無知は、現実に存在する。不可知論とは、この無知が知に変わるのを不可能とみなす理屈である。不可知論におけるこの乗り越え不可能な無知の対象は、基本的に感性的直観の対象、すなわち物自体である。不可知論の起源は、ヒュームの経験論に遡る。経験論では、感性的直観に現われるものは、物自体ではない。それは、経験を通じて形成された印象にすぎない。また悟性的認識に現れる概念も、根源的に印象から形成されたものである。したがって経験論では、感性も悟性も知り得るのは印象だけであり、対象自体を知り得ないとみなされた。このように印象と対象それ自体を切り離す不可知論の理屈は、合理主義的精神から見れば、結果と原因は無関係であるという宣言にほかならない。つまり不可知論とは、因果を拒否した論理とみなされる。言い換えるなら、不可知論とは理屈づけを自ら拒否した理屈、すなわち非合理なのである。
[超越論による経験論の征伐]
経験論に従うと、科学のたどり着く真理は、常に経験的妥当性の範囲に留まるだけの信憑性の無いものとなる。このために経験論は、合理主義的精神からの憤慨を受けることとなった。この経験論を哲学的に死滅させたのがカント超越論である。カントは先験理論によって経験論に対抗しただけでなく、悟性的認識の対象となる概念の不可知論にも対抗している。ただしカントによるこの不可知論への反逆は部分的なものである。彼はせいぜい、数学的概念を念頭にした先験的概念に不可知論が及ばないと追記しただけである。したがってヒュームと同様にカントにおいても、経験的直観および経験的概念の対象、すなわち物自体は、意識によって知り得ないものである。つまりヒュームと同様にカントにおいても、意識世界の外側を語ることは、理性の脱線でしかない。超越論による純粋悟性概念のイデア化は、因果の必然を論理的に救済し、読者に不可知論の克服への期待を抱かせた。しかし結果的にそれがもたらした可知と不可知の折衷は、ヒュームの不可知論以上に、カントの不可知論を解決困難な理屈に仕上げただけであった。
経験論では、概念としての量も質も、経験から生まれる。例えば、目の前にある両手に10本の指があるという視覚経験では、形状的に同質な指の並存は、既に指の量の現われである。またそれぞれの指がもつ空間的位置の差異は、既に指の質の現われである。ただし量や質の現われは、このような観照における空間的表現をとる必要も無い。例えば喜ぶ意識、怒る意識、哀しい意識、楽しい意識と異なる意識状態を並べても良い。相変わらずこれらの意識状態の時間的位置の差異は、意識状態の量や質の現われである。しかし経験論では、量や質の各要素の登場順序や先後関係は、量や質に対して差異としての役割を演じるだけに終わる。経験論には、量や質の各要素間に経験を超えた関係が存在しないからである。したがって事象Aが事象Bに後続するのは、物体Aが物体Bの右隣に位置するのと同様に、単なる偶然である。つまり事象の因果は、経験的確実性を超えることは無い。
カントの超越論においても事象の因果は、意識の外では必然ではない。しかし経験論と違って超越論は、意識の中での事象の因果を必然とみなしている。つまり事象Aが事象Bに後続するのは、経験的確実性を超えた真理とみなされる。超越論では、少なくとも個別の意識において因果は論理の形式であり、因果なしに論理は成立しない。さらに超越論は因果を、経験的な個別の意識における悟性形式に留めず、意識一般において先験的な共通悟性形式とみなす。だからこそ異なる意識の間で、論理が可能となる。ただし先験などと言葉はいかめしいが、カントは理屈付けの拒否が理屈自らに対して不当であると述べただけである。言い換えればカントの批判は、経験論を独断として非難しているだけである。しかし独断という点では、カントの先験理論もまた独断である。経験論もまたカントに対して、なぜ因果が蓋然ではないのかと詰め寄ることができる。加えて個別悟性の固有形式が、悟性一般の共通形式へと拡張されないのであれば、カントの独断も空振りに終わる。むしろ逆に、カントの論調をまねる形で、自らこそが因果を不可能とした先験理論なのだと、経験論の方が言い放つことさえできる。このために超越論の経験論に対する反駁は、因果が成立しなければ論理が成立しないという脅し文句を繰り返しただけに留まる。それは、石で殴りつけて石の実在を知らしめるのと同じやり口であり、説明ではない。見方を変えるなら、この水掛け論に決着をつけ、経験論に対して自説を正当化する方法としてカントが思いついたのが、先験理論とは生まれついての正論なのだと、身分制度的に自説を詐称することだったのである。
[経験論の復活]
カントが知り得るとみなした先験的概念とは、直観や認識を通じた対象の経験的取得を必要としない概念を指す。またそのことにおいて先験的概念は、経験的真理が抱える蓋然性から解放されている。一方で、先験的概念における経験的取得の不必要性は、意識が先験的概念を生まれついて取得済みだということを意味する。しかしこの結論は、意識が先験的概念について無知であることを、逆に奇怪にする。数値式としての(32+968)は(142+858)と等しく、この両者が同値であるのは、計算で確認すれば判明する。しかし両者は、異なる数値表現を並べたものにすぎず、最初から同値である。それは、経験に基づかないにせよ、虚しい先験的真理である。一方でそれは、計算で確認するまでは意識にとって知り得ない真理とも言える。もし先験的概念についての無知がそのようなものだとすれば、意識が把握し切れない膨大な数値に関する命題世界は、先験的数値世界と呼ばれるに値する。この先験的数値世界は有限な個人意識にすれば無限な客観であり、意識が把握している有限な数値命題だけが個人意識にとっての主観となる。しかしこのような観点で客観と主観の区分けをしたとき、そもそもの先験的概念と経験的概念の区分けも、それと同じだったのではないのかという疑問が生まれてくる。言い直すとそれは、先験的な現実世界は有限な個人意識にとっての無限な客観であり、意識が把握している有限な現実世界が個人意識にとっての主観にすぎないのではないのかという疑問である。もちろんそれは、直観形式としての時空も含めて、カントが意識の形式として規定した先験的悟性概念を、現実世界の形式として捉え直すべきではないのかという唯物論的な疑問へと取って代わるべきものである。そしてこのような疑問が、ヘーゲルにおける先験的悟性概念の経験的な生成の理屈を産み出すこととなる。
ヘーゲル以後の哲学は、不可知論の克服を、印象と物自体の分離の克服において目指した。そのことの哲学的表現が、物自体の概念的放棄と、現象そのものへの回帰である。現象への回帰とは、印象への回帰であり、実質的に経験論への回帰である。当然ながら超越論から経験論への回帰は、カント型不可知論からヒューム型不可知論への回帰をもたらす。しかしヒューム型不可知論は、カント型不可知論よりもはるかに単純なものである。ヒューム型不可知論は、もともと印象の確実性を疑っていないからである。つまり哲学が現象と物自体の分離を放棄し、認識を現象に回帰させる限り、実際には不可知論も既に克服されている。今では鏡に映った姿も、色眼鏡を通した映像も、伝聞を通して得た情報も、その全てが対象の現われなのである。このためにむしろ今度は逆に、認識の全てが可知として現われ、不可知として現われる認識の方が謎になった。
ヘーゲルより前の哲学では、知り得ることが謎であったのに対し、ヘーゲル以後の哲学では、知り得ないことが謎となった。このために哲学における不可知論への戦いも、可知をどのように説明するのかではなく、不可知をどのように説明するのかに変貌した。不可知を世界に産み出すものは、ヘーゲルでは超出を要する矛盾であり、ショーペンハウアーでは観照を許さない意思であり、フッサールでは判断の非中立性であり、ハイデガーでは頽落であり、マルクスでは所有の分断である。それらの主張はいずれも、それぞれの哲学者による不可知論との戦いの記録とみなされ得るものである。哲学における不可知論との戦いは一旦終結したが、それは可知を阻む敵との新しい戦いの始まりと理解されたのである。
(2012/06/02)
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