商品価値の不等価交換を説明するマルクス経済学カテゴリーに、特別剰余価値がある。ただしマルクスの場合、特別剰余価値とは、技術進歩の過程で一過的に生まれるコスト低下により得られた差額収入を言い表している。つまり特別剰余価値とは、新しい生産技術により商品生産のための必要労働力量が以前より少なくなった場合に、市場価格と生産価格との間に生まれる差益である。したがって特別剰余価値は、一般的な剰余価値と違い、新しい生産技術の独占を利益の根拠にしている。逆に言えばそのことは、独占のあるところなら新しい生産技術が無くても、特別剰余価値が発生し得るのを示してる。実際に資本主義は、生産技術や販路などの独占に成功した資本家に、多大の独占利益をもたらしてきた。もちろんそれは、資本主義以前の時代の封建領主の得た租税や年貢と全く同じ性質の利益である。この意味で地代とは、空間独占を起源にしただけの特別剰余価値の仲間だと受け取れる。それを逆に言い表すなら、特別剰余価値とは、空間独占に限定されない形での、地代の一般的総称とも受け取れる。もちろん特別剰余価値と地代の間には、商品の生産過程の有無が差異として存在する。当然ながら、前者が一般的な剰余価値と同様の労賃支払い前の搾取であるのに対し、後者は労賃支払い後の搾取として現れざるを得ない。つまり両者の間には、資本主義的搾取と資本主義以前的搾取の差異が残る。しかし無産者から見れば、両者共にその利益が自らにとって避けようも無い搾取である点で、差異を持たない。 一方で、特別剰余価値と区別されるところの一般的な剰余価値は、実際に生産された価値総量と生産に要した価値総量との間に生まれる差益である。資本主義はこの差益の取得権利を、生産手段所有者としての資本家に与える。ただしこの一般的な剰余価値も、見方を変えれば、空間独占に限定されない形での地代とも言える。資本家は、労働者に対する関係では、生産手段の独占者として現われるからである。しかしそれは次の点で、特別剰余価値と区別される。それは、資本主義における生産手段に対する独占権は、他の生産機構、すなわち他の資本家および他の生産者に対して、一般に無効だという点である。また資本主義の本来あるべき姿としても、資本家は、他の資本家に対する関係で、生産手段の独占者として現われるべきではない。そうでなければ、旧時代と資本主義の間にあった外見上の差異は無くなり、商業取引の全てが支配隷属関係の枠内に収まってしまうからである。 商品の一般的労賃対価と剰余価値、および実際の労賃対価と特別剰余価値を商品数量から見た例示は、以下のようになる。上段は、一般的な商品生産方式で商品20単位を生産した一般資本の例であり、下段が、一般に比べて必要労働力が1/2になった新しい商品生産方式で商品20単位を生産した個別資本の例である。それぞれの資本が生産した商品における労賃対価は、一般資本なら一般的労賃対価であり、個別資本なら実際の労賃対価である。つまり一般資本における必要労働力部分は、抽象的労働としての価値一般として現われるが、個別資本における必要労働力部分は、具体的労働としての価値実体として現われる。
[図1] 労賃対価 剰余価値
一般資本 1 2 3 4 5 6 7 8 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2
労賃対価 剰余価値 特別剰余
個別資本 1 2 3 4 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 1 2 3 4
上記図1の例だと、上段でも下段でも、資本一般には市場の平均的な利益が実現している。しかし新しい商品生産方式を採用した個別資本には、さらに特別利益がもたらされている。ここで言う市場の平均的な利益とは、一般的な剰余価値を指し、個別資本に現われた特別利益とは、特別剰余価値を指す。この段階では、下段の新しい生産方式による個別的労賃対価は、上段の一般的労賃対価にまだ影響していない。
新しい生産方式が市場全体に浸透すると、下記図2のように個別資本における特別剰余価値が単純に消失する。しかしこの段階では、既存の個別資本が一般資本へ、従来の一般資本は個別資本へと入れ替わっている。したがって個別資本が生産した商品が体現した価値実体も、今ではそれが価値一般として現われる。逆に従来の一般資本が生産した商品が体現した価値一般は、価値実体としてのみ現われるように変わる。
[図2] 労賃対価 剰余価値
新個別資本 1 2 3 4 5 6 7 8 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2
労賃対価 剰余価値
新一般資本 1 2 3 4 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6
新しい生産方式は、旧生産方式に拘泥した資本に、市場の平均的利益との比較で、相対的な利益損失だけではなく、絶対的な利益損失を与える。しかし業界として見れば、新しい生産方式は資本家一般の利益を増大している。もちろん資本家と違い、雇用者の半減により資本から放逐された労働者は、自らの生活資材を得るための命懸けの方策を講ずる運命に置かれる。
もし個別資本が新しい生産方式をもって商品1単位を元の4/5の安値にする販売戦略を行うと、図1の例は次のように変わる。
[図3] 労賃対価 剰余価値
一般資本 1 2 3 4 5 6 7 8 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2
労賃対価 剰余価値
個別資本 1 2 3 4 5 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5
この場合、安値販売戦略により個別資本における商品20単位での売上は、元の4/5に減少する。逆に個別資本における労賃対価部分の商品数量、および剰余価値部分の商品数量は、それぞれ5/4倍になって現われる。個別資本におけるこのような売上高の減少と労賃対価部分の商品数量の増大は、新しい生産方式がもたらした特別剰余価値を、全て消失させる。ただしそれでも個別資本は、価格面の比較で見れば、一般資本と同じ利益額を確保している。とはいえ安値販売戦略は、個別資本の商品完売に貢献するであろうし、逆に一般資本に商品の売れ残りをもたらすはずである。そのときには、個別資本の販売戦略は成功である。なぜならもっぱら安値販売戦略は、個別資本自らの利益確定を目指すものだからである。 そもそも個別資本は、上記例のように商品1個あたり4/5の安値販売を目指す必要も無い。安値が商品1個あたり9/10であれば、個別資本は安値販売の効果を見込める上に、元の特別剰余価値の一部を残すことができる。仮に安値が商品1個あたり2/3であっても、競争相手を駆逐できるなら、個別資本は損失覚悟で敢えて安値ダンピングに挑むかもしれない。
ちなみにこの安値販売戦略が浸透した場合、新しい生産方式の個別資本における労賃対価が、既存の一般的な労賃対価と入れ替わる。今では旧来の一般的労賃対価は、旧生産方式における労賃対価としてのみ存在する。このとき旧生産方式に拘泥した資本の商品数量の販売減少を、新しい生産方式を実施する資本の商品数量の販売増加が補完するなら、このときの新しい生産方式が旧来の一般的労賃対価に与える影響は、例えば次のようになる。
[図4] 労賃対価 剰余価値
個別資本 1 2 3 4 5 6 7 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0
労賃対価 剰余価値
一般資本 1 2 3 4 5 6 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7
上記図4の例では、新しい生産方式を導入した資本は、旧生産方式に拘泥した資本に、市場の平均的利益に対する相対的な利益損失だけではなく、絶対的な利益損失を与えている。しかし業界として見れば、新しい生産方式は、資本家一般の利益を増大させる。もちろん資本家と違い、雇用者の半減により資本から放逐された労働者は、自らの生活資材を得るための命懸けの方策を講ずる運命に置かれる。ただし労働者も商品の消費者の一員であるなら、商品の安値販売による利益を労働者も享受できる。その場合だと、労賃の下落を通じて、上記図4における一般的労賃対価と個別的労賃対価はともに、より小さなものとして現われる。その場合には、一般資本も個別資本もともに利益幅が増大することとなる。
少し脇道にそれるが、ここでついでに、新商品の機能追加が労賃減額を実現する場合を考える。例えばそれは、商品機能として光合成により大量の食料を供給すると言った大袈裟な想定であっても良い。このような商品の登場により、最初の図1の例は次のように落ち着く。
[図5] 労賃対価 剰余価値
個別資本 1 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9
労賃対価 剰余価値
一般資本 1 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9
上記図5が示すように、労賃減額を実現する発明は、一般資本と個別資本の双方に利益の増大をもたらす。しかもそれは、雇用者の減少を生まない。しかしめでたいのは、そこまでである。結果として残るのは、貧富格差の増大だからである。ただしそれは、別にSFのような特殊な想定ではない。それは既に、現代資本主義が実現してきた内容である。労働者は、旧世界の数倍、数十倍の生産力の増大を科学技術の進歩が可能にしてきたのに対し、なぜ自らが常にギリギリの生活維持ラインの上を彷徨っているのかを疑問に感じるべきである。
話を戻して、ここで商品総量に対応する売上に着目する。 安値販売による商品価格の下落は、商品消費量の増大が無い限り、商品売上全体の減少を意味する。生産方式の変化における商品全体の労賃対価と剰余価値の例示は、次のようになる。ちなみに下記図6は、商品総量を商品20単位にしている。また新しい生産方式での必要労働力を、上記例と同じく旧生産方式の1/2に想定し、同様に商品価格の下落率も、旧生産方式の4/5を想定している。
[図6] 労賃対価 剰余価値
旧一般資本 1 2 3 4 5 6 7 8 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2
労賃対価 剰余価値
新一般資本 1 2 3 4 5 1 2 3 4 5 6 7 8 9 0 1 2 3 4 5
上記図6の例だと、商品価格の下落は、労賃に該当する価値部分の減少をしただけであり、資本に利益の増大をもたらさない。もちろん新しい生産方式の浸透が完了した時点で、それによる特別剰余価値も既に消失している。それでは一体、特別剰余価値はどこから発生したのであろうか? 特別剰余価値は、上記図6で見れば、労賃に該当する価値部分の減少に該当する。素直に考えれば、技術進歩により不要化した労働力価値、すなわち雇用者の減少により資本から放逐された労働者の労働力価値が、特別剰余価値の源泉である。この結末は、マルクスの考えた資本主義における労働者の貧窮化理論を肯定するように見える。そしてそれは、労働組合運動で頻繁に使われる合理化反対のスローガンに正当性を与えるように見える。しかし実際には、貧窮化理論の成否は、資本から放逐された労働者が、異なる資本の労働力として再生可能かどうかにかかっている。もし労働者が再生可能なら、労働者の貧窮化も発生しない。その場合には特別剰余価値も、自らの道義性に疑問を感じる必要は無い。その限りで新商品や新技術の開発に対する汚名は、いわれの無いものとなる。それは、反科学や反機械化を呼号したラッダイト運動と同じような無意味を示すだけに留まる。同様に、この件に関しての資本主義に対する汚名も、労働者の再生可能性の有無が決定することとなる。ただし現代の資本主義が、労働者の再生可能性を確保しているのかと言えば、筆者の答えは否定的である。つまり筆者は、資本主義はもちろんとして、特別剰余価値の根底に、上述要領の労働者の再生に関する道義的問題が、現実に横たわっていると考えている。(2012/08/05)
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