唯物論者

唯物論の再構築

ヘーゲル大論理学本質論 解題(第二篇 第一章 実存) 

2020-11-08 15:24:39 | ヘーゲル大論理学本質論

 本質は個物の実存である。それは事の全体として擁立された物体である。しかし物体においても本質は相変わらず物自体と特性に分裂して現れる。それゆえにヘーゲルにおけるカント式物自体への批判は、事の全体として物体を提示しただけでは終わらない。実存の物自体と特性への分裂は、両者の即自存在における連続を実存の自己と自己自身の連続において示すことで完結する。対立する二者は物体において並存し、かつ反転する。このことは本質と非本質の二者であっても変わらない。つまり実存は、非本質を根底にして擁立された本質である。それゆえに実存は、次に現象へと連繋される。この大論理学本質論における実存論は、先行する根拠論をカント式物自体への批判の概要をなす前半とすると、前半において不明瞭にしていた物自体に関わる諸カテゴリーの限定する内容になっている。

[第二巻本質論 第二篇「現象」の第一章「実存」の概要]

 実存する個物としての本質が現象に至る上での物体の諸カテゴリーの遷移的相関を限定した論述部位
・物体Ding  …媒介としての直接的個物を廃棄して擁立された実存する個物。実存の非本質的外面。
・物自体   …物体と区別され、かつ物体を包括する個物の実存。特性を制約とする物体の自己同一な本質存在。
・特性    …実存の物体と物自体の分裂における二項関係がもたらす物自体における他者としての自己限定。
・物体性   …二項関係としての特性に対立する分裂した二項として反省された単なる同一性。抽象的物自体。
・物質・元素 …二項関係としての特性と物体性の連続が反省されて擁立された物自体の即自存在。実存する物自体。
・此の物Dieses…物質に対して物体性と特性の排他的統一として現れる非本質を含む物体。完全に限定された物体。
・穴     …物質と区別され、物質が出入りする無として限定された此の物の物自体。
・点     …対立する物質が擁立または廃棄される場所として限定された此の物。
・現象    …対立する物質が相互浸透において、非本質な他者を根底にして擁立される此の物の実存。


1)現象

 存在は自らを廃棄する絶対的否定性であり、そのような本質として自己同一な実存である。その実存は廃棄した自己自身の反省なのだが、その諸規定は根拠づけの他在としてまた実存する。この実存する形式規定の完成したものが現象である。それはまず実存する物体Dingとして現れ、次に自己の直接性を廃棄して他在に反省する。自らの居場所を物自体と他在に分裂させた反省は、相互浸透の完成で現実性に転化する。


2)物体Ding

 存在証明が導出するのは、概念の客観性である。この証明において概念の存在を媒介するのは、概念における全ての実存である。ここでの概念は、その全ての実存を包摂する。そして一般に証明は、媒介された認識すなわち間接認識である。したがって存在証明における存在の媒介は、推論である。限定する限定存在をカントが物の実存に扱うとき、その実存を媒介するのは他在である。しかしカントの考える概念は抽象的同一性であり、そこにこの媒介的他者は無い。それゆえにその概念は存在証明され得ない。このことは神の存在証明にも該当する。すなわち神の存在を神の他在が媒介するわけにいかない。ただし神の存在に根拠は無いので、存在証明に可能なのは認識の根拠である。それは偶然において現れ消失する無根拠な根拠として現れる。しかしその根拠の無根拠は、その無私な自己否定において媒介の資質を備えている。また実存は単なる直接的存在ではなく、間接を廃棄した直接において現れる。したがってその知は、間接知の媒介性を廃棄して現れる直接知である。このような知と違うただ直接に現れるような無根拠な知は、ただの信仰である。信仰と区別される直接知は、間接的自己を廃棄した恣意と区別された知である。またこのことは、本質の実存への移行を言い表してもいる。このような実存は、自己の廃棄において自己を擁立する直接的同一性であり、そのように擁立された物体Dingである。すなわち物体とは、実存する個物である。


3)物自体、および実存の外面

 実存しない物体は単なる可能性であり、非現実である。したがって物体は、実存する個物である。逆に物体は、実存する個物にすぎない。すなわち物体の実存は、物体と区別される。それは個物の実存と実存する個物の二つの実存の区別である。そしてこの区別された二つの実存は、物自体と実存の外面として区別される。この両者は実存における存在と無、または同一性と区別の二面である。すなわち物自体は、個物による媒介を廃棄して現れた自己同一な本質存在である。そして実存の外面は、媒介として廃棄された個物の存在一般を成す非本質存在である。それは物自体に対する他者の限定存在だから、外面とみなされる。逆に言えば、物自体にとって他者の限定存在だけが、自己を媒介する。そして反省は、物自体にとってこの他者である。それは物自体に関わる限定された多様である。したがってそれは物自体と無関係な多様ではなく、物自体との対立でのみ存立する不安定な他者である。そこでこの反省が破滅すると、反省自身の同一性は物自体に移る。また反省は即自な物自体の他者なので、反省自身の自己廃棄は物自体の即自存在を生成する。いずれにおいても物自体と実存の外面は同一となる。このように物自体は実存の外面としての反省を含む同一性である。そしてこのような物自体の同一性が、物自体の自己を自己自身から反発し、それにより自己自身を過去的契機にする。この契機となった自己自身が、自己の外面である。それは物自体の外面であり、実存の外面である。しかし自己自身として自立するこの外面は、それ自身が物自体である。それゆえに自己と自己自身に分裂した物自体は、それぞれ自己同一な本質的実存と非本質的な実存となる。


4)特性

 物自体とその外面がそれぞれ本質的実存と非本質的実存の物自体として分裂すると、擁立する反省であった外面も外的反省となる。そして分裂した物自体における自己自身と自己の分裂では、それぞれの物自体がまた本質的実存と非本質的実存の物自体として分裂する。この実存の細胞分裂がもたらすのは、差異の無い物自体の多である。そしてそれは実存の外的反省を、物自体の相互関係に転じる。すなわちそれは、物自体同士が相互媒介する限定反省である。この相互媒介では、それぞれの物自体は推論の両項であり、両項の物自体を区別した外面が逆に両項を結合する。それぞれの物自体における他者による限定は外的反省である。しかし自己と他者の差異の無さは、それぞれの物自体の他者への無関心に関わらず、他者による限定をそれぞれの物自体の自己限定にする。しかしその自己限定は、物自体における自己自身の自己からの外化である。かくして物自体の存在は、自己自身により擁立されず、他者により擁立される。しかしこの他者は自己自身により擁立されたものである。したがって物自体における外的反省は、自己を限定する自己反省である。すなわちその限定は、物自体にとって外的な限定ではなく、物自体が他者としての自己に行う自己限定である。これにより物自体とその外面は統一される。それはまた本質的実存と非本質的実存の物自体の統一であり、物自体の自己と自己自身の統一でもある。このように物自体が他者としての自己に行う限定は、物自体の特性となる。


5)カント先験論に物自体の抽象

 質は物における他者に対する無であった。それは物における彩りとして物を直接的に限定した。これに対して特性は反省における実存一般に対する無である。それは反省を通じて間接的に物体を含めた実存一般を実存させ、自己同一においてそれらを物自体にする。質の無が他者に対する関係であったのに対し、反省の無は他者としての自己に対する関係である。それゆえに物の性状が限定と区別されたのに対し、物体の特性は他在の中に移行されず、限定と区別されない。第一にそれは物体相互の擁立された関係様式である。したがって第二にそれは物の生成や変化から離れている。このために物体は、特性により原因となる。ただしそれは目的因ではなく、現実的な原因ではない。すなわちそれは即自的な反省であり、自己の諸限定を擁立する反省ではない。このように自己同一な特性は、物自体の特性である。したがって物自体は、実存の外面にとって彼岸にある無限定な根底ではない。むしろ物自体は、そのような特性において制約された物の根拠である。それは外的反省において自己に反省する即自存在である。すなわち物自体は実存である。
 カント先験論が捉えた無限定な根底としての物自体は、限定を全て物自体に外的な恣意的主観に扱う。しかし意識の自由が自らを無限定者として扱う場合、意識にとって超越不能なこの物自体との断絶は単なる矛盾である。そもそもカント先験論は客体の制約を主体の制約にそのまま移行し、主体の不自由を結論している。すなわちカントは物自体を自己として捉えていない。カント先験論は物自体の抽象を最終形とし、それを特性と対立させている。この先験論の結論と同様に、これまでの本質論の記述でも物自体に対立する外的反省は、物自体を限定していない。ただしこの外的反省は意識ではない。しかし先験論の結論と違い、本質論の記述が示すのは、物自体における外的反省が自己を限定する自己反省になることである。その反省は自己を物自体と限定する。したがって物自体は、外的反省を自己に含み、自ら自己を限定する非抽象の実存である。


6)物質あるいは元素

 物自体は様々な特性を持つ物体である。したがって物自体同士の区別は、物自体自身が互いに行う。むしろその区別の交互作用が特性である。ここでの交互作用は、物自体を両項に持つ一つの自己同一的反省である。したがってそれは物自体同士の中間に現れた一つの物自体である。この物自体から言えば、逆に交互作用の両項の物自体は、自己を特性に持つだけの他者に無関心な同一性である。それが表現するのは、根拠としての物自体が持つ物体性Dingheitである。この物化した両項は、特性において区別される一方で、同一性として等しい。そして両項の区別は交互的なので、その区別も同一の物体の量的差異として現れる。そこで両項の物体は、それぞれ可分割な物体の塊として現れる。物体は特性により自己と他者を区別するので、特性から離れた物自体は、抽象的な即自存在にすぎない。しかし即自存在は擁立された特性であり、物体性がそれに充当される。物体の即自存在が特性と対立する一方で、特性は物体の区別を成す。しかし特性は、物体が自己自身から外化した自己である。したがって物体の即自存在と特性は、反省において連続している。そこでこの連続がまた物体の即自存在を成す特性になっている。この連続により、特性の外に実存すると見られた交互作用の両項も消失する。そこで交互作用の両項にあった抽象的な物自体は、物自体同士の中間に現れた物自体と入れ替わる。そしてこの中間の物自体に即自存在と特性も統一される。それは抽象的な物自体ではなく、実存する物自体である。したがって特性こそが自立する本質存在である。これに対して一方の物体は本質的ではない存在である。それゆえに無関心な同一性としての物体性は、本質的ではない過去的契機に引き下げられる。物体は特性により構成されるものなので、特性は物体を構成する物質あるいは元素へと移行する。なお特性と物質の内容限定は同一である。しかし特性が物体の同一性としての物体性での反省であるのに対し、物質あるいは元素は擁立された物質固有の同一性での反省として区別される。


7)此の物Dieses

 特性の物質としての積極的な自立は、物体性を契機に引き下げる一方で、逆に物体性による物体の消極的自立をもたらす。そしてその消極的自立は、物体における抽象的な物自体を無限定な否定的実存として限定する。一方で物体は特性において限定されている。それゆえに物体はその抽象的な物自体と実存する物自体の両方で限定される。この限定は、物体における物体性と特性の区別を廃棄するものである。すなわちそれは、物体における同一性と特性の排他的統一である。これにより物体は自己に復帰した此の物Diesesとなる。それは本質的ではない要素の中にある限定存在である。しかしそれは自己に対して他者となった物自体にすぎない。すなわち物体は、物質の積極的連続に対立する自己同一的な無にほかならない。物体の本質である物質との比較で言えば、非本質を含む此の物は、物体の完全な限定である。その限定は次のようなものである。まず物質と此の物は相互に無関心に並存し、廃棄し合うことは無い。したがって此の物は各種の物質の一定量の結合である。そこで此の物の物自体は、物質が出入りする穴として現れる。しかし物質の内容は自己を他者に関係させるので、一つの物質は他の物質と排他的関係にある。それゆえに物体で各種物質は共存しながら、かつ排他関係にある。次にその矛盾は、一方の物質の擁立による他方の物質の廃棄、逆に一方の物質の廃棄による他方の物質の擁立として現れる。ただし同時にその矛盾が示すのは、擁立される物質における廃棄される物質の擁立である。したがって物体は、擁立と廃棄がともに始まりかつ終わる点である。すなわち物体において対立する物質は、相互浸透する。対立する物質は、互いに相手の物質の穴である。両者は相手の穴、または相手の無において擁立される。実存はこのような此の物において非本質を含んだ完全な姿で現れる。したがって実存の即自存在は、自己の非本質な他者において擁立される。つまり実存は自己の空虚を根底にする。すなわち実存は現象である。

(2019/09/19) 続く⇒(ヘーゲル大論理学 第二巻本質論 第二篇 第二章) 前の記事⇒ヘーゲル大論理学 第二巻本質論 第一篇 第三章)

ヘーゲル大論理学 本質論 解題
  1.存在論と本質論の対応
    (1)質と本質
    (2)量と現象
    (3)度量と現実性
  2.ヘーゲル本質論とマルクス商品論
  3.使用価値と交換価値


ヘーゲル大論理学 本質論 要約  ・・・ 本質論の論理展開全体
  1編 本質 1章   ・・・ 印象(仮象)
        2章   ・・・ 反省された限定
        3章   ・・・ 根拠
  2編 現象 1章   ・・・ 実存

        2章   ・・・ 現象
        3章   ・・・ 本質的相関
  3編 現実 1章   ・・・ 絶対者
        2章   ・・・ 現実
        3章   ・・・ 絶対的相関


唯物論者:記事一覧

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ヘーゲル大論理学本質論 解... | トップ | ヘーゲル大論理学本質論 解... »

コメントを投稿

ヘーゲル大論理学本質論」カテゴリの最新記事