思いのままに!

おけいはんのブログ

平和祈念公園 (沖縄の旅8)

2009-02-10 16:32:17 | 

3日目の旅

   
            平和の礎(へいわのいしじ)
糸満市摩文仁(まぶに)の丘
ここは沖縄戦争最後の地です。
海が見え、広ーい広ーいところですが。
戦争で亡くなったかたの平和の礎があります。
それは一人一人名前が刻まれています。
  

240,734人の戦没者の名前です。
日本の平和の礎です。
今まで戦争で亡くなられた方の名前です。
日本全国の方の名前が刻まれています。

戦争の記録も書かれてました。
    
毎年6月23日が慰霊祭の日です。

その他

  
              平和祈念像

  
           平和の灯りをともすところ(毎年6/23)

  
          茶色の屋根は平和資料館
   
       資料館の前には戦争でつかったもの
   
 ここは戦没者の名前が刻まれた礎が各県ごとに
     たてられていました。
     戦争が終わった地だからたてられたのでしょう。
     また、広い土地だからでしょうね。
     天皇様も慰霊祭には毎年のようにこられることが
     わかりました。戦没者の供養ですね。
     
     永久に平和でありますように。
     




 


ひめゆりの塔 (沖縄の旅7)

2009-02-10 03:45:11 | 

3日目の旅
           お泊りの宿(名護市)からバスで糸満市にきました。
           糸満市は沖縄本土のいちばん南に位置します
   
    
                             
                  ひめゆりの塔の慰霊碑です。(1946年設立)

 まずは、ご冥福をお祈りしました。

1945年
、3月23日、、ひめゆりの乙女たちは沖縄戦で200余名
が死亡されました。
ひめゆりの乙女たちとは。
  沖縄師範学校女子部、(白百合)
    沖縄県立高等女学校(乙姫)
この2つの名前をとってひめゆりの塔と名づけられた。

当時の乙女たちは学徒動員で戦場に行かねばならなかった。
沖縄のあらゆる場所に配置され
負傷した兵士たちの看護のあたったが、
次次に米軍機の戦闘機に
爆弾が落とされて亡くなったのです。

未来を夢見た乙女たちの青春はあっというまに、
未来は学校の先生とかに夢をいだいていただろうに。
生き残った人はたったの5人とか、
生きておれば80歳すぎに。

あれから40年あまり、
、毎年6月23日慰霊祭がとむなわれています。
     
         平和でありますようにたくさんの千羽つるが   

  平和祈念資料館もありました。

        
              当時の乙女たち一人一人の写真が展示しています。
              それから、当時の悲惨な状況を写真や作文が
       展示しています。

  ひめゆりの塔の詳細はここをクリックしてくささい。







        
 


クリスマスまで

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クリスマスまで

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