12月31日のこと
2005年の最後の日、自宅で葬儀がおこなわれた。
きょうは、また、寒い日である。風も冷たい。
わたしは、父の葬儀以来、5年ぶり黒の着物を着た。
母の葬儀が11時からとりおこなわれた。
お坊さんが2人の中でお経がはじまった。
家の中でも空け広であるから寒かった。
訪れてくれた方々は、次から次へと母へ焼香してくれた。
わたしたちも、焼香した。
お経が30分ほどで、終わり最後のわかれである。
棺の中の眠る母のすがたに、
「ありがとう」といって菊の花をそえた。
もう。永遠に母の姿が見られないのである。
それから、霊柩車で焼き場へ行った。
ここでも、お坊さまのお経ががあった。
お骨をいただいて帰った。
それから、自宅の埋葬場やお寺でもお祈りがあった。
ありがとう きくの花そえし 眠る母
2005年の最後の日、自宅で葬儀がおこなわれた。
きょうは、また、寒い日である。風も冷たい。
わたしは、父の葬儀以来、5年ぶり黒の着物を着た。
母の葬儀が11時からとりおこなわれた。
お坊さんが2人の中でお経がはじまった。
家の中でも空け広であるから寒かった。
訪れてくれた方々は、次から次へと母へ焼香してくれた。
わたしたちも、焼香した。
お経が30分ほどで、終わり最後のわかれである。
棺の中の眠る母のすがたに、
「ありがとう」といって菊の花をそえた。
もう。永遠に母の姿が見られないのである。
それから、霊柩車で焼き場へ行った。
ここでも、お坊さまのお経ががあった。
お骨をいただいて帰った。
それから、自宅の埋葬場やお寺でもお祈りがあった。
ありがとう きくの花そえし 眠る母