るザルがないから、チョロチョロと水を流そうとしたらソーメンごと流れてしまい、ムダにしてしまった。
ああ、貴重な食糧がぁ~~!
これ以来ザルがキャンプアイテムに加わった。
さすが最西端の島だ。
とても蒸し暑い夜だった。
蚊が多いから外で涼むわけにもいかず、テントの中で、マットの上にバスタオルを敷き、パンツ一丁でウチワを扇ぎながら暑さをしのぐ。
シュラフは出さず、コートをかぶせるだけで十分だ。
1997年5月11日
島一周観光。
昨夜の暑さであまり眠れなかった。
のんびりと朝を過ごし、11:00頃出発。
まず、久部良バリ(クブラバリ)へ。
琉球王朝時代、人頭税という不当に高い税率を背負わされていた人々は、人口制限と言う名目で、妊婦をこの断層の割れ目から飛び越えさせ、成功した者のみ生存を許したとされる場所らしい。
伝説に近い話しなので、実際の所はどうなのか分からない。
しかし、けっこうな幅がある。
自分も飛び越えてみろと言われたらひるむ。
深いから、落ちたらケガでは済まないよこれ。
妊婦さんが、飛び越えに成功したとしても、ショックで流産する事だってあったでしょう。
複雑な思いでそこを去り、それから、ダンヌ浜、トグル浜と見る。
その後祖納(そない)の町に入った。
久部良より大きい集落のようだった。
切り立った崖があり、坂道を上るとティンダバナという天然の展望台があった。
さらにその上は牧場になっていて、かなり古いコンクリート製の立ち見台のようなものがあった。
そこから祖納の町が一望できる。
立ち見台の前には柵も無く、真下は崖なので、けっこう足がすくむ。
ここで写真を撮っていたら、フェリーで一緒に話していたカメラマンの女の子が歩いてきた。
「着いた・・・すごい所だ・・・」
とつぶやくように言った。
軽く会話をし、ここで昼食をとるという彼女と別れて自分は東崎へ向かう。
噂に聞いていた、カレー屋「ユキさんち」へ行ってみたが、閉まっていた。
腹が減っていたので、港の近くの売店で、アイスとパンを買って食べた。
与那国のテントポイントの比川に向かう。
防波堤の向こうは砂浜になっている。
砂浜でたそがれていたら、防波堤の上に人がいた。
「こんにちはー。」
と言ったら、向こうも返してきた。
話を聞いてみると、長く与那国に住んでいるらしかった。
群馬の人だった。
テントを張れる場所を教えてくれた。
その場所に行ったら、2張りほどすでにテントがあった。
自分もテントを張り、まだ明るかったので、最西端の碑に行った。
んで、恒例の記念撮影。
このすぐ近くにある展望台で、夕焼けを待っていたが、あまりきれいに焼けなかったので帰る事にした。
比川に戻る途中に、南牧場がある。
ここには天然の馬がいて、「与那国馬」と呼ばれている。
宮崎の都井岬にいる岬馬に似て比較的小さかった。
けっこうな数がいて、のんびりと草を食んでいた。
比川に戻り、シャワーがあるので、浴びようかなと思ったが、蚊が多過ぎてダメだった。
夕食はソーメン。
ところが水を切るザルがないから、チョロチョロと水を流そうとしたらソーメンごと流れてしまい、ムダにしてしまった。
ああ、貴重な食糧がぁ~~!
これ以来ザルがキャンプアイテムに加わった。
さすが最西端の島だ。
とても蒸し暑い夜だった。
蚊が多いから外で涼むわけにもいかず、テントの中で、マットの上にバスタオルを敷き、パンツ一丁でウチワを扇ぎながら暑さをしのぐ。
シュラフは出さず、コートをかぶせるだけで十分だ。
1997年5月11日
島一周観光。
昨夜の暑さであまり眠れなかった。
のんびりと朝を過ごし、11:00頃出発。
まず、久部良バリ(クブラバリ)へ。
琉球王朝時代、人頭税という不当に高い税率を背負わされていた人々は、人口制限と言う名目で、妊婦をこの断層の割れ目から飛び越えさせ、成功した者のみ生存を許したとされる場所らしい。
伝説に近い話しなので、実際の所はどうなのか分からない。
しかし、けっこうな幅がある。
自分も飛び越えてみろと言われたらひるむ。
深いから、落ちたらケガでは済まないよこれ。
妊婦さんが、飛び越えに成功したとしても、ショックで流産する事だってあったでしょう。
複雑な思いでそこを去り、それから、ダンヌ浜、トグル浜と見る。
その後祖納(そない)の町に入った。
久部良より大きい集落のようだった。
切り立った崖があり、坂道を上るとティンダバナという天然の展望台があった。
さらにその上は牧場になっていて、かなり古いコンクリート製の立ち見台のようなものがあった。
そこから祖納の町が一望できる。
立ち見台の前には柵も無く、真下は崖なので、けっこう足がすくむ。
ここで写真を撮っていたら、フェリーで一緒に話していたカメラマンの女の子が歩いてきた。
「着いた・・・すごい所だ・・・」
とつぶやくように言った。
軽く会話をし、ここで昼食をとるという彼女と別れて自分は東崎へ向かう。