風の声

想いつくまま

去る者へのはなむけも相撲道ではないのか

2018年09月27日 | 日記
貴乃花の親方引退で角界が騒がしい。

手続きや弟子移籍の些細なことにいちゃもんをつける協会。
引退届けには裏があるのではとマスコミまで悪乗りする。

貴乃花の会見の表情をみれば、すでに腹は決まっている。
いまさら、退職しないで協会にぶら下がろうなんて、さらさらない。

暴力事件で告発状まで内閣府に出して協会との大一番に臨んだ貴乃花。
しかし、思いもしない弟子の暴行で、土俵に上がる前に不戦敗となった。
勝負は時の運、勝てると思っていた勝負だが運に見放されてしまった。

天性の勝負師としての勘は誰よりも優れている貴乃花だ。
負けは負けと認めて、潔く告発状を取り下げ、処分も受け入れた。

それでも、追い打ちをかけ「事実無根を認めろ」と迫った協会。
たとえ理不尽であっても、勝てば官軍負ければ賊軍、敗者の悲哀だ。

それを、誰よりも勝負師の貴乃花はわかっている。

だから、「もうここに自分の居場所はない」そう覚悟した。
勝負師の勘にしたがって「潔く去ろう」としてるだけだ。

大一番に敗れた者は去る、ただそれだけのこと。

そんな、勝負師の美学を持っているからこそ人を魅了してきた。

頑固すぎるとか、大人の対応はないのかと批判するが、凡人の感覚だ。
相撲道に一徹に生きてきた「貴乃花」を理解できるはずがない。

そこを理解できるのは、相撲道に生きている協会のはず。

文書不備だといちゃもんを付けてないで協会も潔い対応をすればいい。
協会お抱えの弁護士らのゲスの勘繰りの入り知恵だろうが見苦しい。

去る者へのはなむけも相撲道ではないのか。






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