喉もと過ぎれば熱さ忘れる、かのように原発が再稼動されている。
今日、本格的に愛媛にある伊方原発が再稼動する。
伊方原発といえば、活断層があり地震への危険が心配されている原発。
細長い佐田岬の付け根に位置する伊方原発、海側の住民の避難は確保されないままの再稼働だ。
私も佐田岬の先端にまで行ったことがあるからよく分かるが、海に囲まれて避難など出来ない。
原発マネーの力で「物言わせぬ」縛りを地元にかけて押し切るやり方はおかしい。
財政がしんどい地元自治体に原発交付金を注ぎ込み、電力会社の匿名寄付金を地元に垂れ流す。
そんなカネの力で地元経済を牛耳って反対させないという手口が全国各地でまかり通っている。
そんなゴリ押しで安全そっちのけで建設した原発の挙句が、フクシマ原発の事故だった。
「事故」は、まさに人災そのものだ。
フクシマ原発の事故はなおも地元に理不尽な苦痛と被害を与え続けている。
事故から5年経っても未だに廃炉への道筋さえ見えてこない。
「喉もと過ぎれば」どころか、今なお火傷の治療さえできずに人々を苦しめ続けている。
それなのに無責任で無神経なまま、危険を隠して再稼働が押し進められている。
人類がコントロール出来ない「核」。
核と人類が共存できることなど、ない。
一度開いてしまった核というパンドラの箱は人類を危機にさらす。
ゼウスがパンドラに持たせた「箱」は開いてしまうが、急いで蓋を閉めたから「希望」だけが残った。
核という現代のパンドラの箱、今、閉めればまだ「希望」に間に合う。