暴力をふるったコーチを暴力をふるわれた女子選手がかばう。
その18歳選手の会見で、問題は協会のパワハラにすり替わった。
そもそも、騒動の発端であるコーチの暴力は今年7月に起きている。
暴力行為を目撃者が協会に知らせ、協会がコーチから聞き取り。
コーチ本人も暴力行為を認め、協会の懲戒委員会が処分を決めた。
事実は、コーチによる女子選手への暴力はあったということ。
これが、この騒動の大前提だ。
だが、選手の会見以後、パワハラだけにマスコミは飛びついている。
レスリング、アメフト、ボクシングの流れに乗せなきゃといった雰囲気。
「勇気ある少女が協会の巨悪と闘う」といった構図にしたいようだ。
そのほうが「読者も視聴者も飛びつく」マスコミの思惑が滲み出る。
そんな、本末転倒のマスコミの扱いぶりに違和感を覚える。
先ずは、スポーツ指導における「暴力の否定」をきっちりすべきだ。
そのうえで、体操協会の悪しき体質を、徹底的に解明すればいい。
小学生の時からのコーチ、選手との立場は絶対的な関係にある。
服従しか許されない幼い選手にとって、コーチは絶対的なもの。
そこに、暴力が介在していたとすれば、服従関係はいびつになる。
用意されたメモの難しい文言を読んで会見していた18歳選手の姿。
女子選手だけを前面に出し、大人のコーチは出てこない。
そんな展開にも、どうしょうもない違和感を覚える。
選手が許せば「暴力の指導」も許されるような雰囲気はおかしい。
それが「選手ファースト」だとするマスコミはもっとおかしい。