1997年5月14日
竹富島に行った。
往復券を買った。1100円。
船は30分毎に出る。出航すると10~15分程で着いてしまう。
港に着くと、やたら観光の車が客を待っていて、これを見たら意地でも歩いてやろうと思い、一人ズンズンと歩き出した。
今日も天気は良く、10分も歩くとたちまち汗が吹き出てきた。
サンエーで買った1.5リットルのコーラがみるみる減っていく。
竹富島集落
コンクリートで出来た展望台からの眺め。
白い道、サンゴの岩を積み上げた塀、赤い瓦屋根に漆喰。
いわゆる「沖縄らしい景色」というやつです。
星の砂があるというカイジ浜に行ったが、砂は見つからず。
地図に「ンブフル」という変わった地名がある。
なんでも、水牛の鳴き声が「ンブフル」と言っていたのが、そのまま地名になったのだとか。
日陰で休む水牛
ハイビスカス
浜から東桟橋まで砂浜伝いに猛烈に汗をかきながら歩いた。
「ビー玉」と呼ばれるガラスの浮きや貝などなどを拾いながら歩いた。
とにかく暑かった。
コーラはすでに飲み尽くし、ビジターセンターで空きビンに補充した水はコーラ臭かった。
どの島にも言えるが、浜に打ち上げられる漂流物がとにかく多い。
「ビー玉」はガラス製のもあるが、もっとも多いのはプラスチック製のやつだ。
そしてペットボトルがものすごく多い。
台湾や韓国から流れてきたのだろう。
漢字だらけの物や、ハングル文字の物もあった。
14:15発の船に乗り、竹富の1日観光を終える。
明日のフェリーの切符を買い、八重山を「脱出」する準備を整えた。
まだ、行った事のなかった、伊野田キャンプ場と、バンナ公園も見た。
米原キャンプ場に戻り、片付けを始めた。
サボさんもここを出て、西表の加藤さんの所に行くらしかった。
普通は、暗くなったらテントを張るのに、今回は逆だ。
なんだか妙な気分だった。
Z君のいる7号棟へクマさんと行った。
「K君本当に行っちゃうの?」
と何度も聞かれた。
その夜、Z君とクマさんと自分の3人で将来の夢を語り合った。
クマさんは、みんなの心に残る絵を描きたいと言う事と、童話を創りたいという事だった。
Z君は、10年、20年後に再びこの3人でどこかで会いたいと言う事。
そして、オリンピックに自転車で出場したいと言う事。
それから幸せな家庭を作りたいという事。
僕は、100年後、さらにその後に、ああ、こんなオルガンを作った人がいたんだ、と言うオルガン作りになりたいと言う事。
自分の好きな飛行機を自由に操って、世界の空を飛んでみたいと言う事。
何だか、現時離れした夢だが・・・
チビチビと、水で薄めた泡盛を飲んで、夜は更けていった。
テントは畳んでしまったから、唐人墓(とうじんばか)の東屋か、ターミナルにでも行こうかと思ったが、西表へ出発したサボさんの残したブルーシートのフライの下で野宿することにした。
クマさんと自分の2人で、キャンプ場の売店のテーブルに腰掛けて、恋話などした。
自分が波照間でAUさんを好きになった時のように、日増しに好きになっていく様子、好きな女性が目の前にいると、ドキドキしたりする気持ちは同じようで、とても親近感が湧いた。
深夜まで話して、その後眠る。
竹富島に行った。
往復券を買った。1100円。
船は30分毎に出る。出航すると10~15分程で着いてしまう。
港に着くと、やたら観光の車が客を待っていて、これを見たら意地でも歩いてやろうと思い、一人ズンズンと歩き出した。
今日も天気は良く、10分も歩くとたちまち汗が吹き出てきた。
サンエーで買った1.5リットルのコーラがみるみる減っていく。
竹富島集落
コンクリートで出来た展望台からの眺め。
白い道、サンゴの岩を積み上げた塀、赤い瓦屋根に漆喰。
いわゆる「沖縄らしい景色」というやつです。
星の砂があるというカイジ浜に行ったが、砂は見つからず。
地図に「ンブフル」という変わった地名がある。
なんでも、水牛の鳴き声が「ンブフル」と言っていたのが、そのまま地名になったのだとか。
日陰で休む水牛
ハイビスカス
浜から東桟橋まで砂浜伝いに猛烈に汗をかきながら歩いた。
「ビー玉」と呼ばれるガラスの浮きや貝などなどを拾いながら歩いた。
とにかく暑かった。
コーラはすでに飲み尽くし、ビジターセンターで空きビンに補充した水はコーラ臭かった。
どの島にも言えるが、浜に打ち上げられる漂流物がとにかく多い。
「ビー玉」はガラス製のもあるが、もっとも多いのはプラスチック製のやつだ。
そしてペットボトルがものすごく多い。
台湾や韓国から流れてきたのだろう。
漢字だらけの物や、ハングル文字の物もあった。
14:15発の船に乗り、竹富の1日観光を終える。
明日のフェリーの切符を買い、八重山を「脱出」する準備を整えた。
まだ、行った事のなかった、伊野田キャンプ場と、バンナ公園も見た。
米原キャンプ場に戻り、片付けを始めた。
サボさんもここを出て、西表の加藤さんの所に行くらしかった。
普通は、暗くなったらテントを張るのに、今回は逆だ。
なんだか妙な気分だった。
Z君のいる7号棟へクマさんと行った。
「K君本当に行っちゃうの?」
と何度も聞かれた。
その夜、Z君とクマさんと自分の3人で将来の夢を語り合った。
クマさんは、みんなの心に残る絵を描きたいと言う事と、童話を創りたいという事だった。
Z君は、10年、20年後に再びこの3人でどこかで会いたいと言う事。
そして、オリンピックに自転車で出場したいと言う事。
それから幸せな家庭を作りたいという事。
僕は、100年後、さらにその後に、ああ、こんなオルガンを作った人がいたんだ、と言うオルガン作りになりたいと言う事。
自分の好きな飛行機を自由に操って、世界の空を飛んでみたいと言う事。
何だか、現時離れした夢だが・・・
チビチビと、水で薄めた泡盛を飲んで、夜は更けていった。
テントは畳んでしまったから、唐人墓(とうじんばか)の東屋か、ターミナルにでも行こうかと思ったが、西表へ出発したサボさんの残したブルーシートのフライの下で野宿することにした。
クマさんと自分の2人で、キャンプ場の売店のテーブルに腰掛けて、恋話などした。
自分が波照間でAUさんを好きになった時のように、日増しに好きになっていく様子、好きな女性が目の前にいると、ドキドキしたりする気持ちは同じようで、とても親近感が湧いた。
深夜まで話して、その後眠る。