前夜から知ってたものの、流石に字面で見るとそれなりにダメージ喰らいつつ、でも、あの時期ってこれくらい細かったですかな~?とか、思いっきりカメラ目線に寧ろ失笑したりしつつ、予想通りにほぼほぼスルー後に健ちゃんで沸き返るファン友さん達。
記者さん、タイミング逃したかもね。
このタイミングにしかと悪意を感じつつ、驚くほど中途半端な内容に、なんとも文章力が無いなと思った次第。
どっちつかずの立場は、ゴシップ記者だとしても3流のような気がしますけどね。
それよりも私たちには大事な事がある。
8.6の祈り。
綺麗な夕焼け。
暑くて溶ける~って日々愚痴ってるけど、ふ、と、こんなものよりはるかに想像を超えた熱さだったろう70年前の今日。
唱えるだけじゃ平和は手に入らない。
反対するだけなら子供でも出来る。
対案を出さなきゃ、説得力がないよね。
平和念仏唱えてるだけで、言葉の通じない相手が止めてくれるとは到底思わないから。
平和を望まない一部の人種だっているのだから。
だけど、あのドームの前で立った日を思い出す。
目の前にある存在に、口から出せる言葉は 何も思いつかなかった。
時を飲み込む静けさと悲しみに包まれて、いつまでも離れられなかった。
あの日も、綺麗な夕焼け。
圧倒的な静けさに 言葉を失う経験をして初めて、何かを考えることが出来ると思う。
始まり歩むには、終わりを知らなければ。