1929年に始まる世界恐慌の一般的なイメージは、デフレ不況の進行により大量の失業者が社会に満ち溢れ、企業は倒産し、労働者の生活が著しく貧窮化したというものである。もちろんそのイメージは間違っていないのだが、宇野弘蔵によると、実際には正規雇用の労働者の賃金は下落せず、むしろ賃金は高止まりしたままに企業倒産と失業者の増大が進行したようである。つまり職を確保している労働者には、社会危機の進行が他人事のように現われた一方で、職を確保できなかった労働者には、出口の見えない人生の袋小路が待っていたわけである。長期にわたるデフレ不況の中、労働組合は既存の雇用とその給付水準の維持を要求し、経営者は技術者の流出を警戒してその要求に譲歩した。また当時の経営者の譲歩の背景には、急速に台頭する共産主義に対する恐怖も影響した。その結果として起きたのが、正規雇用者と非正規雇用者、および失業者の間での人生の差異の極端な拡大、すなわち今で言う格差社会である。資本主義の根本問題は、労働力の商品化にある。宇野弘蔵は恐慌論の理解を通じて、資本主義の根本問題に対するこの正しい理解に到達した。しかし宇野弘蔵の理解は、恐慌の原因を労賃の下方硬直性に求めただけに終わり、労賃の下方硬直性を規定する地代にまで原因を遡及しなかった。ここでの原因理解の不徹底は、資本主義の延命策として労賃の下落を目指すのか、それとも地代の下落を目指すのかで、恐慌に対する処方箋に大きな差異をもたらすものである。もちろん求められているのは、労賃の下落などではなく、地代の無効化である。
筆者は自らのホームページで資本主義の延命策として、土地商品の独占的性質の剥奪を提示した(資本主義の延命策)。この延命策の直接の対象は、デフレ不況に喘ぐ現代日本の資本主義であった。その趣旨は、自らの文言を引用すると「・・・資本家にとっても地代は重荷なのである。そして重荷に感ずる資本家は、低賃金を求めて国内産業を発展途上国に移動させる。しかし労賃に占める地代部分が消失するなら、発展途上国よりも安く高品質の労働者はいつでも国内に存在している。収入の半分近くを占める地代に対し有効な対策をせずに、定額給付金などの小技に終始する限り、一時期的な景気回復があったとしても、資本主義の延命は無い。」ということである。また筆者は同じホームページの価値と価格についての補足記述の中で、デフレに対抗するために生まれてくるインフレ期待論に対して「・・・しかしインフレ期待論は、現代版の徳政令を期待するだけの中身にすぎない。インフレが景気浮揚をもたらすという思い込みは、デフレが景気悪化の元凶であるという思い込みと同じ起源をもつ勘違いである。同様の思い込みは、地価高騰が景気浮揚をもたらすという錯覚にも見られる。・・・」と記述した(価値と価格)。またその文面の直前で「・・・デフレを無視しても、インフレを国家が許容する場合、それは国家の役割放棄ないし信用崩壊を意味する。貨幣は、国家が資産全般の価値表現の同一性を保証した特殊な債権だからである。もしインフレに火がついて預貯金の意義が消失した場合、資産の海外逃亡に成功する一部の富者を除いて、ほぼ全ての国民の資産がバブルのように消失する可能性もある。これが日本で発生した場合の国家的損失は、バブル崩壊で消失した414兆円が屁のようなものに見える規模となるはずである。・・・」とも指摘した。ところが困ったことに、不景気の結果デフレが発生したのではなく、デフレが原因で不景気になったのだと言う勘違い、そしてインフレの政策的誘導を目指す見当違いまでもが、日銀や自民党から、さも当然のごとくに噴出している。
このようなデフレ=悪論は、資本主義勃興期に起きた機械打ち壊し運動、すなわちラッダイト運動の理屈を彷彿とさせる。一般に技術進歩と産業の合理化は、商品生産に必要な労働力を減らし、商品価格の低廉下をもたらす。資本主義勃興期にこのような省力化は、富者をさらに富ませ、貧者から職を奪った。ラッダイト運動とは、その事実に対する素直な反発であった。ただしそれは、単なる検討違いの反体制思想にすぎない。それは、労働者の貧困の原因を、機械による産業の合理化、すなわち科学技術の進歩に求めたからである。階級社会において、科学技術は基本的に富者の所有物である。したがって科学技術の進展は、もっぱら支配体制の是認と結合する。当然ながらそれは、短期的に言えば、支配体制の強化と庶民の貧困化に帰結する。ところがその科学技術の進展は、巨視的に言えば、人類全体の生活改善と富裕化をもたらすものである。しかもそれが既存体制の否定と結合するのであれば、既存体制の欠陥を露呈させる庶民の武器ともなる。そのことが示すのは、富者と貧者の支配隷属関係を抜きにして、科学技術の進展の功罪を語ることができないということである。進歩したことが問題を生むのは、解決手段を用意せずに原発を建築したように、陰に陽に富裕層の利益の実現を優先した結果にすぎない。問題の所在は、知識の側ではなく、知識を扱う人間社会の側にある。つまり反科学論とは、技術進歩の負の側面だけに注視しただけの無内容な理屈である。その無意味さは、適度な科学だけを容認するような中途半端なアリストテレス流の中庸論としても現われ得るし、あるいは全く逆の立場に立つはずの科学万能論の中にも見出すことができる。なるほど科学進歩が無ければ、核兵器は世界に存在しなかったであろう。しかし現代社会が科学進歩に恐怖するなら、それは現状悪化だけに帰結し、場合によっては旧時代への逆戻りだけをもたらす。現代日本のデフレ=悪論は、形を変えた体制主導の反科学論ないし反進歩論である。インフレを実現する気なら、政府が現状の5%の消費税率を一気に30%にまで増やせば良い。それも北欧社会民主主義のような福祉や医療、およびセーフティネットの行政サービスの提供を一切せずにである。この規模の増税が行われるとすれば、爆発的な駆け込み需要が起きるはずである。もちろんそれは、貨幣価値消失に対抗するためである。そして次に消費者物価は、自動的にハイパーインフレを起こす。もしハイパーインフレが起きなければ、そのことは既存の賃金ベースで生きていけない多くの労働者が餓死したことを意味する。もちろんそれは、現時点の賃金ベースで既に年率25%の昇給を得ている労働者からすれば、我慢の限度内かもしれない。ただしこのハイパーインフレは、景気の改善に繋がることは無い。それは20年前のバブル崩壊を凌駕する勢いで経済の地盤沈下を引き起こし、日本発の世界恐慌をもたらすだけである。
日銀は、インフレ期待を言いながら、金利をさらに引き下げてきた。しかし市中に金は回らずに、肝心の市中金利は暴騰を続けている。不良債権化を怖れる民間銀行は、だぶつく金を中小零細企業に融資する気は無いからである。結果的に市中の実質金利は、日銀ではなく闇金融に支配されている。この事実に危機感をもった施政者は、中小企業向け融資を行う東京都の銀行の設立や、モラトリアムを実施した。しかし残念ながらその効果は限定的であり、デフレ不況に対して焼け石の水にしかなっていない。一方でだぶついた日本円は日本国内に出回ることなく、その低金利に目をつけた外国資本の為替取引に使われている。それは日本円の歴史的円高をもたらし、日本の輸出産業を直撃し、産業空洞化と景気悪化を助長している。銀行が大口の顧客として率先して外国資本に大量の資金を提供するのをやめれば、円高は一気に円安に転じるはずなのだが、銀行は既に自力でこの状況から脱することができない。現状では外国資本が銀行の最も無難かつ大口の融資先だからである。
一方でデフレ進行で地価下落が伝えられる中、サラリーマンの賃貸物件や購入するマンション、建売住宅の値段が下がった気配は見当たらない。少なくとも月額15万円以下のサラリーマンの賃貸物件は、デフレによる値崩れを全く起こしていない。むしろそれらの不動産価格は、下がることは無く、上がり続けているように見える。ただしそれら不動産物件は、供給過剰だとしても野菜のように腐るわけではないし、車や電気製品のように世代交代をするわけでもない。供給側の地権者にしても、自ら既に余力に満ちた生活を送っているので、敢えて家賃の値下げを断行する理由も無い。このことから、おそらくバブル崩壊で値崩れしたと言われる不動産は、富裕層をターゲットにした不動産や地方の投機物件の値段に限られていたように見える。一方で貧者の雇用条件は悪化しており、その悪化に連繋せずに消費者物価が低下しないのは、貧者の生死に関わる事態である。そして価格下落を期待されている最大の商品とは、結局のところ不動産価格である。仮に雇用が確保されたとしても、不動産価格が下がらない限り、貧者は地権者に人生を捧げるだけの事実上の奴隷である。もちろんこの事情は、貧者の人生だけを蝕む害悪ではない。資本家もまた、不動産の主人ではないからである。資本家が不動産を自由に扱うためには、不動産の流動化が必要である。そして不動産の流動化が進まない限り、日本の都市の外観は、上海で建造が進む巨大建築に打ち勝つことができない。もちろんそれは、時期をまたずして外観だけの問題に終わらなくなるのは、誰にでも容易に想像できる。細々としたケチな造りの街並みは、今のところ日本の技術がもつカラクリ人形のような精密設計を体現しており、悪く無い絵柄かもしれない。しかしそのチンケさは、資本家が地権者に譲歩せざるを得ない日本の経済戦略の欠如を体現している。日本経済の優位は、かつては安価な労賃が支えた。そしてそれは、現在では技術力と労働力の質的優位によって支えられている。ただし発展途上国の経済的追い上げの前に、日本人の民族的優位の声は、どちらかと言えば祈りにも似た神話となりつつある。もしかしたら将来においてそれは、戦前における神国日本の神話と同じ類の虚構だったとみなされるのかもしれない。この事態を避けて日本経済の絶対的優位を得るためには、青少年の教育の充実はもちろん不可欠であるとして、即効性の面で考えるなら不動産価格の下落誘導が最も有効だと筆者は考える。なぜなら中国などの共産圏を除けば、商品価格が内包する不動産価値の下落、できるならそのゼロ化を実現し得る国は、少なくとも現代世界のどこにも存在しないからである。もしそれが実現するなら、日本への資金の流入は現状の虚実投資としてではなく、世界一の低賃金国家に対する現実的な投資となり、その結果も180度違った現象の仕方をするはずである。もちろんそのときには産業空洞化も終焉し、円高さえもが原材料の低廉化メリットとして素直に評価されるはずである。
(2012/11/18)