唯物論者

唯物論の再構築

ヘーゲル大論理学 存在論 解題(緒論 始元存在)

2019-12-08 18:07:23 | ヘーゲル大論理学存在論

 「精神現象学」でヘーゲルは、直接知から始めて絶対知に至る精神の歩みを叙述した。ヘーゲルが「大論理学」で目指すのは、「精神現象学」における精神の歩みの純論理的な再構築である。しかしそれは「精神現象学」のように直接知で始まるものではない。ヘーゲルにおいて直接知の論理的な姿は、存在である。したがって「大論理学」の記述も直接知ではなく、存在から始まる。すなわちそれは「ある」から始まる。以下では存在論冒頭における始元としての存在の説明を概観する。

[第一巻存在論の冒頭の概要]

哲学の起点としての始元存在についての論述部位
・哲学の起点    ・・・始元としての無限定な「ある」
・純粋存在     ・・・無の無い存在。無が現れない非現実な抽象。
・純粋無      ・・・存在の無い無。存在が現れない非現実な抽象。
・始元存在     ・・・存在または無の始まる端緒。無を包括する存在。
・自我についての注記・・・自我始元への執着は、恣意的な直観主義の根源。
             無内容な純粋自我は、純粋存在に集約可能


1)哲学の始元としての純粋存在

 哲学において原理は、一方でイデアのように事物の始元を表現する客観的内容として現れ、他方で直観のように認識の始元を表現する主観的内容規定として現れる。後者の主観的内容規定を原理とする場合、事物の始元も恣意的で無意義なものとして現れる。その迷信的独断に対する反発は、先験論の登場を要請する。それが表現するのは、客観と主観の二つの始元の対立である。またその対立は、媒介されて現れる始元と直接的に現れる始元の対立でもある。しかし実際には直接的に現れる全ての始元は媒介を含む。またそうでなければ対立する一方は、対立する他方を捉える事が出来ない。つまり二つの始元の対立は、非現実な抽象にすぎない。この始元の対立は、論理において説明されるべきである。もちろんその論理も、論理自らの外にあってはならない。このために論理は自らの始まりに、自らの序論として精神現象学を必要とする。それは感性的直接知から始まる精神を、最終的に絶対知として提示する。その絶対知では、二つの始元の対立は止揚されている。論理学はこの絶対知を始元にして始まらなければならない。ただし論理の始まりは、一切の限定を持たない無前提な純粋知である。純粋知は一切の区別を持たない純粋存在を内容にする。それゆえに始元とみなされた絶対知も、その始まりは純粋存在として現れる。


2)無を内に含む存在

 始元としての純粋存在とは、「ある」である。この「ある」は、一切の区別を持たない無限定な「ある」である。それゆえにこの純粋存在は、無と変わらない。しかし存在と無は区別される。そうでなければ一切の区別が成立しない。それゆえにこの純粋存在は、もし無だとしても存在が始まるような無であり、純粋な無ではない。したがって始元としての純粋存在は、無ではなくやはり存在である。ところがこの始元存在は、存在だとしても区別や限定が始まるような存在であり、実際には純粋存在ではない。区別や限定は無を必要とするからである。したがって始元存在は純粋存在ではない。それは無を内に含む存在である。対立して現れた純粋存在と純粋無は、いずれも始元存在の非現実な抽象にすぎない。始元存在の純粋存在としての現れは仮象に転じる。始元存在としての「ある」は、無を内に含む存在である。したがってこの始元存在は、例えば線分の端点のような存在として現れる。それは持続する存在の起点として存在し、なおかつ持続する存在の終点として存在しない。


3)始元としての自我

 上記では意識にとって確実なはずの始元が不確実な存在として現れた。一方で既にデカルトにおいて、熟知され確実な自我を始元とする思想が提示されている。同様な主張はフィヒテやシェリング、さらに現象学が行っている。ところが内容を持たない純粋自我の確実性は、熟知される経験的自我の確実性と異なる。経験的自我が直観する内容は、それが個人意識である限り、その内容は個人の内に留まる。このことはその内容および自我の確実性についても該当する。そこで経験的自我を純粋自我としての無内容な姿で捉えるなら、それは単なる存在である。そしてそもそも純粋自我は熟知されていないし確実でもない。むしろ自我への執着は無前提に始まるべき論理に主観の恣意を持ちこむ。要するに「ある」が表現するのは、絶対者による立言ではなく、絶対者の現れでなければならない。始元とはその最初の現れを指す。それは単なる存在であり、具体的な内容を得た自我として現れない。


(2019/04/28) 続く⇒(ヘーゲル大論理学 第一巻存在論 第一篇 第一章)


ヘーゲル大論理学 存在論 解題
  1.抜け殻となった存在
  2.弁証法と商品価値論
    (1)直観主義の商品価値論
    (2)使用価値の大きさとしての効用
    (3)効用理論の一般的講評
    (4)需給曲線と限界効用曲線
    (5)価格主導の市場価格決定
    (6)需給量主導の市場価格決定
    (7)限界効用逓減法則
    (8)限界効用の眩惑

ヘーゲル大論理学 存在論 要約  ・・・ 存在論の論理展開全体

  緒論            ・・・ 始元存在
  1編 質  1章      ・・・ 存在
        2章      ・・・ 限定存在
        3章      ・・・ 無限定存在
  2編 量  1章・2章A/B・・・ 限定量・数・単位・外延量・内包量・目盛り
        2章C     ・・・ 量的無限定性
        2章Ca    ・・・ 注釈:微分法の成立1
        2章Cb(1) ・・・ 注釈:微分法の成立2a
        2章Cb(2) ・・・ 注釈:微分法の成立2b
        2章Cc    ・・・ 注釈:微分法の成立3
        3章      ・・・ 量的比例
  3編 度量 1章      ・・・ 比率的量
        2章      ・・・ 現実的度量
        3章      ・・・ 本質の生成


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